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2024/11
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その言葉に、ぴくりと信之の瞼が震えた。
その瞼を開けば、縁に座り込み、庭を眺めている男が目に入る。その隣に座していた妻――稲が盆略点前で茶でたてていた手を茶杓を握ったまま止めた。
しばし、沈黙の時が流れる。
そろそろ夕陽の頃だった。冬の始まりを前に夕暮れ早くなり、暮れる前の陽射しはきつく、太陽の名残を放つ光が、はっきりと輪郭を描いている。
信之が、眩しさに目を細めたその時。

「あの時、本当に兵を挙げていたら、と考えたことはなかったか?」

その男は再びそう言った。

「父上、あの時・・・とは・・・」
「突然いらっしゃって、何をおっしゃるかと思えば」

稲と信之の声が重なる。すると、男――本多忠勝が笑った。
突然忠勝が真田の江戸屋敷を訪れた。忠勝の言うあの時とは、きっと――。

「父と弟の助命嘆願では大変お世話になりました。今でも感謝しきれない思いでおります」
「いや、それはいい。今になって時折、思うのだ。あの時、本当に真田と本多で兵を挙げていたら、どうなっただろう」
「義父上らしくもない・・・」

徳川家に忠節を尽くし、その為に戦い抜いた東の無双らしくもない。
信之が笑えば、忠勝も薄く笑う。

「戦場に生き、世が落ち着き乱世も遠い時代のこととなり始めている今、乱世が恋しく思えるのかもしれない。あの時、兵をあげていたら世はどうなったのだろうと・・・」
「――大御所さまに制圧されておしまいでしょう。井伊殿も榊原殿も、呼応して下さいましたが、いざ兵を上げるとなれば我らにはつかなかったでしょう」
「そうだろうか?」

目尻ににやりと笑みを浮かべる忠勝に、信之はそっと目を反らす。
気を取り直したらしい稲がたてる茶筅をかき回す音が静かに響き、ことりと忠勝の前に茶碗が置かれた。それを手に取り忠勝は、沈み行く陽に目を細める。

「我らが兵を挙げれば呼応する武将も多くいただろう。立花、宇喜田、毛利――」
「空想の世界の・・・話ならば、誰でも天下を取れますよ」
「九度山にいる幸村殿が」

幸村、という言葉にぴくりと信之の眉根が歪んだのを忠勝は見逃さない。
けれど、それはすぐに信之の顔から消え、何事もなかったかのような何も感情が浮かんでいない顔をしている。

「婿殿は国政を動かす才があると言っていた。亡き武田信玄公も石田三成も同じ事を言っていた。そんな風に言ったことがある」
「――なぜ義父上が幸村とそんな話を・・・」
「会えば話をする。我らの共通の話となると婿殿のこと。あれは確か大坂城でのこと」
「――弟は私を買いかぶりすぎなのです」

幸村は本当に仕方がない――苦笑いを洩らせば、忠勝は真っ直ぐに笑いもせずに信之を見つめる。

「なぜ才を実力を隠すのか、見ていて歯痒い。そうとも言っていた。わしも同じ気持ちだ」
「別段隠すほどの才は残念ながら持ち合わせおりません」

同じ会話を以前にもした、と信之は思い出しながら瞼を閉じる。




再び瞼を開けば、視界に広がるのは薄暗い御堂の静寂。
石田三成挙兵を知らされた時、父に呼ばれた犬伏の御堂の暗がり。
あれはまだ、信幸と名乗っていた頃。
瞬きをひとつしてから妻戸を開き、信幸は御堂の中に入った。信幸が御堂に入れば御堂に月光をひとすじ差し込み、闇の底から、低い声が這い寄ってきた。

「やはりお前は徳川か」

父――昌幸がそう言うので信幸は無言のまま、慌てずぴたりと妻戸を閉めた。
ひとすじの月光も閉め出され、御堂の中には黒々と闇が残るばかり。
先に御堂にいた父と弟の前にゆっくりと座り込むと、

