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あぁ・・・、と誾千代は小さく声をあげた。憤りと落胆が込められた声音。
吹き飛び転げ、地に横たわったまま、起き上がらず、近くに生えていた雑草をむしると、それに苛立ちをぶつけるように投げ飛ばす。
分かりかけていたものが、すり抜けていってしまった。
月のもののせいと降り続いた雨のせいで、稽古を休まざるおえない間に、体に染み付き、あとほんの少しで掴み取れると思っていたものが遠のいた。
それでも、やらなければ、ますます出来なくなるだけだ。
大きく息を吸って吐き、苛立ちに区切りをつけて立ち上がると、宗茂と向かい合う。
けれど、宗茂はじっと誾千代を見るばかり。
眉をひそめて続きを、と促しても、ただ誾千代を見つめるだけ。初めて会ったときのように無遠慮で不躾な視線。それに誾千代の苛立ちは増すばかり。
いつまでたっても仕掛けてこない宗茂に、誾千代が木刀を投げつけると、一瞬驚いたようだが、投げつけられたそれを受け取ると、
「遅れを取り戻したい気持ちは分かるが、無理をするな」
すっ・・・と誾千代の前に木刀を突きつけて宗茂が言う。
誾千代は、その木刀の先端を握り締める。
「無理などしていない。続きを――」
言われて宗茂は、木刀から手を離すと構える。誾千代も木刀を持ち直すと、宗茂に向かい合うが、
「男に生まれたかったとお前は言うが」
「急に何だ?」
「女で良かったと思ったことはないのか?」
「はっ?!」
何をふざけている、と言い返そうとした誾千代だったが、宗茂はあまりに真面目くさった顔をしているので、その顔を真っ直ぐに見据える。そして、
「ない!」
と言い切る。すると、宗茂の頬が軽く笑った。
そうか、ないのか、と言うので、誾千代は再びないと同じ言葉を繰り返す。すると、そうか、ないのか、と宗茂も同じ言葉を繰り返す。
「お前は男としてなら俺とうまくやれたかもしれないと言ったな」
「――・・・それがどうした?」
「お前みたいな男は勘弁だ。お前は女だからいい」
馬鹿にされたと思った誾千代は挑みかかれば、するりと宗茂は間合いを交わす。じりじりと見据え合えば、
「悔やむより受け入れる方が楽ではないのか?男に生まれたかったなどと考えるより、女であることを受け入れ、それ故に――」
「何分かったようなことを言う!私が女であることなど受け入れている!だからこそ、お前を婿に迎えたではないか?!」
「仕方なくか?」
「そうだ!父上が言った、それに、お前は強い。立花の役に立つ。だから――」
「すべては立花の為か・・・」
「そうだ!私は立花の為を思って、受け入れて、なのに――・・・」
誾千代の語尾が震えた。肩も震えている。
「お前が来たら私は用なしだ。刀を置けなどと言う。では、今までの私の努力は何だったと言うのだ?!私が手にしてたと思ったすべては砂になって崩れ落ちた!」
「そんな風に考えていたのか・・・」
愛しい娘を安全な巣に逃しておきたい父と、自分は用なしだと言われたと思う娘。
宗茂は、そのすれ違いにちくりと胸が痛み、けれど、それが不器用な親子らしいとも思う。誾千代・・・、と名を呼べば、くるりと彼女は背を向ける。おそらく涙が零れてきたのだろう。それを自分に見せたくない。自分の弱さを曝け出したくない。
それが分かるからこそ、宗茂は妻の小さな背を見つめる。
そっ・・・と抱きしめたくなるけれど、誾千代はそれを求めていないだろう。
さわ・・・と冷たい風が吹く。誾千代の髪が揺れる。その風は微かに水の気配を含んでいるようで、先日から降り続いている雨を考えれば、再び降り始めるのかもしれない。
