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沼田城に着いたのは真夜中のこと。不眠不休での疾駆だった。
沼田城には、昌幸の家臣だった者が多い。
それを信幸を支える為に、つけたので、乗っ取ることも可能だと昌幸は考えている。大手門の引き橋は上がっているが、城壁は炬火を浴びて、鮮やかにその姿は浮き上がっている。
「上田の大殿である!開門せよ!!」
昌幸の侍臣が声を張り上げたその時。
城壁の奥から人の動く音、そして、篝火が一層燃え立った。
けれど、門は開かない。
再度呼びかけるが門は開かない。
開かないどころか、城壁に人影がちらほら浮かび上がってきた。
兵たちがこちらに弓や鉄砲を構えている。
その中から稲がすっと姿を見せると、二人に弓を向ける。
久しぶりに見る稲の戦装束姿。
「信幸さまのご命令です。上田の大殿、弟君であろうと決して城内に入れることなかれと申し付けられております!!何かあればそのお命を奪ってでも入城させるなと」
「な・・・に・・・」
昌幸の侍臣が言葉を失う。
幸村が昌幸を見れば、苦笑を洩らしている。
そして、信幸め抜かりがないか、とほんの少し嬉しげに言うのだ。
もう稲に、話が届いているらしいことに幸村は驚いた。
「大殿のご命令が聞けないというのか?!!」
再び侍臣が声を張り上げれば、
「我々が従うは、信幸さまのご命令のみです!!!」
悲鳴のように稲は声を張り上げる。
その語尾は震えていることに昌幸はめざとく気付く。
「孫の顔が見たいだけだ」
言われて一瞬、稲の顔に動揺が走る。
今までも孫の顔見たさに、時間さえあれば沼田にやってきた昌幸である。袂を別った今、最後に孫に会いたいと切望するは当然のこと。
もう二度と会うことができないのかもしれないのだから――。
その稲の動揺に昌幸は、
「一目だけでも。わしだけにでもいいから会わせてくれないか?」
と言うが、動揺を一瞬にして振り切ったらしい稲は、
「なりません!信幸さまのご命令しか我々はききませぬ!」
毅然とした周囲に広がる響きわたる声で言う。
その時、大手門が開いた。
そこにいたのは、弓・鉄砲隊の姿。かつての昌幸の家臣である。
その中のひとり、留守居の唐沢玄蕃が静かに近づいてくると、ほんの少し手前で立ち止まる。
幸村は兵たちが、こちらに弓や鉄砲を向けているが照準を合わせていないことに気付いた。けれど、それはただの見せ掛けというわけではく。
信幸の実父、実弟に敬意をはらっているだけのこと。
今、下手に動けばすぐに照準を合わせてくるだろう。
それを見極めるために、唐沢は姿を見せただけのこと。
「子の家臣が、親に弓を向けるのか!」
再度、侍臣が怒鳴れば、その瞬間照準が合わせられた。
「我々は、信幸さまのご命令しか聞きませぬ」
唐沢がゆっくりと静かに、けれど、決意の秘められた声音で言う。
「上田にお帰りください」
そして――。
正々堂々と戦いましょう、それが信幸様のお気持ちでしょう。
「信幸は――」
「信幸さまは良き主君です。今、ここにいる兵は皆、信幸さまの為になら命を捨てる覚悟が出来ております」
そうか、と昌幸は笑うと、頼むぞと父親らしい慈愛をこめた目をする。
犬伏の御堂を出た頃、雨が降っていた。
けれど、今は雨はやみ、晴れやかな朝の空を迎えている。
信幸を取り戻せなかった悔しさから眠れなかった。
火をかけてやろう、と半ば本気で父に言って、苦笑された。
昌幸と幸村たちは、沼田城下の正覚寺で休息をとった。
その庭を眠れないまま早朝からうろうろしていると、ガサッと小さな音がしたので驚いて振り返れば、ガバッと温かいものが幸村の足に絡み付いてきた。
「孫六郎!」
「おはようございます!」
へへっ、と顔を上げて、にこにことする甥を幸村は抱き上げる。
