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「そんな恨めしそうな顔をするな。太閤の許可が出なかったのだから仕方ないだろう」
宗茂が苦笑を頬に浮かべ、誾千代を見る。
朝鮮への誾千代の渡航許可が出なかった。宗茂の居間に呼ばれ、ふたりきり。むっつり黙ったままの誾千代を、渡航許可が出なかった為の不機嫌と思ったらしい。
それは間違ってはいなかったが、それだけではない、と誾千代はゆっくり瞬きをする。
それから、ぽつり呟く。
「お前も――おろかな男だったのだな」
言われた意味が分からず、眉をひそめて自分を見てくる夫を尻目に、誾千代は無言で立ち上がる。
宗茂も引きとめようとはしない。立ち上がり、退室しようとして、一度振り返る。目が合った。
けれど、無言のまま踵を返す。
朝鮮での戦のことなど、何も心配ではない。宗茂なら大丈夫と確信がある。
宗茂の居間を出て、廊を行く途中、ふっと八千子から聞いたことを思い出す。
はじめ、誾千代は口を固く閉ざしていた。
開かれた障子戸から差し込む夕日が、立ち尽くす八千子の影を、部屋に薄く映し出す。
その影を無言で誾千代は、見つめた。
八千子も黙ったまま誾千代を見つめていた様子だったが、しばらくして影が揺れて、それが誾千代に近づく。八千子の香がふわり匂い立つ。
「そんなに戦場に立ちたいのですか?」
誾千代は答えない。
けれど、気にする様子などなく八千子は、誾千代の前に座り込むとにこやかに笑い、誾千代の答えを待ち続ける。やさしげなものに見えはするが、誾千代が黙っていたら夜になっても、このままでいそうな様子で、それはある意味、異常だ。
誾千代は、初めて八千子に会った時にも、彼女を薄気味悪く感じたことを思い出す。
八千子という女が誾千代には、分からない。
退室を命令すら出来る立場であるのに、誾千代はそれをしない。出来ない。
イタズラをして怒られた子供時代を思い出させる時間に、結局根負けした誾千代が口を開いた。
「立ちたい」
その一言に八千子は、小首を傾げる。
「立花の誇りの為に?」
八千子は言う。誾千代は小さく頷く。
「私は、そう育てられた。立花の跡取りとして、男同様に育てられ、戦場に立つ。家督こそ宗茂に譲ったが、私は立花だ。立花の誇りの為に戦場に立つ」
自分の唇を噛む力は十分にあるのに、八千子を強く見据える気力もあるはずなのにしようと思えない。ただ八千子を見つめて、その目が自分でもひどく頼りないものであることに、誾千代は気付いていた。
「確かに、子供が出来れば戦場には立てませんね」
八千子が言う。
「孕み、その間だけ大人しくして産んで、それでおしまいとはいきません。子供が生まれれば、それだけ心配も増える。子を思って戦場に立つことを恐るようになるとご心配ですか?」
図星をつかれ、誾千代はまず絶句した。
それから何度も細かく首を振り、気持ちを落ち着かせてから改めて八千子を見つめれば、
「それだけですか?」
ただ微笑んでいるだけのような八千子の目。そのくせ、誾千代が自分から視線を反らそうとするのは許さない。執拗に誾千代の目をおいかけ、執拗に微笑みかけ続ける。
「再度の朝鮮への出兵には誾千代さまは行きたいと要望していらっしゃる。それは私という女が来たことへの当てつけだとは思っていませんが、ただ誾千代さまと宗茂さまのおふたりを客観的に見聞きしてますと――」
――共に戦場に立っている時こそ、互いを素直に感じられるのではないですか?
ハッとして誾千代の困惑に、八千子はくすくすと笑う。笑われてもそれは不快ではなかった。
ひとしきり、くすくすと笑うと八千子は、ふっとそれを唇から消すと、
「羨ましい。私は――」
私は人を愛するという気持ちが分からない。
低い呟きを、唇から押し出した後、自嘲ぎみに鼻先でそれを笑い飛ばした。
えっ、と驚き、宗茂は・・・と珍しく言い澱んだ誾千代に、
「男性として好きだと思ったことはありません。私たちは互いに利害が一致したまでのこと」
「利害が一致?」
「宗茂さまは――自分に子供が出来る能力があるのか、確かめたかった。だから、他の女――私を試してみた。私は、新たな庇護先が必要だった。父を亡くしてから、細川家の世話になっておりました。それも細川家からしたら、他家との縁を結ぶための駒。駒は大人しく、振る相手に従うしかありません」
「――・・・」
「私が倒れた時、乳母も誾千代さまと同じ勘違いをしました。子供が出来たと」
八千子は、くすっと頬をはずませた。
「けれど、目覚めて傍にいた宗茂さまは明らかに後悔していた。子供が出来ていたら、誾千代様さまが離れていくのではないかと、誾千代さまへの最大の裏切りではないかと後悔していた」
おろかですよね、と八千子は笑う。
「想像出来そうなことなのに、現実問題となった時に初めて心底後悔する。殿方とはおろかですね」
「女は、女で生きにくい」
えぇ、と八千子も頷く。
「おろかな男と、生きにくい女。それはそれで釣り合いが取れているのかもしれませんね」
宗茂さまと誾千代さまのように、と言う八千子から、ゆっくりと誾千代は視線を滑らせ、そっと彼女の目を逃れていく。
