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2024/11
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「離縁されてしまえば私は赤の他人ですよ。けれど、兄弟の縁といいますか、繋がりは生涯消えることはないではありませんか」

義姉の稲がそんなことを言ったのは朝鮮出兵の命を受け、肥後名護屋に向かう直前のこと。
そのことで信幸に用があり沼田城の奥、信幸の私室で兄を待っている間、挨拶に顔を出した稲と向き合っていた。以前会った時よりも、少しふっくらとして人妻らしくなったような気がする稲だが、黒々と生き生きと光る目は変わらない。
最初はあたりさわりのない世間話をしていたが、ふいに稲が、

「信幸さまは、よく幸村さまの話をなさいますよ」

とにこりとした。
どんな話ですか、と問いかければ子供の頃の失敗だったり、幸村としてはあまり嬉しくない話なので、むっと眉根が歪む。そんな義弟を稲は、ふふふっと笑う。

「でも、ご兄弟仲が良くて羨ましい」

稲の一言に、歪んでいた眉根がほぐれる。

「羨ましい?」
「離縁されてしまえば私は赤の他人ですよ。けれど、兄弟の縁といいますか、繋がりは生涯消えることはないではありませんか」

義姉の言葉に、幸村はどう反応すべきが分からず、曖昧に頬を揺らす。
幸村としては、稲が羨ましい。伴侶として人生を共に出来る権利を持つ存在が羨ましい。兄弟は所詮兄弟で、その以上それ以下にもなれない。
けれど、そんなことを口にも態度にも出すことなど出来はしない。
だから、そんな気持ちを覆い隠すように、つとめて明るい笑顔を作り上げて、

「義姉上は、兄上が好きなんですね」

とからかうように言えば、瞬間稲の頬に朱が走る。
義姉とはいえ年下の稲の年相応の娘らしい部分を見た気がして、幸村はふっと笑いつつ、徳川より縁談が持ち込まれた時、信幸が面倒そうにしていたことを思い出す。

(でも、うまくいっているようだな)

安堵したような、悔しいような――入り混じった感情が胸の中で弾けた時、肩を叩かれた。
振り返れば兄が立っていた。

「待たせたな」

そう言い信幸が腰掛ければ稲は、お茶を持ってきますね、といそいそと立ち上がり退出する。
そんな稲の足音がすっかり聞こえなくなった頃、

「うまくいってるようで安心しました」

と言えば、信幸は低く笑った。
そんな兄を見ながら幸村は、先ほどを同じように肩を叩かれた時のこと――徳川から縁談が持ち込まれた時のことを思い出す。



肩を叩かれ、その意味を理解するのに一呼吸。
幸村が溜息混じりに兄を見れば、そんな弟の視線に信幸は、にこりと微笑む。

「任せた!徳川との縁を結んでおくべきだからな」
「・・・、この話は兄上にきているんですよ」
「どっちだって同じようなものだ」
「同じじゃないですよ!」

信幸は自分に来た縁談を幸村に、と云っているのだ。

「手違いがあった、ということにすればいい」
「そんなこと出来るわけないではありませんか!」

呆れる弟に、面倒臭そうに手をひらひらとさせて、話を遮ぎようとする信幸を今まで黙っていた父、昌幸が緩く笑うと、徳川から来た書状に視線を落とす。

「信幸、お前はかなり気に入られているようだから幸村では納得しないだろう」

と言う。すると、信幸は嫌そうに顔をしかめる。
信幸は徳川家康の元に出仕した折、縁談の相手である稲姫の父である本多忠勝の屋敷に世話になったことがある。そこでとても本多忠勝に気に入られたようであった。

「お前は外面がいいからな。」
「社交的、と言ってください」
「何が、社交的だ!」

吐き捨てるように言う昌幸とは逆に信幸は楽しげに微笑む。
幸村は戦場で見かけたことがある稲を思い出しながら、兄を見る。
信幸と稲姫――。
幸村の中でもふたりの人生が交差することが想像しにくい。
信幸は、ただ穏やかににこやかにしているようでいて、意識を実に隙なくあたりへ走らせ、すべてを的確に読み取っている。けれど、それは幼い頃から共にいる兄弟だから分かることで、恐らく周囲はただ穏やかな人にしか見えないことだろう。

「ともあれ」

と信幸が言う。

「徳川とは縁を結んでおいて損はないでしょう」

それから幸村を見てくるので、気付ていない振りをする。
結局、陪臣の娘では不服として断れば、家康が秀吉に相談し、稲を家康の養女として真田家に嫁ぐことになった。本多忠勝の娘であることを誇りに思っている稲が、断られたことを不服に思っているらしい、という話もあったけれど――。



ぼんやりと思い返した幸村だったが、目の前にひらりと兄の手が見えて、我に返った。

「何、ぼんやりしているんだ?」
「いえ、本当にうまくいってるようで良かったと思ってただけですよ」

弟の言葉に、何を考えていたのか察したらしい信幸が、ゆったりと瞬きをする。それから、わずかに揺れた頬を、キュッと引き締め、

「で、用件は?」

と切り出す。それで幸村は自分が沼田まで来た目的を思い出す。
肥後名護屋に向かう経路など等を打ち合わせていると、足音が近づいてきた。やがて、障子戸の前で止まった足音に、稲と信幸が呼ぶ。
開かれた障子戸から入ってきた稲と信幸は、一瞬視線を合わせるが別段言葉はない。
けれど――。

(あぁ、夫婦だな)

と思わせる一瞬が確かにあった。
婚姻に乗り気ではなかった信幸と、頬を朱に染めた稲を胸に広げて、

(これで良かったのだろう)

と口腔で呟いてみる。
なのに、無礼を知りつつふたりから膝をずらし、向かい合うことから逃れた。



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