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晩秋とも初冬ともいえるような、そんな曇りの日。
上田城には張り詰めた静寂が漂っていた。上田城で篭城をしていた昌幸と幸村は、信幸の助命嘆願により命は長らえたが、九度山へ流刑となった。
その城の受取の日。
雪か氷雨でも降ってきそうな空の中、無事何事もなく城の受取は終わった。
信幸の手が、ひらり揺れる。
何か説明を聞いていたらしい信幸だったが、疑問点でもあったのか、相手――本多忠政と仙石秀久――に、ひらり手を差し出し、何かを聞いている。
幸村は、そんな兄の様子を見ていたが、その視線に気付いたらしい信幸の目とまともにぶつかってしまい、慌てて視線を反らしたが、それもなんだかおかしな気もして、再度兄を見れば、兄は静かな目で幸村を見ていた。
水のように澄んだ、穏やかな目にも見える。
冷たく、突き放したような目にも見える。
どちらが本音、いや、どちらも本音?
幸村はまたたきをひとつ。短い溜息と共に唇を歪ませる。
家康に助命嘆願をした時、兄はどんな眼をしていたのだろうか。
それが知りたいと思った。
稲の父である本多忠勝と合戦の覚悟があると、なかば脅迫にちかい助命嘆願だったというのは、どこからともなく洩れてくる噂話によって知っている。
しばらく視線が絡まったが、やがて、それに気付いた忠政が、
「久しぶりの兄弟の対面ですから」
言うと、仙石秀久と共に静かに去っていく。
きしりというふたりのたてる廊の軋みも聞こえなくなった頃、信幸が近づいてきた。
「父上は?」
「さぁ、受取が終わったらさっさと行ってしまいました」
「父上らしいな」
信幸が軽く笑う。短く笑った後、視線を固めると、
「お前は、死んだ方が良かったか?」
「えっ?」
「生き長らえるよりも、死を与えられた方が良かったか?」
「――それは・・・」
関ヶ原の敗戦を聞いたとき、実感がなかった。
現場にいなかったから、というよりは上田は有利でいたからだろう。
「――正直分かりません」
「そうか。なら、いい」
「えっ?」
「――お前は死を選ぶのではないかと思ったから、そうでないと分かって安堵した」
「――・・・」
「あの時」
信幸が、幸村の肩に触れた。
あの時――一緒に来ないと誘われた――と同じように、思わずびくりと体を揺らした幸村を楽しむかのような意地悪さで眺めた後、そっと肩を手を離す。
離された手の指の先までも、じっと幸村は見つめる。
あの時、あの手を取っていたなら、そんな考えが幸村は心の中に浮かぶ。
「お前が、一緒に来なかったあの時から、お前は」
「いつから・・・知っていたのですか?」
「何を?」
含み笑いを頬に浮かべる兄に、幸村の眉根が歪む。
それを楽しそうに笑った信幸だったが、
「さぁな。気が付いたら知っていた、というところだろう」
信幸の言葉に、幸村も納得する。
幸村自身、いつから好きだったのか、何かきっかけがあったのか、まったく覚えていないし、それを探りたいとも思わなかった。ただ気付いたら、呼吸をするのと同じぐらい当たり前のことだった。
「私があの時、兄上と一緒に行っていたらどうするつもりだったのですか?」
「お前は私が欲しかったか?」
「――・・・」
「兄弟という倫理的な問題はあるが、男同士、子ができるわけでもないのだから、別にいいさ」
信幸の言葉に、幸村の眉根は解けたが、代わりに口の端がぴくりと震えた。
「それは――」
それは、自分の心を知った上で、ただ駒として自分が欲しかったから、代わりに褒美として自らを与える、ということですか?
訊ねたくとも言葉は途切れた。
兄が欲しい、と思ったこともあるが、それは・・・。
ちくりと胸の中に何かが刺さった。
途端、息苦しくなって信幸を見ていられなくなった。見ていたいけれど、見れば苦しい。
幸村は、胸の中に得体のしれない影が、ひたひたと忍び寄ってくるのを感じた。
顔を反らした幸村を、信幸は何か思うところがあるのだろう、とでも思ったのかだろうか、小さく息を吐いた。
「お前が私の手を取らなかったあの時から、お前は本当の意味でお前の道をいくことが出来るようになったのだろう」
「私の道?」
信幸が頷く。
「何をしても構わない。ただ、いてくれさえすればいい」
「えっ?」
そっと信幸が視線を外へと向ける。そろそろか、と溜息のような呟きを落とす。
城を出る時刻だ、と言う信幸に、幸村は頷いた。
最後にふたり、真っ直ぐに互いを見据える。
反らしたいような、反らしたくないのか、入り組んだ感情の中、視線をただ受け取るだけで精一杯で、胸が痛い。苦しくて唇を噛む。
しばらくそうしていたけれど、そっと視線は信幸によって反らされた。
そのまま、踵を返して行ってしまう兄の背を、幸村は拳を強く握りながら見つめた。
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上田城には張り詰めた静寂が漂っていた。上田城で篭城をしていた昌幸と幸村は、信幸の助命嘆願により命は長らえたが、九度山へ流刑となった。
その城の受取の日。
雪か氷雨でも降ってきそうな空の中、無事何事もなく城の受取は終わった。
信幸の手が、ひらり揺れる。
何か説明を聞いていたらしい信幸だったが、疑問点でもあったのか、相手――本多忠政と仙石秀久――に、ひらり手を差し出し、何かを聞いている。
幸村は、そんな兄の様子を見ていたが、その視線に気付いたらしい信幸の目とまともにぶつかってしまい、慌てて視線を反らしたが、それもなんだかおかしな気もして、再度兄を見れば、兄は静かな目で幸村を見ていた。
水のように澄んだ、穏やかな目にも見える。
冷たく、突き放したような目にも見える。
どちらが本音、いや、どちらも本音?
