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槍と槍がぶつかり合う音が、キィ・・・ンと周囲に響いた。
その音に、キュッ・・・とくのいちは、胸が締め付けられるような息苦しさを感じて、新鮮な空気を求めて、息を吸ってゆっくりと吐き出す。
忍び込んだ信幸を見つけたのは、くのいち。
くのいちの投げた、くないをさっと交わすと、さすがだな、と笑った。
まさか信幸だと思わなかったくのいちだが、すぐに納得もする。
信幸は不思議とこのような忍びがするようなことが出来る俊敏さがあるが、今の信幸は気配を隠そうともしていなかった。見つかろうとしていた。
おそらく、自分に見つけてもらおうとしていた、とくのいちは思った。
けれど、今は敵。
再びくないを構えた瞬間、くのいちの背に何が鋭い物が当てられた。
小刀だ。
「――っ!」
信幸の家臣の出浦だった。さすがに忍びなだけあって気配がまったくなかった。
不覚をとった、とくのいちが悔しさに歯噛みしていると、
「幸村のところに案内してくれないか?」
不思議なぐらいいつもと変わらない同じ笑顔を、くのいちに向ける。
戸石城攻めを命じられた、と信幸が言った。
厳重な警護がされている中、一軍を率いる大将がよくも入り込んできたものだと幸村は、なかば呆れ、なかば感心しつつ、城内の警備に苛立ちを感じた。そんな幸村など構わずに、
「勝負しないか?」
とのんきな口調で言うのだ。
「真田の兵同士で争うなど不毛だ。これなら互いに被害が最小限に抑えられ、私が負ければ、我が兵たちはお前につくように指示してある」
からりと笑う信幸を、幸村は冷ややかな目で見返す。
その視線に笑いをひらりと信幸は捨てると、
「くのいちと出浦がこの勝負の証人だ」
ゆっくりと二人を見渡す。
叩き合い、突き合う槍と槍。
肉薄しあい、凄まじい槍音が互いの脇を流れる。
当然のことながら稽古以外で槍を合わせるのは初めてのこと。
――兄上は本当は弓が得意なのに。
この場では槍か剣でし合うのが一番いいだろう、と言ったのも信幸。
打ち込んだ瞬間、俊敏な動きで信幸が身を交わす。
交わした瞬間、槍の持ち手を変え、幸村の脇腹に槍が触れたので、条件反射のように幸村の中に激情が沸いた。
幸村の中にうごめくそれは激情であって、激怒ではない。
激怒であれば楽だろうと思った。
激怒なら一時の感情の赴くがままに、この勝負に挑める。
なのに――激怒はないのだ。
怒れ、憎め、そう思うのに、人間の感情というものは、それほど単純ではないらしい。
愛情と憎しみは、表裏一体。
そもそも兄の何を憎めばいいのか分からないのだ。
激情に突き動かされるまま槍を操り、
今なら殺れる――そう思った瞬間、幸村は惑乱した。
同時に突き進んだ二人が烈しく一合、二合と打ち合い、体が入れ替わった。
幸村が再び挑もうとしたが、すかさず信幸が正眼を構えるように間合いをせばめてきたので、幸村も動きを止める。
互いにじりじりと間合いをせばめつつ睨み合う。
睨み合いながら、今だ――と思えば信幸がふわりと間合いを外してしまう。
またじりじりと間合いをせばめあったが。
「やぁ!!!」
幸村が打ち込んだ瞬間、信幸の槍が飛んだ。
そのまま、くるくると舞って地に突き刺さり、信幸が吹き飛ぶように地に転がった。
その信幸の首元に幸村の槍。
「私の負けだ。元々勝てるなどとは思ってはいないがな」
信幸の首に槍が当たる。
ぐっ・・・と信幸が自ら首に槍を食い込ませたのだ。
その首から血がすっ・・・と流れたのを幸村が見ていると、
「殺せ」
信幸が言う。
けれど、幸村はただ兄に槍を突き立てたまま、その流れ落ちる血を見つめるばかり。
「殺せ」
再び信幸が言う。今度は命令のように。
言いながら幸村の槍をぐっと掴み、それを自分に強く押し当てようとするので瞬間、弾かれるように幸村がその槍を引いた。
強くその槍を握っていた信幸の手から、また赤い血。
最初は躊躇うように滲んだ赤が、鮮やかに多く流れ落ちた。
それを見て、一瞬気が遠のく思いがした。
