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誾千代は、広げられた地図の上を指差す宗茂の指先を見つめた。
自分の物に比べて太くしっかりとした指の先に固い爪がある。その爪を見ながら誾千代はふっと自分の爪に触れる。
自分の爪よりも宗茂の爪はやはり固いのだろうかなどとぼんやり考えていれば、誾千代、と呼ばれたので顔を上げて宗茂を見る。目が合えば
「聞いているのか?」
そう問われて、誾千代は無言で宗茂を睨む。
誾千代は、評定に出た宗茂から布陣の説明を聞いていた。
「本陣西の守り、右翼を任された」
「そうか・・・」
「で、広く分散させることは出来ないが、我らが二手に分かれて」
「えっ?」
誾千代の驚きを薄く笑って宗茂は受け止める。
置いていかれた自分の出陣があるとは思っていなかったのだろう。
「ここを我らで守る」
「それは聞いた。父上は――何か言っていたか?」
「いいや。高橋の父は驚いていたがな」
「義父上が・・・」
誾千代が自分の父を義父上と呼ぶのが宗茂には不思議に思え、ふっと笑いがこみ上げる。それを何が可笑しいとキッと誾千代が睨みつけてくるので、別にとへらっと笑ってみせる。
評定後、宗茂は実父に肩を掴まれたことを思い出す。
誾千代殿を戦場に出すのか、と問いただしてきたのを、にこりと笑って受け流した。
また説教でもしようしたらしい父だったが、宗茂の背後の道雪の視線に気付き、唇を閉ざした。しばらく視線を彷徨わせた後、大きく溜息を吐き落とした。そして、
「お前はもう――立花の人間だったな。口出し無用、ということだな。すまない」
そう寂し気に微笑んだ。
道雪が何も言わないのに自分が口出しすることなど出来ないと思ったのだろう。
そんな父を見て宗茂も、ふと微笑む。
もう自分は立花の人間。
その時、初めて本当の意味で高橋の父から巣立った気がした。
寂しい、と思わないわけでもない。
けれど、立花の人間になることを決めたのは他ならぬ自分自身なのだ。
「けれど、宗茂――」
「何だ?」
「まだ完成していない。出来ていない」
「いや、もう平気だろう」
「他人事だと思って、お前は」
「いいや、実践した方が体は覚えるというものだ。俺もそうしてきた」
「えっ?」
「それが一番覚える」
「――そうか・・・」
呟いて、誾千代は唇の赤に自分の指の腹で触れる。
「前にも聞いたが、欲しいと願ったものは手に入ったのか?」
「さぁな・・・。目の前にあるのにいつもお預けをくらっている」
「?」
誾千代が不思議そうに自分を見てくるので、宗茂は身を乗り出して腕を伸ばして、誾千代の唇に触れていた手を掴み取ると、驚いたように誾千代がやめろという抵抗を無視して、
「今、欲しいのは――」
誾千代の唇を宗茂は指でなぞる。
「ここにくちづける権利だな」
「何ふざけている?!」
「俺はふざけちゃいないさ」
パッと宗茂が誾千代の手を解放すれば、誾千代はじりじりと座ったまま壁際まで後ずさり、キッと宗茂を睨みつける。
「いい加減許してくれてもいいんじゃないのか?」
「――っ・・・・ふざけるな!」
「至極真面目なつもりだ」
まぁ、いいと宗茂は薄く笑うと、体勢を整え直すように座りなおして、評定での話の続けようとしたが、誾千代は壁際でじっと宗茂を睨み付けたまま動かない。
宗茂が悪かった、と言えば、誾千代は睨んでいた目を緩めた。
それから、ゆらりと立ち上がると、宗茂の前に座りなおす。
気を取り直して宗茂が続けようとすれば、誾千代がふわりと手を差し出してきた。
何をするつもりかと思えば、宗茂の肩に触れてそれに驚くより早く宗茂の顔の前に、誾千代のそれがあった。
「――・・・」
唇に触れた温かさが、誾千代のそれだと分かるまでに数瞬。
気付いてすぐに誾千代の背に手を回していた。
「――お前には・・・、世話になっている。礼だ。・・・他意は・・・ない。こんなもので済むなら、安いものだ」
唇を離した誾千代がそう言った。
それに宗茂は笑って、そうか、と誾千代を抱き寄せる。ほのかに赤く染まった頬がある。部屋の淡い灯りに縁取られた鼻筋や口許、そっと伏せる瞼。
改めて誾千代の顔を見つめなおして、宗茂は口端を緩くつり上げた。
「そうか、お前が素直じゃないことはよく知っているからな」
「――何をっ!」
今度は宗茂が誾千代の顎を掴んで上向かせて、唇を奪う。
くちづけれるというのはいいものだ、と宗茂は思う。口を開けば文句ばかり言う唇を静かにさせることは出来て、なおかつ、このあたたかさは心地がいい。
出陣の朝。
その日の空は、水のようにツンと薫ることのない透き通った青。
彼方へと突き抜けるゆく自由な風。
その風をまとい、雷神と呼ばれた父を持つ娘はどう羽ばたくのか。その翅をどう鮮やかに躍らせるのか。宗茂はそれが見たい。そして、
「誾千代」
妻の名を呼んで手を差し伸べれば、その手を誾千代は跳ね除ける。
つれないなぁ、と言いながら奇妙な安堵感が胸の片隅で渦巻いているのも、確かな事実。それが誾千代らしく、宗茂は嫌いではないのだ。
「では、行くか」
そう言えば、誾千代が小さく頷く。
濁りがまったくない澄んだ瞳を宗茂に真っ直ぐに向ける。
空は、青く深くどこまでも遠く広がっている。
その青に風が舞う。
その風を揺らし、そして、揺られるのは――・・・・。