幸村はまたたきをひとつ。短い溜息と共に唇を歪ませる。
家康に助命嘆願をした時、兄はどんな眼をしていたのだろうか。
それが知りたいと思った。
稲の父である本多忠勝と合戦の覚悟があると、なかば脅迫にちかい助命嘆願だったというのは、どこからともなく洩れてくる噂話によって知っている。
しばらく視線が絡まったが、やがて、それに気付いた忠政が、
「久しぶりの兄弟の対面ですから」
言うと、仙石秀久と共に静かに去っていく。
きしりというふたりのたてる廊の軋みも聞こえなくなった頃、信幸が近づいてきた。
「父上は?」
「さぁ、受取が終わったらさっさと行ってしまいました」
「父上らしいな」
信幸が軽く笑う。短く笑った後、視線を固めると、
「お前は、死んだ方が良かったか?」
「えっ?」
「生き長らえるよりも、死を与えられた方が良かったか?」
「――それは・・・」
関ヶ原の敗戦を聞いたとき、実感がなかった。
現場にいなかったから、というよりは上田は有利でいたからだろう。
「――正直分かりません」
「そうか。なら、いい」
「えっ?」
「――お前は死を選ぶのではないかと思ったから、そうでないと分かって安堵した」
「――・・・」
「あの時」
信幸が、幸村の肩に触れた。
あの時――一緒に来ないと誘われた――と同じように、思わずびくりと体を揺らした幸村を楽しむかのような意地悪さで眺めた後、そっと肩を手を離す。
離された手の指の先までも、じっと幸村は見つめる。
あの時、あの手を取っていたなら、そんな考えが幸村は心の中に浮かぶ。
「お前が、一緒に来なかったあの時から、お前は」
「いつから・・・知っていたのですか?」
「何を?」
含み笑いを頬に浮かべる兄に、幸村の眉根が歪む。
それを楽しそうに笑った信幸だったが、
「さぁな。気が付いたら知っていた、というところだろう」
信幸の言葉に、幸村も納得する。
幸村自身、いつから好きだったのか、何かきっかけがあったのか、まったく覚えていないし、それを探りたいとも思わなかった。ただ気付いたら、呼吸をするのと同じぐらい当たり前のことだった。
「私があの時、兄上と一緒に行っていたらどうするつもりだったのですか?」
「お前は私が欲しかったか?」
「――・・・」
「兄弟という倫理的な問題はあるが、男同士、子ができるわけでもないのだから、別にいいさ」
信幸の言葉に、幸村の眉根は解けたが、代わりに口の端がぴくりと震えた。
「それは――」
それは、自分の心を知った上で、ただ駒として自分が欲しかったから、代わりに褒美として自らを与える、ということですか?
訊ねたくとも言葉は途切れた。
兄が欲しい、と思ったこともあるが、それは・・・。
ちくりと胸の中に何かが刺さった。
途端、息苦しくなって信幸を見ていられなくなった。見ていたいけれど、見れば苦しい。
幸村は、胸の中に得体のしれない影が、ひたひたと忍び寄ってくるのを感じた。
顔を反らした幸村を、信幸は何か思うところがあるのだろう、とでも思ったのかだろうか、小さく息を吐いた。
「お前が私の手を取らなかったあの時から、お前は本当の意味でお前の道をいくことが出来るようになったのだろう」
「私の道?」
信幸が頷く。
「何をしても構わない。ただ、いてくれさえすればいい」
「えっ?」
そっと信幸が視線を外へと向ける。そろそろか、と溜息のような呟きを落とす。
城を出る時刻だ、と言う信幸に、幸村は頷いた。
最後にふたり、真っ直ぐに互いを見据える。
反らしたいような、反らしたくないのか、入り組んだ感情の中、視線をただ受け取るだけで精一杯で、胸が痛い。苦しくて唇を噛む。
しばらくそうしていたけれど、そっと視線は信幸によって反らされた。
そのまま、踵を返して行ってしまう兄の背を、幸村は拳を強く握りながら見つめた。
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