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「お力をお貸しください」
信幸の押し殺した声が、忠勝の胸を突いた。
その声に忠勝のたましいがピクリと震え、声の軌跡を辿る。そこには平伏した婿の姿。顔を上げよ、と言えばひどく落ち着いた視線が忠勝を射る。
忠勝の元を訪れてきた信幸が、挨拶するより早く平伏し、そう言った。
そして、顔を上げれば、
「お力をお貸しください」
再度同じことを言う。
その瞳があまり真摯で――主君である家康に「何を思っているのか分からない」と評された信幸ではなく、見たこともない男がいるように忠勝には思えた。
「力とは・・・、父弟君の助命のことか?」
「はい」
真っ直ぐに射てくるその瞳から、忠勝は目が離せない。
「父弟君の助命は難しい。殿も、秀忠さまもお怒りだ」
「承知しております」
ひどく落ち着いた声音とは裏腹に、その瞳には狂気すら滲んでいるようで。
忠勝は、息を呑む。
ふと見れば、首と手に傷を負っている。着衣で白い包帯を隠すようにしている。
今回、信幸は合戦には出ていない。
けれど、裏で何かやっていたのだろう。
あの男―昌幸―の息子だな、と半ば関心すらしてしまう。
そして、思い出す。
小田原の戦いの折、鉢形城にやすやすと信幸は入り込んでいたことを。
きっと上田城なり、戸石城なりに忍び込み、何かあったのだろう。
部屋に散らばる沈黙を揺らすように忠勝は溜息を落とすと、
「借りを返す時かもしれぬな」
「借り?」
小田原の時、北条の物見に狙われた時、婿に助けられた。
そう続ける忠勝に、信幸の瞳は不安定に揺れる。
覚えていないらしい。それほどまでに信幸には、ささいなことだったのかもしれない。
覚えていないのか、と苦笑を向ければ、信幸は曖昧な笑みをほんの少しだけ唇に乗せる。
「本当に覚えていないのか」
繰り返して、ははっと忠勝は笑うしかない。
「殿じゃないが、まこと奇妙な男だのう」
「――・・・」
「直政も康政も、婿殿のことを気にかけていた。だから、味方は多いぞ」
相手は、殿だから油断は出来ないがな、とほろりと笑いを落とせば、信幸の頬も微かに揺れる。その微かな揺れをみながら、
「婿殿を死なせてしまえば、わしは稲に一生口を利いてもらえないどころか、あの気性だ。後を追うかもしれない」
ぴくりと信幸の肩が一瞬揺れた。けれど、顔に浮かぶは無の表情。
けれど、
「稲は――・・・」
低く言ったかと思えば、後の言葉は続かないらしい。
けれど、忠勝にはそれだけで満足だった。信幸が娘のことを気にかけているのが分かったからそれでいいと父親としてはそう思い、また、一武将として信幸に、
「助命が叶わなければ死ぬ気であろう?いや、自らの命と引き換えに助命を申し出るつもり・・・か?」
「――」
「図星か」
信幸が戸惑ったのが分かった。
信幸が見せた戸惑いを忠勝は面白気に受け止め、
「力を貸そう」
力強く言う。それに信幸の瞳が緩んだを見て、忠勝の目も緩む。
今、家康は大坂城にいる。
その殿舎に忠勝と共に向かう途中、廊に井伊直政の姿があった。
関ヶ原で怪我を負ったと聞いている。事実、腕をつったままの姿である。
無言のまま、忠勝と信幸の後に続く。忠勝と話してあるのだろうと信幸は思ったが、共に来たのは家康がいるという部屋の前まで。入り口で立ち止まった。
家康を前にして、まずは信幸が関ヶ原の戦勝の祝辞を述べ終えないうちに、
「父と弟の命乞いか?」
家康の声が尖っている。信幸は平伏したまま、それを聞いた。
忠勝が、家康に今までの信幸の忠義や、この度の戦での父弟と袂を別ってでも徳川についたことなどを熱く語っている。
平伏したまま信幸は、それを他人事のように聞いていたが、話が剣呑な流れになっていくので、許しも請わずに顔を上げた。
それに気付いた家康が、信幸を見て眉を歪める。
