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棚倉は冬は、寒い。
濃淡の差はあれど、灰色が毎日空を覆う。
外では雪が積もっている。静かに、雪は音もなく降りてくる。
火鉢近くに腰を下ろして、宗茂は瞼を閉じながら、じっと瞑想するように背筋を伸ばす。
火鉢は温かい。けれど、宗茂が求める温かさではない。
「柳川に――・・・」
ぽつり呟けば、その声に導かれたのか、人の起き上がる気配。宗茂が、瞼を開けば、そこには床に横たわっていた男が、無理に起き上がろうとしている姿。
「いい。そのままでいい、寝ていろ。これは命令だ、由布」
「いつ棚倉に?」
すっかり年老いて骨ばった由布に、宗茂は薄く笑う。
「昨日の晩。もうお前が危ないと聞いて、急いで来た。そろそろ逝くらしいな?」
由布は、皺がれた声で笑う。
「おかげさまで、宗茂さまには苦労ばかりかけられましたので」
「この棚倉の行政もすっかりお前に頼ってばかりだったな」
「それはいいのですが・・・。先程、柳川が、と言ってませんでしたか?」
「耳は遠くなっていないのだな!」
ははっと宗茂は笑って見せる。
「寒いのは苦手だから、柳川に帰りたいと思ってな」
「帰れるつもりですか?」
「あぁ。お前も一緒に帰りたかったな・・・。残念だ」
「すっかり私を、死んだものと思ってませんか?」
「時間の問題だろう?」
はぁ・・・と由布は、溜息を落とす。
「そうですな。ええ、そうですとも。やっと、宗茂さまのお守りから解放される。先に誾千代さまに会える」
「それはずるいな」
「何がずるいんですか?」
じろりと由布が睨みつけてくる。
すっかり年老いて、皺ばかりの顔で、髪も白いだけではなくかなり抜け落ちている老人だ。なのに、じろり睨まれれば、そこには武将としての眼光の鋭さは、残っている。さすがだな、と宗茂は思う。
「ずるいと思うのなら、なぜ誾千代さまを置いて、旅になど出ました?」
「初めて聞いてきたな」
長年の疑問だっただろう、それを由布が問いかけてきたのは初めてのこと。
「突然、外の世界を見てくると旅に出て、どうせすぐに帰ってくると待っていた誾千代さまは――」
「まさか、死ぬとは・・・思いもしなかったんだ」
「生活能力のない坊ちゃん故に、のたれ死なれては堪らないと探しに出た私すら、死に目に会えなかった」
由布の瞼の端に盛り上がった涙が、耳の方へするりと落ちて、髪を濡らす。もうそれを拭う力すら、ないのか、由布はそのまま涙を零す。
「すまなかった」
「年寄りは涙もろくなるんです!」
あの頃、よく喋り、時には無邪気なまでに笑うようになった誾千代。
誾千代が多弁になる時――それは、本音を押し隠している時。哀しい気持ち、寂しい気持ちを紛らわせ、押し隠そうとして、多弁になる。
誾千代が押し隠れていたのは、きっと立花の誇り。再起したい思い。家を潰した自分への非難への思い。
だから、再起への道を探る為に旅に出た。
結果、徳川家に御書院番頭として召し抱えられ、棚倉に領地を与えられた。
しかし、誾千代は死んだ。
かつて錆びた矢か刃から受けたであろう傷は、塞がったが、じわじわと誾千代の血を巡り、全身を巡り、そして、誾千代を弱らせ――。
初めて理由を、口に出した宗茂は、改めて何も慌てることはなかったのかもしれないと後悔に苛まれる。
死ぬとは思いもしなかった。
再起の足がかりを掴み、そして、誾千代を迎えにいくつもりだった。
なのに。
「俺が、誾千代にしようとすることは、すべて裏目に出る」
あぁ、と由布は重苦しい声を出す。
今死ぬのかと宗茂が焦れば、じりじりと意地となっているのか無理矢理体を起こすので、宗茂は手を貸す。
「宗茂さまは、本当に誾千代さまを分かっていない」
かつて見たことがある、怒っているような泣いているような目で由布が唸る。
