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「おもいがわ・・・というのですか」
と信幸が言った。
慶長5年、小山。下野犬伏で父弟と道を分かってすぐのこと。
真田家が二分したことは前もって文で知らせており、評定が開かれることになった小山に着いた信幸を、義父である本多忠勝が出迎えてくれ、いろいろと話を聞いていた。
この小山の地理の話の中、「おもいがわ」という言葉が出て、信幸は呟きを落とした。
思いもしないところで話を切られたらしく、忠勝が目をぽかりと驚きに染めている。
悪いことをしてしまったと信幸は思うが、忠勝の驚く目をどこかで見たようなと記憶を手繰れば、
「――稲か・・・」
妻が驚いた時に見せる目にそっくりなのだ。
普段顔の作りで似ていると思ったことがないが、やはり親子なのだな、としみじみと信幸は思う。
が、忠勝は婿の唐突とも思える呟きに戸惑っているらしい。
信幸が、ふっと唇を揺らしながら、
「田心川と聞いたことがあったもので」
と言えば、忠勝も納得した様子を見せた。
「以前はそう呼ばれていたらしいが、いつの間にか思川となったそうだ」
「そうですか。なんだか意味深な名ですね。何を思い、誰の思いを運ぶ川なのか・・・」
「――・・・」
忠勝の目に同情が浮かぶ。
血の繋がりが世に於いて重要視され、その「血」が奇妙なほどに権力を有している。 特に武家社会に於いては。
自分はその「血」の繋がりを有する父弟と道を分かった。
おそらく自分の言葉の奥に、親兄弟と別れたことへの哀愁を思ったのだろう。
前途遼遠な未来を憂いていると思ったのだろう。
信幸は、申し訳ない気持ちになる。
そんな後悔の感情を持ち合わせていない。だから、大丈夫だ。
いや、微塵もないとも言い切れないし、吹っ切れているとも違う。ただ「自分の行くべき道」を互いに選択しただけであって、その先に何があろうとも真田の家は残る。
だから――。
信幸は、口を開きかけて止める。珍しく言葉が見つからない。
いいや、違う。
同情されたままの方がいい、と思った。
徳川家康の重臣である本多忠勝に「父弟と袂を分かってまで徳川を選んだ婿」として「同情」されているのが、自分の今後の立場としていいのではないか。そう計算高い気持ちさえ芽生えている。
信幸の中を、いろいろな感情が螺旋を描く。
結局のところ、冷静なつもりでいるが、
「――私は、混乱しているでしょうかね」
「婿殿・・・」
同情をたっぷりと乗せた忠勝の目を、真っ直ぐに受け入れれば、自然と笑みが浮かんだ。
「今まで意識したことありませんが、親子ですね。稲と目がよく似ている」
「・・・そうか?」
似ている、と言われることが少ないのか忠勝は眉を歪めてはいるが、まんざらでもない様子だ。
きっと沼田に戻れば同じ目をした妻が同じように出迎えてくれるのだろう。
父弟と進むべき進路を違えたが、稲を妻にして、「血」の繋がりはないけれど、自分にはまだ親族がいる。幸村以下の弟たちも徳川につくだろう。
そう思えば不思議と心が軽くなった気がした。
哀愁も後悔もないと思っていた。思い込んでいた、だけなのかもしれない。
さわ・・・と冷たい風が吹いた。
その風は微かに水を含んでいるように思えて、信幸は小山を流れる思川を思う。
「運んで欲しいのは私の思いか・・・」
その言葉は声にはせず、口腔で留める。
と信幸が言った。
慶長5年、小山。下野犬伏で父弟と道を分かってすぐのこと。
真田家が二分したことは前もって文で知らせており、評定が開かれることになった小山に着いた信幸を、義父である本多忠勝が出迎えてくれ、いろいろと話を聞いていた。
この小山の地理の話の中、「おもいがわ」という言葉が出て、信幸は呟きを落とした。
思いもしないところで話を切られたらしく、忠勝が目をぽかりと驚きに染めている。
悪いことをしてしまったと信幸は思うが、忠勝の驚く目をどこかで見たようなと記憶を手繰れば、
「――稲か・・・」
妻が驚いた時に見せる目にそっくりなのだ。
普段顔の作りで似ていると思ったことがないが、やはり親子なのだな、としみじみと信幸は思う。
が、忠勝は婿の唐突とも思える呟きに戸惑っているらしい。
信幸が、ふっと唇を揺らしながら、
「田心川と聞いたことがあったもので」
と言えば、忠勝も納得した様子を見せた。
「以前はそう呼ばれていたらしいが、いつの間にか思川となったそうだ」
「そうですか。なんだか意味深な名ですね。何を思い、誰の思いを運ぶ川なのか・・・」
「――・・・」
忠勝の目に同情が浮かぶ。
血の繋がりが世に於いて重要視され、その「血」が奇妙なほどに権力を有している。 特に武家社会に於いては。
自分はその「血」の繋がりを有する父弟と道を分かった。
おそらく自分の言葉の奥に、親兄弟と別れたことへの哀愁を思ったのだろう。
前途遼遠な未来を憂いていると思ったのだろう。
信幸は、申し訳ない気持ちになる。
そんな後悔の感情を持ち合わせていない。だから、大丈夫だ。
いや、微塵もないとも言い切れないし、吹っ切れているとも違う。ただ「自分の行くべき道」を互いに選択しただけであって、その先に何があろうとも真田の家は残る。
だから――。
信幸は、口を開きかけて止める。珍しく言葉が見つからない。
いいや、違う。
同情されたままの方がいい、と思った。
徳川家康の重臣である本多忠勝に「父弟と袂を分かってまで徳川を選んだ婿」として「同情」されているのが、自分の今後の立場としていいのではないか。そう計算高い気持ちさえ芽生えている。
信幸の中を、いろいろな感情が螺旋を描く。
結局のところ、冷静なつもりでいるが、
「――私は、混乱しているでしょうかね」
「婿殿・・・」
同情をたっぷりと乗せた忠勝の目を、真っ直ぐに受け入れれば、自然と笑みが浮かんだ。
「今まで意識したことありませんが、親子ですね。稲と目がよく似ている」
「・・・そうか?」
似ている、と言われることが少ないのか忠勝は眉を歪めてはいるが、まんざらでもない様子だ。
きっと沼田に戻れば同じ目をした妻が同じように出迎えてくれるのだろう。
父弟と進むべき進路を違えたが、稲を妻にして、「血」の繋がりはないけれど、自分にはまだ親族がいる。幸村以下の弟たちも徳川につくだろう。
そう思えば不思議と心が軽くなった気がした。
哀愁も後悔もないと思っていた。思い込んでいた、だけなのかもしれない。
さわ・・・と冷たい風が吹いた。
その風は微かに水を含んでいるように思えて、信幸は小山を流れる思川を思う。
「運んで欲しいのは私の思いか・・・」
その言葉は声にはせず、口腔で留める。
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