勝手に顔を上げた無礼に眉を歪めたのではない。信幸の目を見て眉を歪めた。
信幸の瞳の芯に揺れる炎の影に眉を歪めたのだ。
けれど、不思議と静かな目なのだ。瞳の芯を炎で揺らしながらも静かな目。
この目を知っている。
石田三成と同じだ、と思った。
捕らえられたあの男も、抵抗こそしないけれど、そんな炎を宿した目をして、最期を迎えた。死を覚悟し、それを受け入れているが、最期の最期まで再起への希望を捨てていなかった。
「殿は私に――」
と信幸が言った。
「まずは稲を下さり、それから、小山評定の折に沼田と父の領地である上田を安堵して下さり、とても感謝しております」
「うむ」
「そして、今、父と弟に死を下さる」
「――・・・」
「いただきましたものを全てお返ししようと思っております」
「信幸?!」
焦ったのは忠勝も一緒。
見れば信幸は、ゆらりと微笑んでいる。楽し気にすら見える笑みを浮かべている。
それを見て忠勝は、信幸の覚悟を受け取り、
「殿」
と戦場で上げるような怒号を上げる。
「殿は、今まで誠実に仕えて者に非情な命を与える。そんな非情な人に今まで仕えていたとは忠勝の恥じゃ!」
婿殿、と昂然と叫ぶ。
「合戦の支度を整えよ!」
「何?!」
焦ったのは家康。
「本多と真田で徳川に戦いを挑みます!」
「何を言っているのだ?!」
忠勝が、一時の気まぐれだけの脅しをかけてくる男ではないことは家康はよく知っている。
「本多とこの我が婿と、上田にある昌幸殿、幸村殿、それに――」
その時、無言のうちに井伊直政が部屋に入ってきた。
続いて、いつの間に来たのか榊原康政の姿もある。
徳川四天王のうち、隠居した酒井忠次を除く3人が揃った。
「勝機は十分にある!天下を取ることも可能だ!真田殿は戦上手!どのような策を巡らし、我らを使うのか楽しみで仕方がない」
豪快に笑い、信幸を促して立ち上がる。
今ここで徳川の譜代たちの反乱が起きれば、大きな動揺が走る。
それに徳川は真田が苦手だ。
家康としては泣いて馬謖を斬るとばかりに昌幸と幸村に切腹させ、他の大名への統制の見せしめにと思う気持ちがあったのだが――。
待て、と家康が言った。
まずは忠勝、直政、康政をゆっくりと見渡した後、最後に信幸を見る。
信幸は嫣然と微笑んでいる。
――変わった。
と思ったが、すぐに違うと思った。前からこういう男だったのだろう。
「何を考えているのか分からない目をしている時は、本当に何も考えていないだけです」
かつて信幸がそう言っていた。その通りなのだろう。
今は、本当に何も考えずに構えていられる時勢ではない。
信幸は、手放しては何をするか分からない男だ。
身内に組み入れておかねばならない。
「分かった。信幸の孝心に免じて許す」
家康が言う。それを聞いて忠勝は、
「それでこそお仕えした甲斐があったというもの。まことに有難い。我ら一層忠勤に励みます!」
ガバッと芝居じみた口調で平伏する。続いて信幸も。
家康が苦笑するしかないが、悪い気はしていない。忠義に厚い家臣に恵まれていると一種満足すらする。
一気に緊張感が解けた室内だが――。
「真田殿?」
まずそれに気付いたのは、直政。後ろから見ていたから気付いたのだろう。
信幸の肩が震えている。
泣いている――家康も驚いた。
顔を上げるように言うが、出来ないらしい。
静かに泣いている。だから、顔を上げられない。
この乱世。
親兄弟であっても憎み合い、戦い合う時代。その中にあって真田の家の結束は固い。
かつて家康も長男を切腹させている。
「外の空気を吸いたい」
家康が、3人に言う。だから、ついてこいと。静かに皆頷くと退室する。
しばらくして、残された信幸の嗚咽が洩れた頃。廊にいてそれを聞いた家康が、
「あの男も泣くのだな」
そんな言葉をぽつり零した。