「確かに――誾千代さまは、本音を押し隠す時に多弁になる。けれど、それだけはない!誾千代さまが多弁になるのは、嬉しかったり、気恥ずかしかったする時の方が多い!」
「えっ?」
「本気で本音を押し隠す時は、黙ることの方が多い!」
起き上がることも、涙を拭うことすら困難そうだった老人のどこに、そんな力が残っているのかと驚くほどに強い力で、腕を捕まれた。
「おふたりが初めて会った時、宗茂さまに助けられたことを恥ずかしそうに、なのに嬉しそうに話す誾千代さまを見て、恋をされたのだとすぐに分かった。」
「形ばかりの家督などと暴言を吐かれたと憤ってもいたが、では宗茂さまを婿にという話はなしにしましょう。そうすれば会わないで済む、と言えば慌てて、顔を赤く染めて誾千代さまは、嫌がった――・・・」
「そんな貴方が、立花に来てくれて嬉しかった」
「なのに、おふたりは――・・・」
「宗茂さまは、心底くだらない太閤との噂に惑わされ・・・」
「誾千代さまは、太閤に宗茂さまが褒められたことを、とても喜んでいた。太閤に呼ばれた時、思いがけず素直に夫が褒められて嬉しい様子を見せた誾千代さまに、太閤は手を出せなかった」
「だから、夫婦でじっくりと話せと言った」
そこまで吐き出した由布の肩が大きく揺れて、喉からごほごほと咳が飛ぶ。
宗茂は、ゆっくりと由布を、床に横たわらせる。
が、由布は宗茂の手を離さない。
「もう無理をするな」
「言い足りません」
「そうか、なら聞かせて貰おう。来世の為にもな」
「来世?」
「来世も誾千代を妻にするつもりだ。同じ過ちは出来ないからな」
先程までの勢いが、すっ・・・と冷めてしまったのか、由布は呆れたような顔をして、宗茂の手を離した。
「来世・・・ですか。来世でも妻とか、そんなことを言い切れるとは・・・」
でもまぁ、そんなお人だから我々も、ついつい付いてきてしまったのでしょう、と由布はひとり納得したのか、睫毛をぱちくりと上下させてから、軽く笑った。
「柳川にご一緒に帰れないのは残念ですな。本当に戻れるのか、黄泉の国で誾千代さまと見てます」
「柳川は、俺と誾千代で得た領地だから、絶対に戻って見せる」
それに――と宗茂は、付け加える。
「柳川にいるような気がするんだよ」
「――幽霊ですか?」
「幽霊でもいい。柳川に戻れば、初めて会った日のように、姿を隠しながら、こそこそと俺を伺ってそうな気がするんだ」
遠い日の思い出の輪郭を辿るように、目を細める宗茂の視線の先を、由布は探るように見つめる。
が、すぐに疲れたのか。
「お先に逝っております。誾千代さまのことを何も分かっていなかったと告げ口しておきましょう」
「それは止めてくれ。俺が逝ったら、栗を投げつけられる」
「はは」
「由布のおかげで、すっかりが栗が苦手だ」
「あの世にも栗は、ありますかね。あぁ、そうだ。私の棺に栗を入れて貰えますかね?誾千代さまへの土産です」
「却下する」
ふたりの目が、同時に笑って緩んだ。
「疲れただろう。休め。また明日、様子を見に来る」
由布は、首を振る。もういい、とにこりと微笑む。
それに、宗茂は静かに頷いた。
もうきっと本当に由布は――・・・。
苦手だったはずの由布を、自分は一番頼ってきた。
宗茂は、立ち上がり、再び由布を見れば、由布は瞼を閉じていた。
「世話になったな」
一言言い残して、部屋を出る。
廊に出れば、ふるふると雪が降っている。やはり棚倉は寒い。柳川に帰りたい。
柳川にきっと誾千代の魂がいる。こっそりとかくれているのだろう。
今度は力尽きない前に、助けてやらないとな、と宗茂は笑う。
「隠れていないで、姿を見せてくれないだろうか」
せめて夢の中でも、いい。
ふるふると降る雪に、そっと手を伸ばせば、雪は体温で溶ける。
まるで誾千代だ。掴んだと思えば消える。いや、俺が離してしまっただけか。
けれど、灰色の空から降ってくるその白に、宗茂は誾千代の面影を見たような気がして。
ふっと、胸に微笑を滲ませる。