前に会った時は、まだ幼児という風情だった孫六郎だが、すっかりと子供らしく成長している。
「どうしてここに――」
言いかけて稲か、と思った。
父の言った孫に会いたい、という願いを叶えてくれようとしているのだろう。下ろして、と孫六郎が言うので、その通りにするとパッと駆け出して、今度は仙千代を連れてくる。
「歩けるようになったんだよ」
「へー・・・」
「勝手にどっか行っちゃうから大変なの」
「孫六郎も、すっかりお兄ちゃんだな」
人見知りする頃なのだろうか。
兄の背に隠れてしまう仙千代に、ふと幸村の目も緩む。人見知りしながらも好奇心は隠せないらしく、ちらちらと幸村を見てくる。
仙千代は幸村にほとんど会ったことがない甥だった。
けれど、似ている。兄に似ている、そして、どこか稲にも――。
あぁ、ふたりの子供なのだな、と思った。
「じじは?」
「一緒にじじの所へ行こう」
孫六郎が仙千代を抱き上げる。
子供が子供を抱く、その頼りなさに幸村は心配になるが、仙千代は孫六郎に安心して体を預けている様子だし、孫六郎は慣れた手つきだ。
母の違う兄弟。
願わくは――自分たちのようにならないように、と幸村は思う。
「幸村のところは、子供はまだなの?」
言われて思わず咳き込んだ幸村に、汚いわねぇとあやめが言う。
稲に頼まれて正覚寺にふたりを連れてきたのはあやめだった。稲も一緒に来ている様子だが、姿を見せるつもりはないらしい。
どうやら、待たせていた昌幸と幸村の兵が近づいていることに気付いており、それを警戒している様子なのだ。
稲が用意させたという朝食を取りながら、ようやく幸村に慣れてきた仙千代を膝に抱きながら、茶を飲もうとした時だった。
「汚いわねぇ。仙千代、かかってない?熱くなかった?」
「へーきだよ」
良かった、とあやめが言う。
「突然、何を言うんですか」
「甥が可愛いなら、実子が楽しみねって話よ」
「あやめ、性格変わりました?」
「そう?女なんて子供を産むと変わるものよ」
そうは言うが、孫六郎は稲が育てているという。
けれど、兄弟を見ているとそうでもないらしい。乳母はつけず、ふたりで育てているのかもしれない。稲を母上、あやめをかか様と呼んでいる。
幼いながらに事情を承知している様子だ。
「それに頼りない人たちを相手していると、強くなるわよ」
「誰ですか?その頼りない人たちって。兄上?」
「それもあるけど、稲さまも」
「えっ?」
「どこか脆いのよね・・・だから」
思いきり引っ叩いちゃったわよ、と続けるので幸村は、はっと驚きの声を出す。
それにくすくすっと楽しげにあやめは笑う。
昌幸は上機嫌で格好を崩しながら、孫二人を相手している。
昨夜までの緊迫感は何だったのだろう――という気持ちにさせられる。
けれど――。
「もう行った方がいいな」
ぽつり昌幸が名残惜しそうに言う。それにあやめが頷く。
子供ふたりを呼び、帰ろうとして孫六郎が、
「じじと幸村叔父上、またね」
「またね」
孫六郎の真似をして仙千代も言う。
それに昌幸も幸村も頬に笑みを浮かべるしかない。
またね――はもうないのかもしれないのだから。
帰り際、あっとあやめが声を上げて振り返る。
「稲様が喜んでましたよ。稲様が作った羽織を身に着けてくれていて嬉しいと」
「わしも安心したと伝えてくれ。稲殿が嫁なら真田の家は安泰だと」
「分かりました。ご武運をお祈りいたします」
あやめは、部屋を出て寺門へ向かう。
寺門前に稲が待っていた。精鋭の従臣を連れ配慮深く待っていた。
ふと見れば、幸村がじっとこちらを見ていることに稲は気付いた。
稲は深く頭を垂れると、そのまま、毅然と踵を返す。
その姿を美しいと幸村は思った。
「我々が従うは、信幸さまのご命令のみです!!!」
稲の言葉を鮮明に思い出すことが出来る。
義姉は毅然と美しく、そして、憎らしい。