「雨が近いみたいだ。戻ろう」
宗茂が言えば、無言のまま誾千代は歩を進める。
馬を繋いだ場所まで歩きながら、誾千代は涙に揺れる視界が歪んで、影になるのを感じた。心の中に流れ込んだ黒い濁流に、足が止まる。景色が揺れて、周りのすべてが絵空事か白昼夢のようにぼやけた。現実が歪んだ。
「誾千代?」
近づいてきた宗茂が腕を掴もうとするので、それを跳ね除ける。なのに、その跳ね除けた手を今度は手を伸ばして掴む。太い手首。自分のそれとは全く違う。
跳ね除けられることに慣れてるけれど、掴まれることが今までなかった宗茂は驚いた。驚いて、掴まれた自分の手をまじまじと見ている。
「私はお前が嫌いだ」
「知っている」
「なぜ・・・、妻に嫌われてお前は平気なのだ?嫌いなのはお前だけならいいとお前は言った」
「ああ」
「なぜだ?」
「本音だとは思えないからな。お前が怒り怒鳴り、その中に本音を滲ませているのは俺にだけだ」
「――・・・」
パッと誾千代が宗茂の手を離せば、今度は宗茂が彼女の手を掴む。
掴んで引き寄せるが、抱きしめはしない。至近距離で俯く誾千代の後頭部を見下ろす。
「お前は女だ」
「うるさい!」
「俺の妻だ」
「うるさい!!」
そんなことは言われなくても分かっている、と誾千代は言う。
そして、分かっている、と繰り返しながら、そっ・・・とそこに自分の体を支えるものは宗茂の体だけだからと、その胸に頭を寄せる。
頭を寄せたのは誾千代。一瞬の間の後、背を押して体全体を引き寄せたのは宗茂。
分かっている、と繰り返す声は宗茂の着衣に吸収され、消される。
「砂のように崩れ落ちたものはすべて――」
俺が拾ってお前に返してやる――宗茂が言う。けれど、それが誾千代の耳に届いているかは分からない。
肩を震わせて泣く誾千代の背を撫でてやる。
所詮俺は、立花の誇りの為に身を投じるお前を支える風でしかない。
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吹き飛び転げ、地に横たわったまま、起き上がらず、近くに生えていた雑草をむしると、それに苛立ちをぶつけるように投げ飛ばす。
分かりかけていたものが、すり抜けていってしまった。
月のもののせいと降り続いた雨のせいで、稽古を休まざるおえない間に、体に染み付き、あとほんの少しで掴み取れると思っていたものが遠のいた。
それでも、やらなければ、ますます出来なくなるだけだ。
大きく息を吸って吐き、苛立ちに区切りをつけて立ち上がると、宗茂と向かい合う。
けれど、宗茂はじっと誾千代を見るばかり。
眉をひそめて続きを、と促しても、ただ誾千代を見つめるだけ。初めて会ったときのように無遠慮で不躾な視線。それに誾千代の苛立ちは増すばかり。
いつまでたっても仕掛けてこない宗茂に、誾千代が木刀を投げつけると、一瞬驚いたようだが、投げつけられたそれを受け取ると、
「遅れを取り戻したい気持ちは分かるが、無理をするな」
すっ・・・と誾千代の前に木刀を突きつけて宗茂が言う。
誾千代は、その木刀の先端を握り締める。
「無理などしていない。続きを――」
言われて宗茂は、木刀から手を離すと構える。誾千代も木刀を持ち直すと、宗茂に向かい合うが、
「男に生まれたかったとお前は言うが」
「急に何だ?」
「女で良かったと思ったことはないのか?」
「はっ?!」
何をふざけている、と言い返そうとした誾千代だったが、宗茂はあまりに真面目くさった顔をしているので、その顔を真っ直ぐに見据える。そして、
「ない!」
と言い切る。すると、宗茂の頬が軽く笑った。
