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大坂城は二十万の徳川兵に包囲された。
――家康…ただその首一つを取ればいい。
幸村が思うことは、ただそれだけ。
それを狙いに行けば必ず――。
心の内は、とても静かだ。静かで落ち着いている。けれど心の芯だけは炎を灯している。
――武士として意地を貫く。それ以外の生き方を知らない。
桜の木を見れば、吸い寄せられるようにその幹に触れてしまう。
風にひらりひらり舞う桜の花弁のひとつの行く先を眺めていると、幸村、と声をかけられた。振り向けば大野治長の姿。
藤堂高虎が来たあの後から、城内で内通を疑われたが、大野だけはそんなこと気にもしていない様子だった。
「先日の藤堂殿の供の中にいた若者は、信之殿にそっくりだったな」
微笑みかけてくる。
「甥だ。間違えるわけがない。揺さぶりをかけてきたのだろう。従兄弟も城を去った。ずっと私は兄の掌中にいたのかもしれない」
「いいのか?」
「何が?」
「兄弟がこうなって」
「・・・誘いをかけてきた本人の言葉とは思えないな」
すると、唇に自嘲の笑みを大野は浮かべたが、すぐにそれをおさめて、
「守るためなら何でもすると決めている。どんな手段をとろうとも。日和見だの、優柔不断なの、仮に卑怯だの何だの云われてもかまわない。茶々様と、茶々様の大切なものの為の命なのだ」
「愛せない罪滅ぼしなのですか?」
「血のつながらない男女だからと、そう簡単に愛だの恋だのに結び付けて欲しくない。兄妹でも、恋人でもなく、ずっと共に生きてきた主従であり、そして、半身なのだ。幸村と信之殿みたいに兄弟という明白な結びつきがある方が説明が楽でいい」
「私と兄上は・・・」
兄弟であり、兄弟でしかない。
いや、違う。
かつて兄が言った。
――花が散り、残された幹はただただ寂しい。
兄は真田という幹であり、そして、私は花なのだ。
あの少年の日から、ずっとそうなのだ。
兄と言う幹に咲く花であり、散って、また、そして咲くのだ。
兄の中で、兄の命がある限りあの日見た桜のように。
大野が誰かに呼ばれて去って、ひとり鍛錬をしていると、「幸村様」と声がかけられる。
くのいちだ。
「どうかしたのか?」
「どうかしたって…周りどこも敵でいっぱい。なのにそんな涼しい顔して、幸村様、まるで…」
「綺麗だな…。いつだったか、こんな桜を見上げたことがある。あの時も胸が高鳴った…」
「ほんと、綺麗…。この桜、来年もこんな時期に咲くんですかね」
「ああ」
「…また一緒に…見られますかね…」
「ああ」
「幸村様、最後までお守りします。だから、死なないで!」
くのいちの言葉に、幸村は優しく微笑む。そして、
「私は兄という幹に咲く花なのだ。幹があれば私はその中でずっと生きる」
※
伝言を頼みます――頭の上に降ってきた言葉に、信之は顔をあげる。
陣の隅。
徳川軍に包囲された大坂城を見つめながら、ぼんやりと狂い咲き桜の大木の下に腰掛けていた。
遠くに戦の喧騒。
幸村の真田丸の攻防は、すさまじいものがある。
「立花殿」
「幸村殿を止めるのは貴方しかできないでしょう」
「…伝言ですか?」
「幸村殿に黄泉路でツンケンした女に会ったら、伝えてくれ、と。立花は…必ず守ってみせる」
「幸村が誾千代殿にですか?」
信之は、ゆっくりと立ち上がる。
「稲姫が探してましたよ。それで妻を思い出しましてね」
「稲が?息子や従兄弟を大阪城に送り込んだことを伝えずにいましたら、ずっと拗ねているのですよ」
「それは仕方がない」
ふたりで大坂城を見据える。
「とうとうこの時が来たのか」
「え?」
「亡きお館様・・・、武田信玄公に云われたのです。弟を亡くしたお館様が私に」
――堂々とせよ、信之。しなだれた背中を幸村に見せてはならん。
「大御所様にも言われました」
――真田のため、弟のためか。そなたは幹となって咲かせたいのだな、幸村という花を。
――花が散るのを惜しむのは、人の勝手な解釈に過ぎぬ。花は散り、明くる年にはまた開く。民という花、将という花。時を越えて、咲き続けることにこそ意味がある。よいな信之、花が散るのを悲しんではならぬ。
家康も自分も同じだ、と信之は思っていた。
世の平穏の為に、豊臣が臣従してくれるのなら、豊臣を残したかった。
弟が徳川に従ってくれるのなら、息子や、若き者たちへの指導者として生きて欲しかった。
けれど、一方で万が一に備えて策を巡らしてきた。
守るべきものがあるから。
与右衛門から聞いた伝言。