戦場では、どれほどの血を見ても、浴びてもなんでもないというのに。
「やはりお前に私は殺せない・・・か」
「――やはり?」
どういう意味ですか、と視線で問いかけてくる幸村に、信幸が薄く笑う。
けれど、その笑いもすぐに次の瞬間には、歪んで消えてゆく。
「私もお前を殺せない」
まるでひとり言のように信幸が落とした言葉。
互いの間に醸成され、積み上げられきた兄弟としての関係。
それが邪魔をする。
「――ここで兄上が死ねば、東軍が勝っても真田の家は残らない」
だから、殺さなかった――厳めしげに張った頬を、無感情で揺らす。
「息子たちがいる。徳川殿にお預けしたから平気だ。私が死ねば、それはきっと大切に両義父の庇護を受け、真田の家名を繋いでくれるだろう」
「ふたりとも・・・預けたのですか?」
「ああ、ふたりとも預けた」
「――・・・」
ここで死ぬのも悪くないと思ったんだがな――信幸が言う。
言いながら立ち上がる。
その瞳は不思議なまでに冷静で、けれど、狂気を滲ませているようで幸村は息を呑む。
――兄を殺せない。
けれど、死ぬのならば――兄に殺されるのならば構わない。
それはもしかして兄も同じなのか、とハッとする。
けれど、残された方は・・・。
考えただけで身震いする。兄もそれが分かっている。
「引け――この戸石城は開け渡せ。真田の兵と兵同士を争わせたくない。私は、この戸石城に入り、その後の上田との戦いには出ることはないだろう。一族で争うことはしないで済む。お前は上田で思う存分暴れればいい」
幸村は、しばらく信幸の唇から吐き出された言葉たちの跡を見つめるような顔をして、黙り込み、そのまま、視線を反らしてから、小さく頷いた。
その態度が子供の頃、いたずらが見つかり叱られ、納得していないのに、しぶしぶ謝る姿とまったく同じで。だから、つい
「お前は変わらないな」
信幸の唇からその言葉が零れる。
【戻る】【前】【次】
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槍は一合、二合と数えないかも。
その音に、キュッ・・・とくのいちは、胸が締め付けられるような息苦しさを感じて、新鮮な空気を求めて、息を吸ってゆっくりと吐き出す。
忍び込んだ信幸を見つけたのは、くのいち。
くのいちの投げた、くないをさっと交わすと、さすがだな、と笑った。
まさか信幸だと思わなかったくのいちだが、すぐに納得もする。
信幸は不思議とこのような忍びがするようなことが出来る俊敏さがあるが、今の信幸は気配を隠そうともしていなかった。見つかろうとしていた。
おそらく、自分に見つけてもらおうとしていた、とくのいちは思った。
けれど、今は敵。
再びくないを構えた瞬間、くのいちの背に何が鋭い物が当てられた。
小刀だ。
「――っ!」
信幸の家臣の出浦だった。さすがに忍びなだけあって気配がまったくなかった。
不覚をとった、とくのいちが悔しさに歯噛みしていると、
「幸村のところに案内してくれないか?」
不思議なぐらいいつもと変わらない同じ笑顔を、くのいちに向ける。
戸石城攻めを命じられた、と信幸が言った。
厳重な警護がされている中、一軍を率いる大将がよくも入り込んできたものだと幸村は、なかば呆れ、なかば感心しつつ、城内の警備に苛立ちを感じた。そんな幸村など構わずに、
「勝負しないか?」
とのんきな口調で言うのだ。
「真田の兵同士で争うなど不毛だ。これなら互いに被害が最小限に抑えられ、私が負ければ、我が兵たちはお前につくように指示してある」
からりと笑う信幸を、幸村は冷ややかな目で見返す。
その視線に笑いをひらりと信幸は捨てると、
「くのいちと出浦がこの勝負の証人だ」
ゆっくりと二人を見渡す。
叩き合い、突き合う槍と槍。
肉薄しあい、凄まじい槍音が互いの脇を流れる。
当然のことながら稽古以外で槍を合わせるのは初めてのこと。
――兄上は本当は弓が得意なのに。
この場では槍か剣でし合うのが一番いいだろう、と言ったのも信幸。
打ち込んだ瞬間、俊敏な動きで信幸が身を交わす。