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信幸の押し殺した声が、忠勝の胸を突いた。
その声に忠勝のたましいがピクリと震え、声の軌跡を辿る。そこには平伏した婿の姿。顔を上げよ、と言えばひどく落ち着いた視線が忠勝を射る。
忠勝の元を訪れてきた信幸が、挨拶するより早く平伏し、そう言った。
そして、顔を上げれば、
「お力をお貸しください」
再度同じことを言う。
その瞳があまり真摯で――主君である家康に「何を思っているのか分からない」と評された信幸ではなく、見たこともない男がいるように忠勝には思えた。
「力とは・・・、父弟君の助命のことか?」
「はい」
真っ直ぐに射てくるその瞳から、忠勝は目が離せない。
「父弟君の助命は難しい。殿も、秀忠さまもお怒りだ」
「承知しております」
ひどく落ち着いた声音とは裏腹に、その瞳には狂気すら滲んでいるようで。
忠勝は、息を呑む。
ふと見れば、首と手に傷を負っている。着衣で白い包帯を隠すようにしている。
今回、信幸は合戦には出ていない。
けれど、裏で何かやっていたのだろう。
あの男―昌幸―の息子だな、と半ば関心すらしてしまう。
そして、思い出す。
小田原の戦いの折、鉢形城にやすやすと信幸は入り込んでいたことを。
きっと上田城なり、戸石城なりに忍び込み、何かあったのだろう。
部屋に散らばる沈黙を揺らすように忠勝は溜息を落とすと、
「借りを返す時かもしれぬな」
「借り?」
小田原の時、北条の物見に狙われた時、婿に助けられた。
そう続ける忠勝に、信幸の瞳は不安定に揺れる。
覚えていないらしい。それほどまでに信幸には、ささいなことだったのかもしれない。
覚えていないのか、と苦笑を向ければ、信幸は曖昧な笑みをほんの少しだけ唇に乗せる。
「本当に覚えていないのか」
繰り返して、ははっと忠勝は笑うしかない。
「殿じゃないが、まこと奇妙な男だのう」
「――・・・」
「直政も康政も、婿殿のことを気にかけていた。だから、味方は多いぞ」
相手は、殿だから油断は出来ないがな、とほろりと笑いを落とせば、信幸の頬も微かに揺れる。その微かな揺れをみながら、
「婿殿を死なせてしまえば、わしは稲に一生口を利いてもらえないどころか、あの気性だ。後を追うかもしれない」
ぴくりと信幸の肩が一瞬揺れた。けれど、顔に浮かぶは無の表情。
けれど、
「稲は――・・・」
低く言ったかと思えば、後の言葉は続かないらしい。
けれど、忠勝にはそれだけで満足だった。信幸が娘のことを気にかけているのが分かったからそれでいいと父親としてはそう思い、また、一武将として信幸に、
「助命が叶わなければ死ぬ気であろう?いや、自らの命と引き換えに助命を申し出るつもり・・・か?」
「――」
「図星か」
信幸が戸惑ったのが分かった。
信幸が見せた戸惑いを忠勝は面白気に受け止め、
「力を貸そう」
力強く言う。それに信幸の瞳が緩んだを見て、忠勝の目も緩む。
今、家康は大坂城にいる。
その殿舎に忠勝と共に向かう途中、廊に井伊直政の姿があった。
関ヶ原で怪我を負ったと聞いている。事実、腕をつったままの姿である。
無言のまま、忠勝と信幸の後に続く。忠勝と話してあるのだろうと信幸は思ったが、共に来たのは家康がいるという部屋の前まで。入り口で立ち止まった。
家康を前にして、まずは信幸が関ヶ原の戦勝の祝辞を述べ終えないうちに、
「父と弟の命乞いか?」
家康の声が尖っている。信幸は平伏したまま、それを聞いた。
忠勝が、家康に今までの信幸の忠義や、この度の戦での父弟と袂を別ってでも徳川についたことなどを熱く語っている。
平伏したまま信幸は、それを他人事のように聞いていたが、話が剣呑な流れになっていくので、許しも請わずに顔を上げた。
それに気付いた家康が、信幸を見て眉を歪める。
勝手に顔を上げた無礼に眉を歪めたのではない。信幸の目を見て眉を歪めた。