「武士として意地を貫く。それ以外の生き方を知りません。兄上が示してくれた道をいくことはできない。けれど、袂を分かっても、兄上を慕う気持ちは変わらない」
幹が、咲かせた花が散るのを悲しんではならぬ、とは言いますが、と宗茂が言う。
「それも無理な話。悲しめばいいんですよ。悲しんで悲しんで、だけど、いつしかそれも変わる。自分の中にある花びらをそっと時折取りだして、ふたりだけで話せばいいのです。悲しい、寂しいと子供のように訴えて、会える日を楽しみに、それをただ引き延ばして生きていると思えばいい。前にも話しましたが家名が残れば、その名は残る。私たちは子供には恵まれませんでしたが、甥を養子に迎えることになってます。誾千代の血はひいてなくとも、立花を引き継いでくれる」
「繋がりは血だけではない…」
その時。
「父上!!」
信吉の声がした。
走ってこちらに向かってくる。前線に出ていたが、撤退したらしい。
「叔父上はすごいです!!」
「逃げてきたのか?」
「供として大坂城に向かった時、藤堂殿に云われました。無理だと分かればすぐに手を引け。友を家族を討つ、そんな戦は俺たちの世代が、自分の手で終わらすべきなのだ、と」
「藤堂殿が?」
「なので」
信吉が、槍を信之に渡してくる。
数瞬。瞬きをしてから信之は受け取る。
「来ます。家康様のところに」
槍をぐっと信之は、握りしめる。
信吉を見ていた宗茂だったが、信之に言う。
「次世代の幹が育ってますね。良き時を見て撤退して、父に託す」
「最後まで戦い抜くつもりです。徳川の将として、幸村の兄として」
風が吹く。狂い咲きの桜が散る。
いつかのあの日のようだ――。
桜の花びらが舞う中に、ふたりで鍛錬したあの日。
――幸村、来い!勝負だ!
※
その槍を、初めて本気で私に向けてくれました今。
兄上の瞳が真剣に私を、勝負を仕向けてくれた今。
兄上が幹として家名を繋いでいく覚悟を、槍を通して感じた今。
花と散るは、この幸村の役目なれば兄上、真田の血を頼みます。
魂はこの幸村が引き受けた!
※
あれから――。
豊臣との戦からの動乱も治まりかけた頃。
何やら大切そうに書状を眺めていた信之の背を見つめていた稲だか、その視線に気付いたらしい信之が振り返る。
「まだ実は怒っているのですか?」
からかうように信之に言われて、稲はふっと小さく溜め息を落としてから、
「そうです!」
と唇を尖らせる。
すると信之が、笑う。
与右衛門のことも。
息子の信吉のことも。
何も聞かされていなかった稲は、蚊帳の外で物事が進んでいたことに、怒っていた。
けれど、幸村が散り、それから。
弟を亡くした夫を心配しているうちにすべてが消えたと思っていた。
なのに、落ち着いてから、沸々と思い出されるのは、ふとした時に信之が何かに囚われているような目をするから。
まだ私の知らないことがあるのか?
拗ねているのか、心配しているのか。不安なのか。
稲でも分からない感情だけど、それを信之は「まだ怒っているのか?」とからかうのだ。
違うけれど、違うわけでもない。
矛盾した心だけど、稲はそれを心のうちにどうにか押し込める。
稲、と手招きされて、信之に近付けば、手にしていた書状を渡される。
「これは石田三成の…」
夫の亡き友で、かつての敵からの書状。
たわいもないものから、昌幸に宛てた関ヶ原の頃の機密のものや、九度山からの昌幸や幸村が代筆した書状まで。
「いつか時期が来る時まで、真田の家で保管していきます」
「え?」
「生きた証です。その人がどのような人で、どう生きたのか。家名が残れば伝わるものもあるけれど、三成は…。私と幸村の大切な友の生きた証」
――乱世を生き、戦を終わらせた者が死んだ者たちにできることはしたい。
信之の言葉に稲は頷く。
稲の肩を抱き寄せて、じんわりと伝わってくるぬくもりに、信之は瞼を閉じる。
時折襲ってくるどうしようもない哀しみ。
胸に暗く燃える孤独。
その虚しさを、苦さを、稲の微笑みが、体温が癒してくれる。
立花宗茂が言ったような、
「悲しんで悲しんで、だけど、いつしかそれも変わる。自分の中にある花びらをそっと時折取りだして、ふたりだけで話せばいいのです。悲しい、寂しいと子供のように訴えて、会える日を楽しみに、それをただ引き延ばして生きていると思えばいい」
とはまだ思えない。
人の感情も花のようで、咲いては散っていく。
いつか幾千と散った花を重ねた後。
あの日に帰るのだろうか?
散って花は風に舞い、嵐のように吹き上がる。
花嵐。
そして、その先に。
聞こえてくる日がくるのだろう。
兄上!
屈託なく笑う弟の声が。