【戻る】【前】
濃淡の差はあれど、灰色が毎日空を覆う。
外では雪が積もっている。静かに、雪は音もなく降りてくる。
火鉢近くに腰を下ろして、宗茂は瞼を閉じながら、じっと瞑想するように背筋を伸ばす。
火鉢は温かい。けれど、宗茂が求める温かさではない。
「柳川に――・・・」
ぽつり呟けば、その声に導かれたのか、人の起き上がる気配。宗茂が、瞼を開けば、そこには床に横たわっていた男が、無理に起き上がろうとしている姿。
「いい。そのままでいい、寝ていろ。これは命令だ、由布」
「いつ棚倉に?」
すっかり年老いて骨ばった由布に、宗茂は薄く笑う。
「昨日の晩。もうお前が危ないと聞いて、急いで来た。そろそろ逝くらしいな?」
由布は、皺がれた声で笑う。
「おかげさまで、宗茂さまには苦労ばかりかけられましたので」
「この棚倉の行政もすっかりお前に頼ってばかりだったな」
「それはいいのですが・・・。先程、柳川が、と言ってませんでしたか?」
「耳は遠くなっていないのだな!」
ははっと宗茂は笑って見せる。
「寒いのは苦手だから、柳川に帰りたいと思ってな」
「帰れるつもりですか?」
「あぁ。お前も一緒に帰りたかったな・・・。残念だ」
「すっかり私を、死んだものと思ってませんか?」
「時間の問題だろう?」
はぁ・・・と由布は、溜息を落とす。
「そうですな。ええ、そうですとも。やっと、宗茂さまのお守りから解放される。先に誾千代さまに会える」
「それはずるいな」
「何がずるいんですか?」
じろりと由布が睨みつけてくる。
すっかり年老いて、皺ばかりの顔で、髪も白いだけではなくかなり抜け落ちている老人だ。なのに、じろり睨まれれば、そこには武将としての眼光の鋭さは、残っている。さすがだな、と宗茂は思う。
「ずるいと思うのなら、なぜ誾千代さまを置いて、旅になど出ました?」
「初めて聞いてきたな」
長年の疑問だっただろう、それを由布が問いかけてきたのは初めてのこと。
「突然、外の世界を見てくると旅に出て、どうせすぐに帰ってくると待っていた誾千代さまは――」
「まさか、死ぬとは・・・思いもしなかったんだ」
「生活能力のない坊ちゃん故に、のたれ死なれては堪らないと探しに出た私すら、死に目に会えなかった」
由布の瞼の端に盛り上がった涙が、耳の方へするりと落ちて、髪を濡らす。もうそれを拭う力すら、ないのか、由布はそのまま涙を零す。
「すまなかった」
「年寄りは涙もろくなるんです!」
あの頃、よく喋り、時には無邪気なまでに笑うようになった誾千代。
誾千代が多弁になる時――それは、本音を押し隠している時。哀しい気持ち、寂しい気持ちを紛らわせ、押し隠そうとして、多弁になる。
誾千代が押し隠れていたのは、きっと立花の誇り。再起したい思い。家を潰した自分への非難への思い。
だから、再起への道を探る為に旅に出た。
結果、徳川家に御書院番頭として召し抱えられ、棚倉に領地を与えられた。
しかし、誾千代は死んだ。
かつて錆びた矢か刃から受けたであろう傷は、塞がったが、じわじわと誾千代の血を巡り、全身を巡り、そして、誾千代を弱らせ――。
初めて理由を、口に出した宗茂は、改めて何も慌てることはなかったのかもしれないと後悔に苛まれる。
死ぬとは思いもしなかった。
再起の足がかりを掴み、そして、誾千代を迎えにいくつもりだった。
なのに。
「俺が、誾千代にしようとすることは、すべて裏目に出る」
あぁ、と由布は重苦しい声を出す。
今死ぬのかと宗茂が焦れば、じりじりと意地となっているのか無理矢理体を起こすので、宗茂は手を貸す。
「宗茂さまは、本当に誾千代さまを分かっていない」
かつて見たことがある、怒っているような泣いているような目で由布が唸る。
「確かに――誾千代さまは、本音を押し隠す時に多弁になる。けれど、それだけはない!誾千代さまが多弁になるのは、嬉しかったり、気恥ずかしかったする時の方が多い!」