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沼田城には、昌幸の家臣だった者が多い。
それを信幸を支える為に、つけたので、乗っ取ることも可能だと昌幸は考えている。大手門の引き橋は上がっているが、城壁は炬火を浴びて、鮮やかにその姿は浮き上がっている。
「上田の大殿である!開門せよ!!」
昌幸の侍臣が声を張り上げたその時。
城壁の奥から人の動く音、そして、篝火が一層燃え立った。
けれど、門は開かない。
再度呼びかけるが門は開かない。
開かないどころか、城壁に人影がちらほら浮かび上がってきた。
兵たちがこちらに弓や鉄砲を構えている。
その中から稲がすっと姿を見せると、二人に弓を向ける。
久しぶりに見る稲の戦装束姿。
「信幸さまのご命令です。上田の大殿、弟君であろうと決して城内に入れることなかれと申し付けられております!!何かあればそのお命を奪ってでも入城させるなと」
「な・・・に・・・」
昌幸の侍臣が言葉を失う。
幸村が昌幸を見れば、苦笑を洩らしている。
そして、信幸め抜かりがないか、とほんの少し嬉しげに言うのだ。
もう稲に、話が届いているらしいことに幸村は驚いた。
「大殿のご命令が聞けないというのか?!!」
再び侍臣が声を張り上げれば、
「我々が従うは、信幸さまのご命令のみです!!!」
悲鳴のように稲は声を張り上げる。
その語尾は震えていることに昌幸はめざとく気付く。
「孫の顔が見たいだけだ」
言われて一瞬、稲の顔に動揺が走る。
今までも孫の顔見たさに、時間さえあれば沼田にやってきた昌幸である。袂を別った今、最後に孫に会いたいと切望するは当然のこと。
もう二度と会うことができないのかもしれないのだから――。
その稲の動揺に昌幸は、
「一目だけでも。わしだけにでもいいから会わせてくれないか?」
と言うが、動揺を一瞬にして振り切ったらしい稲は、
「なりません!信幸さまのご命令しか我々はききませぬ!」
毅然とした周囲に広がる響きわたる声で言う。
その時、大手門が開いた。
そこにいたのは、弓・鉄砲隊の姿。かつての昌幸の家臣である。
その中のひとり、留守居の唐沢玄蕃が静かに近づいてくると、ほんの少し手前で立ち止まる。
幸村は兵たちが、こちらに弓や鉄砲を向けているが照準を合わせていないことに気付いた。けれど、それはただの見せ掛けというわけではく。
信幸の実父、実弟に敬意をはらっているだけのこと。
今、下手に動けばすぐに照準を合わせてくるだろう。
それを見極めるために、唐沢は姿を見せただけのこと。
「子の家臣が、親に弓を向けるのか!」
再度、侍臣が怒鳴れば、その瞬間照準が合わせられた。
「我々は、信幸さまのご命令しか聞きませぬ」
唐沢がゆっくりと静かに、けれど、決意の秘められた声音で言う。
「上田にお帰りください」
そして――。
正々堂々と戦いましょう、それが信幸様のお気持ちでしょう。
「信幸は――」
「信幸さまは良き主君です。今、ここにいる兵は皆、信幸さまの為になら命を捨てる覚悟が出来ております」
そうか、と昌幸は笑うと、頼むぞと父親らしい慈愛をこめた目をする。
犬伏の御堂を出た頃、雨が降っていた。
けれど、今は雨はやみ、晴れやかな朝の空を迎えている。
信幸を取り戻せなかった悔しさから眠れなかった。
火をかけてやろう、と半ば本気で父に言って、苦笑された。
昌幸と幸村たちは、沼田城下の正覚寺で休息をとった。
その庭を眠れないまま早朝からうろうろしていると、ガサッと小さな音がしたので驚いて振り返れば、ガバッと温かいものが幸村の足に絡み付いてきた。
「孫六郎!」
「おはようございます!」
へへっ、と顔を上げて、にこにことする甥を幸村は抱き上げる。
前に会った時は、まだ幼児という風情だった孫六郎だが、すっかりと子供らしく成長している。
「どうしてここに――」
