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2024/11
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その使いの者が来た時、誾千代は刀の手入れをしていた。

襖一枚を隔てた次の間に宗茂がいる。その気配を感じながら、けれど、気にもならない振りをして、座禅を組むような気持ちで一心に刀を磨いていた。
けれど、心は漣のように引いては寄せて――落ち着かない。
なぜ宗茂の前で涙を見せてしまったのだろう。
なぜそれに対して、弱さを見せてしまったことに対して後悔がないのだろう。
分からない。
自分の気持ちが分からない。
分からないのならば、考えずにおこうとばかりに刀の手入れに心を向ける。
けれど、心を無にしようとしている誾千代の耳が、慌しい気配を感じ取る。
隣の部屋に居る宗茂も気付いたらしい。
しばらくして突如慌しく動き出した城の気配。
駆けてくる足音に顔を上げれば、刹那障子戸が開かれた。
けれど、それは誾千代のいる部屋ではない。隣の宗茂の部屋。
無言のまま宗茂が立ち上がり、部屋を出て行った。
遠ざかる足音に誾千代は、自分の部屋の障子戸を開き、縁に出て草鞋を履き、ひらり庭へと降りる。宗茂の行き先は父の部屋だろう。廊を行くよりも庭を通り抜けた方が早いことを誾千代は知っている。
先回りをしようとしたけれど、父の部屋は無人だった。
草鞋を脱ぎ捨て、廊を走り侍女を捕まえれば、大友家からの使いの者が来てすぐに輿に担がれ出かけたという。侍女が言い終わるのを待たずに誾千代はまた駆け出し、厩へと向かえば宗茂の馬はない。

後を追うべきか――。

自分の馬に触れ、ふっと迷いが生じる。
こつんと馬の首に誾千代は自分の頭をもたれかけて、違う、と呟く。
何が違うのか――正直自分でも分からないけれど、違うと再び呟きを落として、馬の鬣を撫でてやってから、くるり踵を返して部屋へと戻る。







「戦が始まるのですかねぇ・・・」

のんびりとした口調に道雪は、婿――宗茂を見る。
宗茂は、逆光眩し気に目を細めて、馬でいく道のりの長閑さを眺めている。大友家からの使いは島津が攻めてくる気配を見せているから重臣たちは集まれというもの。

「いや、しかし、眩しいですね」
「――・・・・戦が起きれば、誾千代はどうする?」
「出るでしょうね」
「止めないのか?」
「止められるとお思いですか?」

にこりと宗茂が真っ直ぐに道雪を見る。それから、

「義父上は、過保護でいらっしゃる」

と楽し気に笑う。

「義父上が思うほどに誾千代は弱くない」
「そなたが思うほどにも強くない。誾千代のことはそなたよりよく知っている」

馬を寄せて、宗茂が輿の上の道雪の顔を覗き込むようにした。それに煩わし気に道雪が眉根を寄せれば、からからと宗茂が笑う。

「親子ですね。普段は思うことなかったのですが、今の表情はよく似ておられる」
「――・・・・」
「確かにまだ誾千代のことは知らないことが多い。しかも、嫌われている」

別に構いませんよ、と付け加えるように言う。道雪はしばらく無言で宗茂を見た後、ふっと後ろを振り向く。

「追っては来ませんよ」
「なぜ分かる」
「勘です」
「当てにならんな」

再び振り返っても、そこに誾千代の姿は現れることはない。
追ってきて欲しいのか欲しくないのか。追ってきたのならば叱り飛ばすだけなのに、宗茂の言う通りに姿を見せない誾千代に、幾ばくかの淋しさと苛立ちを感じるのは――。
相変わらず眩しそうにしている宗茂を道雪は見る。

「誾千代を戦に出し、死んだらどうするつもりだ」
「戦場で誾千代が死ぬことはありません」
「なぜ分かる」
「勘です――というのは冗談で、死なさないために私がいるのです」
「誾千代の性格だと死すら本望だと恐れないだろう」
「そうでしょうね」

思わず道雪は溜息を落とす。
道雪としては至極真面目に話しているつもりだが、宗茂の口ぶりはあまりにのんびりとしていて、まるで天候のことを話しているようなのん気さなのだ。

「けれど、義父上もそうだったのではないですか?私は高橋の父に男が戦に強くなければ、主君も家も守れぬ。男は強くなければならないと教わりました。その教えは、死をも恐れずに主家も家も守らなければならないということだと思っておりますが――」
「が?」
「私の考えは違います。命あってこそ主家も家も守れるのです。死を誇るべきではない。死んでは誇りは残っても、本当に守るべきものは守れない」
「――そうか。そうかもしれないな」

否定されるものかと思っていたらしい宗茂が、年相応の若者らしくきょとんと目を大きくしているのが面白く道雪は笑った。笑われて我に返ったらしい宗茂も唇に笑みを浮かべる。

「死は誇るものではない。それがそなたたちが作り出す時代の風潮になるのかもしれないな」
「誾千代は戦場では死なせません」
「馬鹿者」
「――義父上?」
「馬鹿者。そなたもだ。そなたも戦場では死ぬな。そなたに死なれれば、誰が誾千代を守る。決して誾千代より先に死ぬな」
「義父上は誾千代のため、誾千代は立花の誇りのため、と言う」

宗茂が笑う。澄んだ青空を見上げるような穏やかな柔和な笑み。
そんな笑みを頬に浮かべたまま、

「先に行きます」

言い終わらないうちに馬を走らせる。
先を駆けていく宗茂の背が見えなくなるまで見つめ、それから、再度振り返る。宗茂の言うとおり誾千代は追ってこない。
あぁ、と声を出して、それを唇に笑みを掃いて受け止める。
手から本当に離れた――そう思った。
誾千代はもう自分の手から離れ、宗茂の手に収まっているのかもしれない。
いや、宗茂が誾千代の手に収まっているのか。
いいや、互いに――・・・。互いの手の内に収まっている。
寂しい、と思うのはただの父親の感傷でしかないのか。
守りたいと願った娘が自分の手から離れた感傷に笑うしかない。
そっ・・・と道雪は瞼を閉じる。瞼裏に浮かぶは幼き日の娘の姿。自分だけの娘だった頃の誾千代。



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