「三成殿の挙兵をお前は知っていたのではないか?」

父の言葉を信幸は一瞥するのみ。
すると、忍び笑う声がした。幸村だ。
信幸は答えないが、その無言が肯定の答えと幸村にはなったようで、

「それでも、徳川ですか?」

問いかけてくる。信幸はそんな弟にふっと微笑む。
確かに聞いていた。三成から相談されていた。それを止めた。今、兵を上げても徳川の思う壺だ、と答えた。

「義姉上の縁故に縛られる?」
「いや、そうではない。この大局、三成殿では勝ち目がないと思ったまでのこと」
「そうでしょうか?そんなことはない。我らの上田と沼田で出来ることは多い。勝ち目がないとは思えない」

幸村は信幸を真っ直ぐに見つめて、兄上、と言う。その幸村の声に甘えが浮かぶ。
相変わらず、と信幸は思う。
子供の頃から幸村に頼まれれば断ることが出来なかった。不思議なまでに自分を慕ってくれる弟が可愛かったし、年子ということもあって兄弟というより双子のような、魂を寄せ合って成長したふたりだった。だから、道を別つことなど絶対にありえない――と幸村は信じているのだろう。

「兄上!」

じれたように幸村が声を上げる。相変わらず甘えた声を――。
その甘えに信幸を苦笑するしかない。

「幸村。仮に三成殿の挙兵が成功したとしてどうなる。もう既に豊臣の骨組みは徳川によって壊されている。戦が勝ったとしても、その壊れた骨組みを修復する間にまたやられる。それを繰り返し、また乱世に戻るまでだ」
「だからこそ、兄上の力が必要なのです!三成殿も、亡き御屋形様もおっしゃっていたではないですか!?兄上は国政を動かす才を持っている。政を見通す目を持っている」
「それはお前に比べ、武芸を劣る私をふたりが慰めに言った戯言にしか過ぎない」
「違う!!!」

悲鳴のような声を幸村があげ、それが静かな御堂に響く。
おそらく外にまで洩れたのだろう。御堂の外で人の声がしたかと思えば、心配したらしい家臣が何事かと御堂の妻戸を開いたので、

「誰も入るなと命じていただろう!」

瞬間、昌幸が家臣に下駄を投げつけ、その家臣は慌てて妻戸を閉めた。
あれは命中したな、と信幸が同情していると、その隙にじりじりと幸村がにじり来たかと思えば、兄の腕をしっかりと掴む。

「なぜ兄上は才を隠すのですか?!私にはそれが歯痒くて仕方がない」
「隠すほどの才は持ち合わせていない」

子供の頃、臣従の証として信之は信玄の孫である信勝の近習として仕えていた。その仲間うちで揉め事が生じると頼られ、話を聞き解決法を見出すのが信之だった。
それを聞き、両者の言い分を公平に見通し、解決出来る。この子は将来国政に向いているかもしれないな、その才を伸ばして武田を支えてくれるだろう、と昌幸に言ったのが武田信玄。
それを幸村も聞いていたらしい。
そして、その後、豊臣の世となってから、太閤の側近の石田三成が言った。

「信幸は国政に興味ないのか?才があるというのに」

酒の席での戯れ話。その場に幸村もいた。嬉しそうにそれを聞いていた。
信幸と三成は気があった。信幸も政の話は嫌いではなかった。そのことになると目を輝かして話をする三成と口論するのも楽しかった。
政のことで互いに着眼点が違った。その相違が互いに面白く、話していて飽きることはなかった。

武田信玄と石田三成。このふたりは幸村に多大なる影響を与えた。
いや、と信幸は思う。
このふたりは自分を認めてくれから、幸村は――・・・。
そして、幸村をこう育てたのは――。