交わした瞬間、槍の持ち手を変え、幸村の脇腹に槍が触れたので、条件反射のように幸村の中に激情が沸いた。
幸村の中にうごめくそれは激情であって、激怒ではない。
激怒であれば楽だろうと思った。
激怒なら一時の感情の赴くがままに、この勝負に挑める。
なのに――激怒はないのだ。
怒れ、憎め、そう思うのに、人間の感情というものは、それほど単純ではないらしい。
愛情と憎しみは、表裏一体。
そもそも兄の何を憎めばいいのか分からないのだ。
激情に突き動かされるまま槍を操り、
今なら殺れる――そう思った瞬間、幸村は惑乱した。
同時に突き進んだ二人が烈しく一合、二合と打ち合い、体が入れ替わった。
幸村が再び挑もうとしたが、すかさず信幸が正眼を構えるように間合いをせばめてきたので、幸村も動きを止める。
互いにじりじりと間合いをせばめつつ睨み合う。
睨み合いながら、今だ――と思えば信幸がふわりと間合いを外してしまう。
またじりじりと間合いをせばめあったが。
「やぁ!!!」
幸村が打ち込んだ瞬間、信幸の槍が飛んだ。
そのまま、くるくると舞って地に突き刺さり、信幸が吹き飛ぶように地に転がった。
その信幸の首元に幸村の槍。
「私の負けだ。元々勝てるなどとは思ってはいないがな」
信幸の首に槍が当たる。
ぐっ・・・と信幸が自ら首に槍を食い込ませたのだ。
その首から血がすっ・・・と流れたのを幸村が見ていると、
「殺せ」
信幸が言う。
けれど、幸村はただ兄に槍を突き立てたまま、その流れ落ちる血を見つめるばかり。
「殺せ」
再び信幸が言う。今度は命令のように。
言いながら幸村の槍をぐっと掴み、それを自分に強く押し当てようとするので瞬間、弾かれるように幸村がその槍を引いた。
強くその槍を握っていた信幸の手から、また赤い血。
最初は躊躇うように滲んだ赤が、鮮やかに多く流れ落ちた。
それを見て、一瞬気が遠のく思いがした。
戦場では、どれほどの血を見ても、浴びてもなんでもないというのに。
「やはりお前に私は殺せない・・・か」
「――やはり?」
どういう意味ですか、と視線で問いかけてくる幸村に、信幸が薄く笑う。
けれど、その笑いもすぐに次の瞬間には、歪んで消えてゆく。
「私もお前を殺せない」
まるでひとり言のように信幸が落とした言葉。
互いの間に醸成され、積み上げられきた兄弟としての関係。
それが邪魔をする。
「――ここで兄上が死ねば、東軍が勝っても真田の家は残らない」
だから、殺さなかった――厳めしげに張った頬を、無感情で揺らす。
「息子たちがいる。徳川殿にお預けしたから平気だ。私が死ねば、それはきっと大切に両義父の庇護を受け、真田の家名を繋いでくれるだろう」
「ふたりとも・・・預けたのですか?」
「ああ、ふたりとも預けた」
「――・・・」
ここで死ぬのも悪くないと思ったんだがな――信幸が言う。
言いながら立ち上がる。
その瞳は不思議なまでに冷静で、けれど、狂気を滲ませているようで幸村は息を呑む。
――兄を殺せない。
けれど、死ぬのならば――兄に殺されるのならば構わない。
それはもしかして兄も同じなのか、とハッとする。
けれど、残された方は・・・。
考えただけで身震いする。兄もそれが分かっている。
「引け――この戸石城は開け渡せ。真田の兵と兵同士を争わせたくない。私は、この戸石城に入り、その後の上田との戦いには出ることはないだろう。一族で争うことはしないで済む。お前は上田で思う存分暴れればいい」
幸村は、しばらく信幸の唇から吐き出された言葉たちの跡を見つめるような顔をして、黙り込み、そのまま、視線を反らしてから、小さく頷いた。
その態度が子供の頃、いたずらが見つかり叱られ、納得していないのに、しぶしぶ謝る姿とまったく同じで。だから、つい
「お前は変わらないな」
信幸の唇からその言葉が零れる。
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槍は一合、二合と数えないかも。
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