「えっ?」
「本気で本音を押し隠す時は、黙ることの方が多い!」
起き上がることも、涙を拭うことすら困難そうだった老人のどこに、そんな力が残っているのかと驚くほどに強い力で、腕を捕まれた。
「おふたりが初めて会った時、宗茂さまに助けられたことを恥ずかしそうに、なのに嬉しそうに話す誾千代さまを見て、恋をされたのだとすぐに分かった。」
「形ばかりの家督などと暴言を吐かれたと憤ってもいたが、では宗茂さまを婿にという話はなしにしましょう。そうすれば会わないで済む、と言えば慌てて、顔を赤く染めて誾千代さまは、嫌がった――・・・」
「そんな貴方が、立花に来てくれて嬉しかった」
「なのに、おふたりは――・・・」
「宗茂さまは、心底くだらない太閤との噂に惑わされ・・・」
「誾千代さまは、太閤に宗茂さまが褒められたことを、とても喜んでいた。太閤に呼ばれた時、思いがけず素直に夫が褒められて嬉しい様子を見せた誾千代さまに、太閤は手を出せなかった」
「だから、夫婦でじっくりと話せと言った」
そこまで吐き出した由布の肩が大きく揺れて、喉からごほごほと咳が飛ぶ。
宗茂は、ゆっくりと由布を、床に横たわらせる。
が、由布は宗茂の手を離さない。
「もう無理をするな」
「言い足りません」
「そうか、なら聞かせて貰おう。来世の為にもな」
「来世?」
「来世も誾千代を妻にするつもりだ。同じ過ちは出来ないからな」
先程までの勢いが、すっ・・・と冷めてしまったのか、由布は呆れたような顔をして、宗茂の手を離した。
「来世・・・ですか。来世でも妻とか、そんなことを言い切れるとは・・・」
でもまぁ、そんなお人だから我々も、ついつい付いてきてしまったのでしょう、と由布はひとり納得したのか、睫毛をぱちくりと上下させてから、軽く笑った。
「柳川にご一緒に帰れないのは残念ですな。本当に戻れるのか、黄泉の国で誾千代さまと見てます」
「柳川は、俺と誾千代で得た領地だから、絶対に戻って見せる」
それに――と宗茂は、付け加える。
「柳川にいるような気がするんだよ」
「――幽霊ですか?」
「幽霊でもいい。柳川に戻れば、初めて会った日のように、姿を隠しながら、こそこそと俺を伺ってそうな気がするんだ」
遠い日の思い出の輪郭を辿るように、目を細める宗茂の視線の先を、由布は探るように見つめる。
が、すぐに疲れたのか。
「お先に逝っております。誾千代さまのことを何も分かっていなかったと告げ口しておきましょう」
「それは止めてくれ。俺が逝ったら、栗を投げつけられる」
「はは」
「由布のおかげで、すっかりが栗が苦手だ」
「あの世にも栗は、ありますかね。あぁ、そうだ。私の棺に栗を入れて貰えますかね?誾千代さまへの土産です」
「却下する」
ふたりの目が、同時に笑って緩んだ。
「疲れただろう。休め。また明日、様子を見に来る」
由布は、首を振る。もういい、とにこりと微笑む。
それに、宗茂は静かに頷いた。
もうきっと本当に由布は――・・・。
苦手だったはずの由布を、自分は一番頼ってきた。
宗茂は、立ち上がり、再び由布を見れば、由布は瞼を閉じていた。
「世話になったな」
一言言い残して、部屋を出る。
廊に出れば、ふるふると雪が降っている。やはり棚倉は寒い。柳川に帰りたい。
柳川にきっと誾千代の魂がいる。こっそりとかくれているのだろう。
今度は力尽きない前に、助けてやらないとな、と宗茂は笑う。
「隠れていないで、姿を見せてくれないだろうか」
せめて夢の中でも、いい。
ふるふると降る雪に、そっと手を伸ばせば、雪は体温で溶ける。
まるで誾千代だ。掴んだと思えば消える。いや、俺が離してしまっただけか。
けれど、灰色の空から降ってくるその白に、宗茂は誾千代の面影を見たような気がして。
ふっと、胸に微笑を滲ませる。
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