「真田家が徳川につく、という道はないのでしょうか?」

信幸が父に言えば昌幸は、

「ないな。わしは徳川が嫌いだ」

含み笑いを洩らしながら昌幸が、信幸に答えた。そうだろうな、と納得するしかない。

「お前は、このまま徳川に飼い殺しにされるつもりか?」
「無難に生きろ、と私に教えたのは父上ですよ」

信幸は昌幸に楽しげに笑って見せる。
幸村に武芸の才があると分かった時に、父が信幸に言ったのは、

「危険なことは幸村、あいつにやらせ、お前は嫡男として大きく構えていればいい。あれはお前の為になら命は惜しまない」

まるで幸村は捨て駒だ、といったようなものだった。
驚き反発する信幸に、真田の家を残るため、危険なことはする必要はない、それが嫡男の役目だと説いたのは父だ。
けれど、その裏で考えていることを信幸は知っている。
昌幸は野心家だ。政に、武に優れた息子を持ったことがますます拍車をかけた。
いつか真田が――。
そんな父を信幸は、愚かなと冷ややかに見つめていた。

「わしの運もこれまでか?」
「三成殿が勝てば、豊臣政権で力を握ることは可能でしょうね」
「けれど、お前は勝てない、そう言うのだろう?」
「戦は生き物です。いざ動いてみなければ分かりません」

「勝ったところで兄上がいなければ意味がない」

兄の腕を握ったまま幸村が静かに言った。離してくれ、と言えば逆に幸村は力を込めてきた。

「幸村、私と一緒に行かないか?」

子供の頃のように駄々をこねる弟を諭すのと同じ気持ちで言えば、幸村は下唇を噛み締めて首を振った。

「徳川では意味がない。兄上は飼い殺しになるだけだ。兄上の才を生かせない」
「幸村・・・」

優しく優しく弟の名を呼び、それから、幸村が力を弱めた一瞬の隙にその手を振り払うと、立ち上がる。驚く幸村を一瞥することもせずに、御堂を出る。入ってきた時と同じように御堂に月光が差し込むがそれは一瞬のこと。
すぐさま、月光の道筋は消え、御堂に闇が広がった。
信幸はまるで風の速さのごとく御堂を飛び出した。
弟の手を振り払ったのは初めてのこと。
腕には弟のあたたかさがまだ残っている。それがひどく恐ろしい。
掴まれた感触は生々しくずっと残り続けた。
その感触が消えたのは、腕を気にする信幸に稲がそっと触れた時。
何も言わずにずっとそこをさすり続けた。
その心地よさに信幸が瞼を閉じた――。



再び瞼を開けば、その視界には、はっきりと輪郭を描きつつ沈みゆく太陽の放つ光の眩しさがあった。
目を細めれば、そこにいる舅の忠勝は眩しさなど感じないのか、

「わしは根っからの武将らしく、強く良い采配をする者とは戦ってみたいと思うらしい。わしが知っている中で一番強いのは殿だ。だから、あの時、兵を挙げていれば、殿はどのような采配をし、そして、軍略、知略に優れた真田昌幸という男と、その息子ふたりとわしはどう応じ、どのような戦いが繰り広げられたのだろうと考えるだけでこみ上げてくるものがある」

とゆっくりと言った。

「それは空想だから楽しいのでしょう」

信之が答えると、そうかもしれない、と忠勝は笑った。

「けれど、婿殿――いや、何でもない」

忠勝はゆっくりと首を振ると、すっかりと冷えてしまった茶を口に含む。
たて直しましょう、と言う稲に、これでいいと言う。冷えたぐらいが丁度いい、と笑った。


それが義父――本多忠勝に会った最後となった。
その年、東の無双と云われ、数々の武功を誇った本多忠勝は、桑名城で静かに息を引き取った。


その知らせを聞き、涙した妻の背を優しく撫でながら、妻のぬくもりを包み込むように抱きしめ、信之も瞼を閉じた。

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