信幸の瞳の芯に揺れる炎の影に眉を歪めたのだ。
けれど、不思議と静かな目なのだ。瞳の芯を炎で揺らしながらも静かな目。
この目を知っている。
石田三成と同じだ、と思った。
捕らえられたあの男も、抵抗こそしないけれど、そんな炎を宿した目をして、最期を迎えた。死を覚悟し、それを受け入れているが、最期の最期まで再起への希望を捨てていなかった。
「殿は私に――」
と信幸が言った。
「まずは稲を下さり、それから、小山評定の折に沼田と父の領地である上田を安堵して下さり、とても感謝しております」
「うむ」
「そして、今、父と弟に死を下さる」
「――・・・」
「いただきましたものを全てお返ししようと思っております」
「信幸?!」
焦ったのは忠勝も一緒。
見れば信幸は、ゆらりと微笑んでいる。楽し気にすら見える笑みを浮かべている。
それを見て忠勝は、信幸の覚悟を受け取り、
「殿」
と戦場で上げるような怒号を上げる。
「殿は、今まで誠実に仕えて者に非情な命を与える。そんな非情な人に今まで仕えていたとは忠勝の恥じゃ!」
婿殿、と昂然と叫ぶ。
「合戦の支度を整えよ!」
「何?!」
焦ったのは家康。
「本多と真田で徳川に戦いを挑みます!」
「何を言っているのだ?!」
忠勝が、一時の気まぐれだけの脅しをかけてくる男ではないことは家康はよく知っている。
「本多とこの我が婿と、上田にある昌幸殿、幸村殿、それに――」
その時、無言のうちに井伊直政が部屋に入ってきた。
続いて、いつの間に来たのか榊原康政の姿もある。
徳川四天王のうち、隠居した酒井忠次を除く3人が揃った。
「勝機は十分にある!天下を取ることも可能だ!真田殿は戦上手!どのような策を巡らし、我らを使うのか楽しみで仕方がない」
豪快に笑い、信幸を促して立ち上がる。
今ここで徳川の譜代たちの反乱が起きれば、大きな動揺が走る。
それに徳川は真田が苦手だ。
家康としては泣いて馬謖を斬るとばかりに昌幸と幸村に切腹させ、他の大名への統制の見せしめにと思う気持ちがあったのだが――。
待て、と家康が言った。
まずは忠勝、直政、康政をゆっくりと見渡した後、最後に信幸を見る。
信幸は嫣然と微笑んでいる。
――変わった。
と思ったが、すぐに違うと思った。前からこういう男だったのだろう。
「何を考えているのか分からない目をしている時は、本当に何も考えていないだけです」
かつて信幸がそう言っていた。その通りなのだろう。
今は、本当に何も考えずに構えていられる時勢ではない。
信幸は、手放しては何をするか分からない男だ。
身内に組み入れておかねばならない。
「分かった。信幸の孝心に免じて許す」
家康が言う。それを聞いて忠勝は、
「それでこそお仕えした甲斐があったというもの。まことに有難い。我ら一層忠勤に励みます!」
ガバッと芝居じみた口調で平伏する。続いて信幸も。
家康が苦笑するしかないが、悪い気はしていない。忠義に厚い家臣に恵まれていると一種満足すらする。
一気に緊張感が解けた室内だが――。
「真田殿?」
まずそれに気付いたのは、直政。後ろから見ていたから気付いたのだろう。
信幸の肩が震えている。
泣いている――家康も驚いた。
顔を上げるように言うが、出来ないらしい。
静かに泣いている。だから、顔を上げられない。
この乱世。
親兄弟であっても憎み合い、戦い合う時代。その中にあって真田の家の結束は固い。
かつて家康も長男を切腹させている。
「外の空気を吸いたい」
家康が、3人に言う。だから、ついてこいと。静かに皆頷くと退室する。
しばらくして、残された信幸の嗚咽が洩れた頃。廊にいてそれを聞いた家康が、
「あの男も泣くのだな」
そんな言葉をぽつり零した。
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