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宗茂は、その様子に多少羨望を感じた。
小田原征伐。
2月に始まったこの戦も、途中北条の回光返照があったものの、豊臣側の勝利で既に終結を迎え、7月5日に家康が北条氏直を護送し、秀吉に北条方の降伏を伝え、その戦後処理が始まり、忙しくなり始めた。
宗茂は、妻の誾千代と共に本田忠勝の陣を訪れていた。
この戦の折に、「東に本田忠勝、西に立花宗茂という無双がいる」と秀吉に諸大名の前でそう褒め讃えられ、宗茂の名前は一気に広がった。
東の無双といわれた忠勝には、稲という娘がいる。
彼女は、長弓を扱い戦場に立つ。
この戦でも主力部隊の徳川陣営に属していた。
忠勝に挨拶を終え、陣を後にしようした時。
信幸さま、という朗らかな声が聞こえ、見れば忠勝の娘、稲がある男に駆け寄っていた。
信幸、と聞き宗茂は、あれが真田信幸かと思わず足を止めた。
真田家の嫡男で、稲の夫。
本田忠勝が上田合戦の折の活躍に惚れ、婿にと望んだ男。
今回の敵であった北条を手玉にとり、幾度となく争っている強者だという。北条の兵は5000、真田の兵は800。圧倒的な差であるにも関わらず、見事な勝利をおさめている上に、自ら敵陣に斬りこんでいったらしいこともあるらしい。
今回の戦では、主力ではなく北方部隊に属し、上野松井田城攻めで功名を上げている。忠勝から婿自慢でそれらを聞いていた。
信幸が、駆け寄ってきた稲を受け止めると、彼女は花が咲くように笑顔を開かせ、信幸を見上げる。
危ないですよ、と言うと、信幸はそっと彼女を離す。
一瞬不服そうにした稲だったが、信幸が彼女の頭をポンッと優しく撫でるように叩いただけで機嫌は直ったらしい。
宗茂は、ふとこの夫婦は、2月からずっと離れていたのだろうと思った。
確か昨年結婚したばかりのまだ新婚。
久しぶりの邂逅。会えて嬉しくて仕方がない。
稲の全身からそれが溢れ出ているかのようだ。
ふっと隣にいる妻―誾千代―に視線を滑らせると同じものを見ていたようだが、宗茂の視線に気づき迷惑そうに眉をひそめる。
苦笑を口の端に浮かべ、視線を戻すと信幸と目が合った。
こちらの気配に気づいていることはわかっていたので、驚きはなかったが、あまりに真っ直ぐに見つめられ、その視線が何もかも透かしてみているかのようで宗茂は多少戸惑いを感じた。
静かに信幸は、近づいてくると、先ほどの視線は何かの間違いかのように、にこやかな流れるような口上で挨拶をしてくる。
それを受けて、ほんの少し誾千代が嬉しそうに微笑んだ。
信幸は、誾千代のことを知っていたらしく、宗茂の妻としてではなくひとりの当主として誾千代に接している。
それが誾千代には嬉しいようだ。珍しく愛想よく接している。
そうなると、宗茂は面白くない。
そんな感情を押し殺しつつ、信幸を見れば、その背後で彼の裾をちょこんと掴んで離さない稲の姿も目に入る。
誾千代とはまったく違うものだ、と妙にしみじみしてしまう。
「おふたりは久しぶりに会ったのでは?」
宗茂の言葉に、えぇまぁ、と信幸は答える。
「久しぶりに会ったのが七夕とは素敵ですね」
「あぁ、今日は七夕ですか。」
すっかり失念してました、そう言ってから、稲を見る。
稲は、パッと掴んでいた信幸の裾を離した。
「ご存じかと思いますが、真田と北条は因縁の仲で、今回の戦も終わりましたがその処理で非常に忙しくなるかと思います」
「はい」
「ですので、来年までさようなら」
えぇぇぇー、という稲のすっとんきょうな叫び声など気もならないのか、信幸は宗茂と誾千代に軽く挨拶をするとそのまま身を翻すと稲を置いて歩き出すと、
「忠勝殿はどちらに?」
近くを通りかかった者に声をかけている。
その後を急いで稲が夫の名を怒りながら叫び、追いかける。
「――真田殿は、稲殿に冷たくないか・・・」
誾千代がぽつりと呟く。
それはただのひとり言なのか、宗茂に言っているのか分からない口調だが、
「いや、からかっているだけだろう」
「まさか」
誾千代の目に、信幸はとても紳士的に映っているらしい。
事実、誾千代には信幸は紳士的に思われたが、どこか稲を適当にあしらっているようにも見えないこともないと思っていた。
稲が一方的に信幸に好意を寄せている―そう見えた。
けれど、同じ男として宗茂は、違うところを見てとった。おそらくお互いに。
「冷たいのは俺に対するお前の態度だ」
誾千代がキッと宗茂を睨みつけてくる。
稲がいっそう大きな声で夫を呼ぶと、信幸は振り返り、そっと稲に手を差し出してやる。それを取ると稲が何か言ったらしく、信幸が笑ったのが分かった。
そんな信幸に怒っているらしい稲が、ぷいっと顔をそむける。
そんな光景を見ながら、宗茂はほんの少し羨ましく思う。
あそこまで全身で大好きだと言われたら男として嬉しいだろうと思うが、となりで不機嫌そうに怒っている誾千代の方に魅力を感じるのだから、
「重症だな」
宗茂の落とした呟きの意味が誾千代に分かるはずもない。
一瞬不審そうに宗茂を見た誾千代だったが、何も言わずに、踵を返して歩き出す。
宗茂が、その背を見ながらついていく。
「――ついてくるな」
「同じ場所に戻るのだから仕方ないだろう」
のんびり言えば、それが気に入らないのか誾千代が睨みつけてくる。
あぁ、好きだな、と宗茂は思った。
誾千代とのこういう関係も嫌いではない。
誾千代も意外に嫌でもないのだろう。
宗茂は、足を早めて不機嫌そうな誾千代を追い抜き際に、その頭を軽く叩く。
またそれが気に入らない誾千代が突っかかってくるのに、口の端に浮かぶ笑みが止まらなくなる。