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雨が信幸の瞳を、頬を、肩をぐっしょりと濡らしていく。
御堂を出て、昌幸と幸村の家臣たちが待機している場をゆっくりと見渡してから、ひとつ頷くとそのまま、馬に乗って走りだした。
「信幸さま!」
女の声がした。くのいちだとすぐに分かったが振り返らない。
もう一度呼ばれた。その声が一瞬近づいたけれど、すぐに小雨の中に散っていく。
さすがのくのいちも馬の速さには付いてこれなかったらしい。
しばらく走ってから馬を止めた。
信幸が馬を止めた時、すっと人影が立ち並ぶ民家の脇から現れた。家臣の出浦。
出浦に頷くと、出浦はそのまま去って行く。
信幸は家康に、出浦は稲に会う為に去っていく。
それぞれの影は、そぼ降る墨絵の雨に消えていく――。
雨の気配が夜の気配を濡らしていく。
静かな御堂の中、幸村はぼんやりと雨の音を聞いていたが、雨のひそかやかに溶け込むように近づいてくる足音に顔を上げる。
信幸を見送っていた昌幸が、幸村の隣に座り込んだ。
「――風邪をひかなければいいですね」
ぽつり言えば、昌幸が薄く笑った。
「信幸がか?あれは、そんなにヤワじゃない」
「けれど、ずっと体調を崩していたではないですか」
あぁ、あれか――と昌幸が、ニタリと笑う。
その笑いの意味が分からず、視線で訊ねると、
「あれは仮病だ。情勢をある程度見極めたら、巻き込まれない為にとっとと沼田に帰る準備をしていたのだろう。倒れない程度にだけ食事をとり、やつれた姿を作る」
「――はっ?!」
「気付かなかったのか?」
幸村が見せた戸惑いを楽し気に受け止め、
「信幸はそういう男だ。さらりと身内をも騙す。家康も本多忠勝もすっかり騙されているようだったな」
からからと笑う。ひとしきり笑った後、ふと真面目な顔になる。
「今思えば、子供の頃の病弱さなどもすでに仮病だったのではないかと疑っている。嫡男に向いていないと思わせる為に――。本当はお前が兄だということは知っているのだろう?」
小さく幸村が頷く。
「別に信幸が正室の子供、お前が側室の子供だからという理由で信幸を跡取りにしたのではない。信幸の方が向いていると思っただけだ」
「――・・・」
「確かに何をやらせてもお前はすぐに器用にこなし、そして、信幸は不器用だった。そんな信幸をお前は、支え守ろうとしていた。けれど――」
どこかで信幸を見下していた。
「――っ!」
父の言葉に、幸村は一瞬腰が上がりかかる。
けれど、すぐにまた座り込むと、父を見据える。睨みつけるように。
「今でもそうだ。どこかで信幸より自分が勝っていると思っているだろう?」
鼻先で昌幸は笑う。
なのに、なぜだろう。鼻先の笑いとは裏腹に、切なげに哀しげな瞳を揺らす。
その哀しげな瞳に、異論を唱えたいのに幸村の唇に言葉は浮かばない。
「信幸は、まずは真田の家のことを考える。己の武勇のことなど考えない。真田の家名の為、ひいては仕える全ての人間の命のことを考える」
「――・・・」
「お前は武勇に優れ、己の義の為に生きる潔癖さはもののふとして立派なものだと思う」
けれど、それだけでは駄目なのだ。
己が正しいのかどうかよりも一瞬でも立ち止まることもなく、家が途絶えさせないことを考えなければいけない。
「それが兄上の言った・・・」
義などというものは己が決めることではない。時代を作りあげた勝者が決めることだ、ということになるのですか?
