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茂る森は昼にも関わらず、穏やかな日の光も通さない。
時々、鳥の鳴く声が響くだけで人はおろか獣もいないかのような静寂さ。
――ここだな。方向的にも良い。
三成がひとりそう思っていると、その静寂さを破る草木を無理にかき分ける音がして、何事かとその音の方向に向かう。
あれは――。
知っている顔だ。確か立花誾千代。しゃがみこんでいる。
見ていると、ひらりと誾千代の手が風に舞うように揺れた。
何をするのかと思えば、花を手折っている。
小さな淡い橙の花。
見れば一面に群れ咲いている。
誾千代は、手折った花を楽しげに微笑んで眺めている。
「――・・・」
その笑顔があまりに素直で、子供のようで普段の彼女からは考えられなくて。
見てはいけないものを見てしまった気分になったその時。
誾千代、と彼女を呼ぶ声がしたかと思うと、彼女の夫―立花宗茂―が姿を現す。
「勝手にふらふら出かけるな」
「私に命令するな」
「これは命令じゃないだろう」
噂通りうまくいっていない夫婦のようだな。
そういった噂話に疎い三成でさえ知っている。
ふたりは、三成が聞いているなどとは思いも知らずに言い争いを続けている。
早く行ってくれないものかと苛立ちを抑えつつ、待っていた三成だったが、自らの足元にも花が咲いているのを見つける。
――こんな小さな花を愛でて喜んでいるのとは、立花立花とうるさく、いきがっていても、所詮は女。
ぐしゃりとその花を三成は、踏み潰す。
どんなに美しい花でも、すぐに散って儚く消える。
ならば――自らで散らせてやる。
――女とは。
本当におろかでくだらない。
思い返される、もうどこへも行く着かせることができない滲む想いを踏み潰す様に、再度強く花を踏む。
けれど、三成の中で、その想いが何であるのか、今でも分からない。
秀吉による小田原征伐が始まったばかりの頃。
三成は、小田原城から見える位置に秘密裏に城を築き、北条に衝撃を与えると共に戦意を喪失させたいというのだ。その城を築く場所を探すように命じられ、適した場所を探していた。
北条に気付かれることなく築けて、けれど、小田原城から見えないといけない。
土地勘がないだけに苦労はしたが、どうにか笠懸山にその場所を見つけたその日。
お前の指図は受けない――!
そうぴしゃりと言うと、颯爽と去っていった女、立花誾千代。
彼女は、秀吉の九州平定後、大友宗麟の陪臣から一大名に取り立てられた立花宗茂の妻。その立花宗茂は、婿養子だという。
形ばかりとはいえ継いでいた家督を結婚後、宗茂に譲っている。
あの女のことだ。夫といえど矜持が許さないのだろう。
不仲なのは、そのせいだろうと容易に想像できる。
誾千代、と宗茂が彼女の名を呼びながら背を追って行く。
あれが妻では大変だろう。
他人事ながら同情していた三成だったが、ふと眉根を歪ませる。
追いついた宗茂が、笑いながら誾千代の腕を取ると、そのまま抗う彼女を抱きしめる。
最初は文句を言っていた誾千代だったが、いつしか黙って、大人しく抱かれている。
そんな彼女に、宗茂はそっと唇を重ねようとしている。
覗き見の趣味はない。
歩行が困難な道を選ばないといけないのかと内心うんざりしながら、三成は踵を返した。しばらく歩いていると、目に眩しく光が当たった。
遠くに水平線のかたちに切り取られた海が、きらりと光っているのが見えた。
――三成さま。
海は、この琵琶湖よりも広くて大きいって本当かしら?
一度見てみたい。
三成の日常に、今、そう言った女はいない。
あの女がいないことが、今の石田三成の日常なのだ。
あの女のことを思い出すことはない。忘れた。
そう思っていた。
けれど――、分かっている。
思い出さないことと、忘れることが違うということを。
思い出さないということは、忘れていないからこそ起こる気持ちだということを、三成は知っている。
「くだらない!」
はき捨てるように言った言葉は、むなしく空に浮く。
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