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2024/11
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陽が傾く時刻。
落陽に染まる空の中に、一番星を見つける。
縁に腰かけ、涼風の中に佇みながら、一番星を誾千代はじっと見つめる。子供の頃、一番星は願い事を叶える、という迷信を聞いたことがある。それを教えてくれた侍女の榊に、お前だったら何をお願いするの、と尋ねれば、彼女は誾千代の傷の手当てをしていた手を止めて、

「誾千代さまに、もうこれ以上傷が増えないことです」

と言った。それから、そっと誾千代の頬に触れて、

「こんなに可愛らしいのに・・・。武家の娘とはいえ――、もっと普通の娘として・・・」

誾千代は思わず榊の手を、払った。
頬を膨らませて、榊からぷいっと顔を背ける。
立花家の跡継ぎとして、こんなにも頑張って日々鍛錬を重ねていれば、多少の怪我は仕方がないこと。それをなぜ榊は、認めてくれないのだろうか。
誾千代は、榊が好きだった。一番お気に入りの侍女だった。姉のように思っていた。
そんな彼女が自分を認めれてくれないのは、悔しかった。自分が否定されているようで誾千代は不快だった。
けれど――。
誾千代は、裾をめくって、自分の手にあるいくつかの傷跡に触れる。
どれもたいしたものではないが、武家の生まれであっても普通の子女にはないものだろう。
秀吉による天下統一がなり、戦のない今。
思わず、ふふふっと頬を揺らすと同時に、背後に気配。
誾千代の背に、風がそよがれる。

「夕刻とはいえ、まだ暑いですね」

思い出の中の声よりも、もっと年をとった榊の声に、誾千代はゆっくりと振り返る。一度嫁いだものの、夫を戦場で亡くした彼女は、今でも誾千代に仕えている。
その榊が団扇で、仰いでくれていた。

「一番星が出ている」
「まぁ、本当に。夏だというのに、こんなに綺麗に」

今宵は多少涼しく過ごしやすいかもしれませんね、と言う榊に、

「一番星は、願い事を叶えると教えてくれたのは榊だったな」
「そうでしたっけ?」
「榊に何を願うか聞けば、私の傷が増えないことだ、と言った」

覚えていないのか、榊は小首を傾げながら、じっと誾千代の顔を見つめたが、しばらくして、瞬きをふたつ。それから、苦笑を頬に浮かべ、

「あの頃は、本当に心配でしたからね、そんなことを思ったでしょう。毎日毎日どこかしら怪我をして、傷跡が残らないかとハラハラしたものです。傷跡が婚姻の邪魔にならないか、とかいろいろ思ったものですが――・・・」

頬の苦笑を、次第に微笑みに変えた榊は、

「誾千代さまが、私の杞憂など気にもなさらない殿方と結ばれたことを、私は嬉しく思っております」

榊の言葉に、誾千代は子供の頃のように、榊からぷいっと顔を背ける。

「宗茂は、ああいう奴だから、何も考えていないだけだ」
「そうでしょうか?」

誾千代さま、顔が赤いですよ、とからかいながら笑う榊を、誾千代はキッと睨みつけてみるが、榊はただ微笑んでいるだけ。

「宗茂さまはきっと、どんなに醜い傷を負ったとしても気になさらないでしょうね。それは誾千代さまだから。誾千代さまだからだと榊は思います」
「――・・・」
「今、一番星に願うことがあるとすれば、きっと誾千代さまと同じこと」
「えっ?それは何だ?」
「さぁ、何でしょうね」

すっ・・・と静かに榊は、立ち上がる。目線は誾千代を通り越していた。誾千代が、榊の目線を追うと同時に、砂利を蹴る音が聞こえ、伸びた影が見えたかと思うと、庭園から宗茂が現れる。

「夕涼みか?」
「宗茂・・・」
「ここは涼しいな。猫は涼しい場所を本能で知っているとかいうが」
「私が猫だというのか?」
「似ている」
「な・・・んだと?!」
「猫好きだろう?嬉しくないのか?」

ふんっ、と宗茂から顔を背ければ、今度は榊と向き合う。なんだかとても嬉しそうに榊は、頬に笑みを浮かべている。とても大切な何かを見守るように、けれど、どこか哀しげで。
それにふと榊が、夫と死別していることを誾千代は、思い出した。

「今、一番星に願うことがあるとすれば、きっと誾千代さまと同じこと」

先ほど、榊がそう言った。
何か飲み物でも持ってきます、と榊は下がりかけて、再び誾千代と宗茂を、見つめる。
慈しみと共感と愛しさに溢れた微笑みを浮かべながら去っていた榊に、誾千代は胸が苦しくなる。
榊は知っている。
戦がない世。それでも――。

「私が願うこと・・・」
「何か言ったか?」

宗茂を気にせず、誾千代は一番星を見つめる。
願うこと――それは簡単なようで、いや、簡単だからこそ逆にひどく難しいこと。

「願ったところで、叶えるのは・・・」

私たちか――小さく呟いて、夫を誾千代は見つめる。








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