幸村は、くすぶる思いを抱えたままの乾いた声で言う。
「家を残す為に、我々が三成殿に、兄上が徳川殿につく」
「そうだ」
「父上は、どちらが勝つとお思いなのですか?」
「家康だろうな」
「――・・・」
「けれど、戦は生き物だ。いつ戦況が変わるか分からない」
それに――、と昌幸は不適に笑った。
「信幸はすぐに家康の所に向かい、今日の結果を報告するだろう。信幸は家康から気に入られているから、奴は喜ぶだろう。ならば、喜ばしてやろう」
でもな、わしもおめおめと信幸を家康にくれてやるつもりはない。
「沼田に行くぞ」
嫁に話が届く前に、沼田城に入り乗っ取るぞ。
面白い提案が浮かんだ子供のような瞳の昌幸に、幸村は唇の端に苦笑を浮かべる。
「妻子と城を人質に取られれば、兄上も我々に加担せざるおえなくなる、ということですか」
仮に――。
三成が負けても、一度は徳川に忠節を誓っている上に家康の養女であり本多忠勝の娘がついている信幸ならひどい処置はされまい。
三成が勝てば、我々が信幸を庇えばいい。
「徳川勢は多勢だ。必ず二隊に分かれる。中山道と東海道。信幸さえ、手に入れば上田と沼田で中山道組を引きとめ、お前は三成殿の元へ向かえばいい。」
そうすれば、勝てるかもしれんぞ、と言う昌幸に、ははっと幸村は笑う。
笑いながら、すっと立ち上がり御堂を出る。
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御堂を出て、昌幸と幸村の家臣たちが待機している場をゆっくりと見渡してから、ひとつ頷くとそのまま、馬に乗って走りだした。
「信幸さま!」
女の声がした。くのいちだとすぐに分かったが振り返らない。
もう一度呼ばれた。その声が一瞬近づいたけれど、すぐに小雨の中に散っていく。
さすがのくのいちも馬の速さには付いてこれなかったらしい。
しばらく走ってから馬を止めた。
信幸が馬を止めた時、すっと人影が立ち並ぶ民家の脇から現れた。家臣の出浦。
出浦に頷くと、出浦はそのまま去って行く。
信幸は家康に、出浦は稲に会う為に去っていく。
それぞれの影は、そぼ降る墨絵の雨に消えていく――。
雨の気配が夜の気配を濡らしていく。
静かな御堂の中、幸村はぼんやりと雨の音を聞いていたが、雨のひそかやかに溶け込むように近づいてくる足音に顔を上げる。
信幸を見送っていた昌幸が、幸村の隣に座り込んだ。
「――風邪をひかなければいいですね」
ぽつり言えば、昌幸が薄く笑った。
「信幸がか?あれは、そんなにヤワじゃない」
「けれど、ずっと体調を崩していたではないですか」
あぁ、あれか――と昌幸が、ニタリと笑う。
その笑いの意味が分からず、視線で訊ねると、
「あれは仮病だ。情勢をある程度見極めたら、巻き込まれない為にとっとと沼田に帰る準備をしていたのだろう。倒れない程度にだけ食事をとり、やつれた姿を作る」
「――はっ?!」
「気付かなかったのか?」
幸村が見せた戸惑いを楽し気に受け止め、
「信幸はそういう男だ。さらりと身内をも騙す。家康も本多忠勝もすっかり騙されているようだったな」
からからと笑う。ひとしきり笑った後、ふと真面目な顔になる。
「今思えば、子供の頃の病弱さなどもすでに仮病だったのではないかと疑っている。嫡男に向いていないと思わせる為に――。本当はお前が兄だということは知っているのだろう?」
小さく幸村が頷く。
「別に信幸が正室の子供、お前が側室の子供だからという理由で信幸を跡取りにしたのではない。信幸の方が向いていると思っただけだ」
「――・・・」
「確かに何をやらせてもお前はすぐに器用にこなし、そして、信幸は不器用だった。そんな信幸をお前は、支え守ろうとしていた。けれど――」
どこかで信幸を見下していた。
「――っ!」
父の言葉に、幸村は一瞬腰が上がりかかる。
けれど、すぐにまた座り込むと、父を見据える。睨みつけるように。
「今でもそうだ。どこかで信幸より自分が勝っていると思っているだろう?」
鼻先で昌幸は笑う。
なのに、なぜだろう。鼻先の笑いとは裏腹に、切なげに哀しげな瞳を揺らす。
その哀しげな瞳に、異論を唱えたいのに幸村の唇に言葉は浮かばない。
「信幸は、まずは真田の家のことを考える。己の武勇のことなど考えない。真田の家名の為、ひいては仕える全ての人間の命のことを考える」
「――・・・」
「お前は武勇に優れ、己の義の為に生きる潔癖さはもののふとして立派なものだと思う」
けれど、それだけでは駄目なのだ。
己が正しいのかどうかよりも一瞬でも立ち止まることもなく、家が途絶えさせないことを考えなければいけない。
「それが兄上の言った・・・」
義などというものは己が決めることではない。時代を作りあげた勝者が決めることだ、ということになるのですか?
幸村は、くすぶる思いを抱えたままの乾いた声で言う。
「家を残す為に、我々が三成殿に、兄上が徳川殿につく」
「そうだ」
「父上は、どちらが勝つとお思いなのですか?」
「家康だろうな」
「――・・・」
「けれど、戦は生き物だ。いつ戦況が変わるか分からない」
それに――、と昌幸は不適に笑った。
「信幸はすぐに家康の所に向かい、今日の結果を報告するだろう。信幸は家康から気に入られているから、奴は喜ぶだろう。ならば、喜ばしてやろう」
でもな、わしもおめおめと信幸を家康にくれてやるつもりはない。
「沼田に行くぞ」
嫁に話が届く前に、沼田城に入り乗っ取るぞ。
面白い提案が浮かんだ子供のような瞳の昌幸に、幸村は唇の端に苦笑を浮かべる。
「妻子と城を人質に取られれば、兄上も我々に加担せざるおえなくなる、ということですか」
仮に――。
三成が負けても、一度は徳川に忠節を誓っている上に家康の養女であり本多忠勝の娘がついている信幸ならひどい処置はされまい。
三成が勝てば、我々が信幸を庇えばいい。
「徳川勢は多勢だ。必ず二隊に分かれる。中山道と東海道。信幸さえ、手に入れば上田と沼田で中山道組を引きとめ、お前は三成殿の元へ向かえばいい。」
そうすれば、勝てるかもしれんぞ、と言う昌幸に、ははっと幸村は笑う。
笑いながら、すっと立ち上がり御堂を出る。
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