<終わり>
【前】
自分の物に比べて太くしっかりとした指の先に固い爪がある。その爪を見ながら誾千代はふっと自分の爪に触れる。
自分の爪よりも宗茂の爪はやはり固いのだろうかなどとぼんやり考えていれば、誾千代、と呼ばれたので顔を上げて宗茂を見る。目が合えば
「聞いているのか?」
そう問われて、誾千代は無言で宗茂を睨む。
誾千代は、評定に出た宗茂から布陣の説明を聞いていた。
「本陣西の守り、右翼を任された」
「そうか・・・」
「で、広く分散させることは出来ないが、我らが二手に分かれて」
「えっ?」
誾千代の驚きを薄く笑って宗茂は受け止める。
置いていかれた自分の出陣があるとは思っていなかったのだろう。
「ここを我らで守る」
「それは聞いた。父上は――何か言っていたか?」
「いいや。高橋の父は驚いていたがな」
「義父上が・・・」
誾千代が自分の父を義父上と呼ぶのが宗茂には不思議に思え、ふっと笑いがこみ上げる。それを何が可笑しいとキッと誾千代が睨みつけてくるので、別にとへらっと笑ってみせる。
評定後、宗茂は実父に肩を掴まれたことを思い出す。
誾千代殿を戦場に出すのか、と問いただしてきたのを、にこりと笑って受け流した。
また説教でもしようしたらしい父だったが、宗茂の背後の道雪の視線に気付き、唇を閉ざした。しばらく視線を彷徨わせた後、大きく溜息を吐き落とした。そして、
「お前はもう――立花の人間だったな。口出し無用、ということだな。すまない」
そう寂し気に微笑んだ。
道雪が何も言わないのに自分が口出しすることなど出来ないと思ったのだろう。
そんな父を見て宗茂も、ふと微笑む。
もう自分は立花の人間。
その時、初めて本当の意味で高橋の父から巣立った気がした。
寂しい、と思わないわけでもない。
けれど、立花の人間になることを決めたのは他ならぬ自分自身なのだ。
「けれど、宗茂――」
「何だ?」
「まだ完成していない。出来ていない」
「いや、もう平気だろう」
「他人事だと思って、お前は」
「いいや、実践した方が体は覚えるというものだ。俺もそうしてきた」
「えっ?」
「それが一番覚える」
「――そうか・・・」
呟いて、誾千代は唇の赤に自分の指の腹で触れる。
「前にも聞いたが、欲しいと願ったものは手に入ったのか?」
「さぁな・・・。目の前にあるのにいつもお預けをくらっている」
「?」
誾千代が不思議そうに自分を見てくるので、宗茂は身を乗り出して腕を伸ばして、誾千代の唇に触れていた手を掴み取ると、驚いたように誾千代がやめろという抵抗を無視して、
「今、欲しいのは――」
誾千代の唇を宗茂は指でなぞる。
「ここにくちづける権利だな」
「何ふざけている?!」
「俺はふざけちゃいないさ」
パッと宗茂が誾千代の手を解放すれば、誾千代はじりじりと座ったまま壁際まで後ずさり、キッと宗茂を睨みつける。
「いい加減許してくれてもいいんじゃないのか?」
「――っ・・・・ふざけるな!」
「至極真面目なつもりだ」
まぁ、いいと宗茂は薄く笑うと、体勢を整え直すように座りなおして、評定での話の続けようとしたが、誾千代は壁際でじっと宗茂を睨み付けたまま動かない。
宗茂が悪かった、と言えば、誾千代は睨んでいた目を緩めた。
それから、ゆらりと立ち上がると、宗茂の前に座りなおす。
気を取り直して宗茂が続けようとすれば、誾千代がふわりと手を差し出してきた。
何をするつもりかと思えば、宗茂の肩に触れてそれに驚くより早く宗茂の顔の前に、誾千代のそれがあった。
「――・・・」
唇に触れた温かさが、誾千代のそれだと分かるまでに数瞬。
気付いてすぐに誾千代の背に手を回していた。
「――お前には・・・、世話になっている。礼だ。・・・他意は・・・ない。こんなもので済むなら、安いものだ」
唇を離した誾千代がそう言った。
それに宗茂は笑って、そうか、と誾千代を抱き寄せる。ほのかに赤く染まった頬がある。部屋の淡い灯りに縁取られた鼻筋や口許、そっと伏せる瞼。
改めて誾千代の顔を見つめなおして、宗茂は口端を緩くつり上げた。
「そうか、お前が素直じゃないことはよく知っているからな」
「――何をっ!」
今度は宗茂が誾千代の顎を掴んで上向かせて、唇を奪う。
くちづけれるというのはいいものだ、と宗茂は思う。口を開けば文句ばかり言う唇を静かにさせることは出来て、なおかつ、このあたたかさは心地がいい。
出陣の朝。
その日の空は、水のようにツンと薫ることのない透き通った青。
彼方へと突き抜けるゆく自由な風。
その風をまとい、雷神と呼ばれた父を持つ娘はどう羽ばたくのか。その翅をどう鮮やかに躍らせるのか。宗茂はそれが見たい。そして、
「誾千代」
妻の名を呼んで手を差し伸べれば、その手を誾千代は跳ね除ける。
つれないなぁ、と言いながら奇妙な安堵感が胸の片隅で渦巻いているのも、確かな事実。それが誾千代らしく、宗茂は嫌いではないのだ。
「では、行くか」
そう言えば、誾千代が小さく頷く。
濁りがまったくない澄んだ瞳を宗茂に真っ直ぐに向ける。
空は、青く深くどこまでも遠く広がっている。
その青に風が舞う。
その風を揺らし、そして、揺られるのは――・・・・。
<終わり>
【前】
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