言いかけて稲か、と思った。
父の言った孫に会いたい、という願いを叶えてくれようとしているのだろう。下ろして、と孫六郎が言うので、その通りにするとパッと駆け出して、今度は仙千代を連れてくる。
「歩けるようになったんだよ」
「へー・・・」
「勝手にどっか行っちゃうから大変なの」
「孫六郎も、すっかりお兄ちゃんだな」
人見知りする頃なのだろうか。
兄の背に隠れてしまう仙千代に、ふと幸村の目も緩む。人見知りしながらも好奇心は隠せないらしく、ちらちらと幸村を見てくる。
仙千代は幸村にほとんど会ったことがない甥だった。
けれど、似ている。兄に似ている、そして、どこか稲にも――。
あぁ、ふたりの子供なのだな、と思った。
「じじは?」
「一緒にじじの所へ行こう」
孫六郎が仙千代を抱き上げる。
子供が子供を抱く、その頼りなさに幸村は心配になるが、仙千代は孫六郎に安心して体を預けている様子だし、孫六郎は慣れた手つきだ。
母の違う兄弟。
願わくは――自分たちのようにならないように、と幸村は思う。
「幸村のところは、子供はまだなの?」
言われて思わず咳き込んだ幸村に、汚いわねぇとあやめが言う。
稲に頼まれて正覚寺にふたりを連れてきたのはあやめだった。稲も一緒に来ている様子だが、姿を見せるつもりはないらしい。
どうやら、待たせていた昌幸と幸村の兵が近づいていることに気付いており、それを警戒している様子なのだ。
稲が用意させたという朝食を取りながら、ようやく幸村に慣れてきた仙千代を膝に抱きながら、茶を飲もうとした時だった。
「汚いわねぇ。仙千代、かかってない?熱くなかった?」
「へーきだよ」
良かった、とあやめが言う。
「突然、何を言うんですか」
「甥が可愛いなら、実子が楽しみねって話よ」
「あやめ、性格変わりました?」
「そう?女なんて子供を産むと変わるものよ」
そうは言うが、孫六郎は稲が育てているという。
けれど、兄弟を見ているとそうでもないらしい。乳母はつけず、ふたりで育てているのかもしれない。稲を母上、あやめをかか様と呼んでいる。
幼いながらに事情を承知している様子だ。
「それに頼りない人たちを相手していると、強くなるわよ」
「誰ですか?その頼りない人たちって。兄上?」
「それもあるけど、稲さまも」
「えっ?」
「どこか脆いのよね・・・だから」
思いきり引っ叩いちゃったわよ、と続けるので幸村は、はっと驚きの声を出す。
それにくすくすっと楽しげにあやめは笑う。
昌幸は上機嫌で格好を崩しながら、孫二人を相手している。
昨夜までの緊迫感は何だったのだろう――という気持ちにさせられる。
けれど――。
「もう行った方がいいな」
ぽつり昌幸が名残惜しそうに言う。それにあやめが頷く。
子供ふたりを呼び、帰ろうとして孫六郎が、
「じじと幸村叔父上、またね」
「またね」
孫六郎の真似をして仙千代も言う。
それに昌幸も幸村も頬に笑みを浮かべるしかない。
またね――はもうないのかもしれないのだから。
帰り際、あっとあやめが声を上げて振り返る。
「稲様が喜んでましたよ。稲様が作った羽織を身に着けてくれていて嬉しいと」
「わしも安心したと伝えてくれ。稲殿が嫁なら真田の家は安泰だと」
「分かりました。ご武運をお祈りいたします」
あやめは、部屋を出て寺門へ向かう。
寺門前に稲が待っていた。精鋭の従臣を連れ配慮深く待っていた。
ふと見れば、幸村がじっとこちらを見ていることに稲は気付いた。
稲は深く頭を垂れると、そのまま、毅然と踵を返す。
その姿を美しいと幸村は思った。
「我々が従うは、信幸さまのご命令のみです!!!」
稲の言葉を鮮明に思い出すことが出来る。
義姉は毅然と美しく、そして、憎らしい。
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