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宗茂が苦笑を頬に浮かべ、誾千代を見る。
朝鮮への誾千代の渡航許可が出なかった。宗茂の居間に呼ばれ、ふたりきり。むっつり黙ったままの誾千代を、渡航許可が出なかった為の不機嫌と思ったらしい。
それは間違ってはいなかったが、それだけではない、と誾千代はゆっくり瞬きをする。
それから、ぽつり呟く。
「お前も――おろかな男だったのだな」
言われた意味が分からず、眉をひそめて自分を見てくる夫を尻目に、誾千代は無言で立ち上がる。
宗茂も引きとめようとはしない。立ち上がり、退室しようとして、一度振り返る。目が合った。
けれど、無言のまま踵を返す。
朝鮮での戦のことなど、何も心配ではない。宗茂なら大丈夫と確信がある。
宗茂の居間を出て、廊を行く途中、ふっと八千子から聞いたことを思い出す。
はじめ、誾千代は口を固く閉ざしていた。
開かれた障子戸から差し込む夕日が、立ち尽くす八千子の影を、部屋に薄く映し出す。
その影を無言で誾千代は、見つめた。
八千子も黙ったまま誾千代を見つめていた様子だったが、しばらくして影が揺れて、それが誾千代に近づく。八千子の香がふわり匂い立つ。
「そんなに戦場に立ちたいのですか?」
誾千代は答えない。
けれど、気にする様子などなく八千子は、誾千代の前に座り込むとにこやかに笑い、誾千代の答えを待ち続ける。やさしげなものに見えはするが、誾千代が黙っていたら夜になっても、このままでいそうな様子で、それはある意味、異常だ。
誾千代は、初めて八千子に会った時にも、彼女を薄気味悪く感じたことを思い出す。
八千子という女が誾千代には、分からない。
退室を命令すら出来る立場であるのに、誾千代はそれをしない。出来ない。
イタズラをして怒られた子供時代を思い出させる時間に、結局根負けした誾千代が口を開いた。
「立ちたい」
その一言に八千子は、小首を傾げる。
「立花の誇りの為に?」
八千子は言う。誾千代は小さく頷く。
「私は、そう育てられた。立花の跡取りとして、男同様に育てられ、戦場に立つ。家督こそ宗茂に譲ったが、私は立花だ。立花の誇りの為に戦場に立つ」
自分の唇を噛む力は十分にあるのに、八千子を強く見据える気力もあるはずなのにしようと思えない。ただ八千子を見つめて、その目が自分でもひどく頼りないものであることに、誾千代は気付いていた。
「確かに、子供が出来れば戦場には立てませんね」
八千子が言う。
「孕み、その間だけ大人しくして産んで、それでおしまいとはいきません。子供が生まれれば、それだけ心配も増える。子を思って戦場に立つことを恐るようになるとご心配ですか?」
図星をつかれ、誾千代はまず絶句した。
それから何度も細かく首を振り、気持ちを落ち着かせてから改めて八千子を見つめれば、
「それだけですか?」
ただ微笑んでいるだけのような八千子の目。そのくせ、誾千代が自分から視線を反らそうとするのは許さない。執拗に誾千代の目をおいかけ、執拗に微笑みかけ続ける。
「再度の朝鮮への出兵には誾千代さまは行きたいと要望していらっしゃる。それは私という女が来たことへの当てつけだとは思っていませんが、ただ誾千代さまと宗茂さまのおふたりを客観的に見聞きしてますと――」
――共に戦場に立っている時こそ、互いを素直に感じられるのではないですか?
ハッとして誾千代の困惑に、八千子はくすくすと笑う。笑われてもそれは不快ではなかった。
ひとしきり、くすくすと笑うと八千子は、ふっとそれを唇から消すと、
「羨ましい。私は――」
私は人を愛するという気持ちが分からない。
低い呟きを、唇から押し出した後、自嘲ぎみに鼻先でそれを笑い飛ばした。
えっ、と驚き、宗茂は・・・と珍しく言い澱んだ誾千代に、
「男性として好きだと思ったことはありません。私たちは互いに利害が一致したまでのこと」
「利害が一致?」
「宗茂さまは――自分に子供が出来る能力があるのか、確かめたかった。だから、他の女――私を試してみた。私は、新たな庇護先が必要だった。父を亡くしてから、細川家の世話になっておりました。それも細川家からしたら、他家との縁を結ぶための駒。駒は大人しく、振る相手に従うしかありません」
「――・・・」
「私が倒れた時、乳母も誾千代さまと同じ勘違いをしました。子供が出来たと」
八千子は、くすっと頬をはずませた。
「けれど、目覚めて傍にいた宗茂さまは明らかに後悔していた。子供が出来ていたら、誾千代様さまが離れていくのではないかと、誾千代さまへの最大の裏切りではないかと後悔していた」
おろかですよね、と八千子は笑う。
「想像出来そうなことなのに、現実問題となった時に初めて心底後悔する。殿方とはおろかですね」
「女は、女で生きにくい」
えぇ、と八千子も頷く。
「おろかな男と、生きにくい女。それはそれで釣り合いが取れているのかもしれませんね」
宗茂さまと誾千代さまのように、と言う八千子から、ゆっくりと誾千代は視線を滑らせ、そっと彼女の目を逃れていく。
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