そうか、ないのか、と言うので、誾千代は再びないと同じ言葉を繰り返す。すると、そうか、ないのか、と宗茂も同じ言葉を繰り返す。
「お前は男としてなら俺とうまくやれたかもしれないと言ったな」
「――・・・それがどうした?」
「お前みたいな男は勘弁だ。お前は女だからいい」
馬鹿にされたと思った誾千代は挑みかかれば、するりと宗茂は間合いを交わす。じりじりと見据え合えば、
「悔やむより受け入れる方が楽ではないのか?男に生まれたかったなどと考えるより、女であることを受け入れ、それ故に――」
「何分かったようなことを言う!私が女であることなど受け入れている!だからこそ、お前を婿に迎えたではないか?!」
「仕方なくか?」
「そうだ!父上が言った、それに、お前は強い。立花の役に立つ。だから――」
「すべては立花の為か・・・」
「そうだ!私は立花の為を思って、受け入れて、なのに――・・・」
誾千代の語尾が震えた。肩も震えている。
「お前が来たら私は用なしだ。刀を置けなどと言う。では、今までの私の努力は何だったと言うのだ?!私が手にしてたと思ったすべては砂になって崩れ落ちた!」
「そんな風に考えていたのか・・・」
愛しい娘を安全な巣に逃しておきたい父と、自分は用なしだと言われたと思う娘。
宗茂は、そのすれ違いにちくりと胸が痛み、けれど、それが不器用な親子らしいとも思う。誾千代・・・、と名を呼べば、くるりと彼女は背を向ける。おそらく涙が零れてきたのだろう。それを自分に見せたくない。自分の弱さを曝け出したくない。
それが分かるからこそ、宗茂は妻の小さな背を見つめる。
そっ・・・と抱きしめたくなるけれど、誾千代はそれを求めていないだろう。
さわ・・・と冷たい風が吹く。誾千代の髪が揺れる。その風は微かに水の気配を含んでいるようで、先日から降り続いている雨を考えれば、再び降り始めるのかもしれない。
「雨が近いみたいだ。戻ろう」
宗茂が言えば、無言のまま誾千代は歩を進める。
馬を繋いだ場所まで歩きながら、誾千代は涙に揺れる視界が歪んで、影になるのを感じた。心の中に流れ込んだ黒い濁流に、足が止まる。景色が揺れて、周りのすべてが絵空事か白昼夢のようにぼやけた。現実が歪んだ。
「誾千代?」
近づいてきた宗茂が腕を掴もうとするので、それを跳ね除ける。なのに、その跳ね除けた手を今度は手を伸ばして掴む。太い手首。自分のそれとは全く違う。
跳ね除けられることに慣れてるけれど、掴まれることが今までなかった宗茂は驚いた。驚いて、掴まれた自分の手をまじまじと見ている。
「私はお前が嫌いだ」
「知っている」
「なぜ・・・、妻に嫌われてお前は平気なのだ?嫌いなのはお前だけならいいとお前は言った」
「ああ」
「なぜだ?」
「本音だとは思えないからな。お前が怒り怒鳴り、その中に本音を滲ませているのは俺にだけだ」
「――・・・」
パッと誾千代が宗茂の手を離せば、今度は宗茂が彼女の手を掴む。
掴んで引き寄せるが、抱きしめはしない。至近距離で俯く誾千代の後頭部を見下ろす。
「お前は女だ」
「うるさい!」
「俺の妻だ」
「うるさい!!」
そんなことは言われなくても分かっている、と誾千代は言う。
そして、分かっている、と繰り返しながら、そっ・・・とそこに自分の体を支えるものは宗茂の体だけだからと、その胸に頭を寄せる。
頭を寄せたのは誾千代。一瞬の間の後、背を押して体全体を引き寄せたのは宗茂。
分かっている、と繰り返す声は宗茂の着衣に吸収され、消される。
「砂のように崩れ落ちたものはすべて――」
俺が拾ってお前に返してやる――宗茂が言う。けれど、それが誾千代の耳に届いているかは分からない。
肩を震わせて泣く誾千代の背を撫でてやる。
所詮俺は、立花の誇りの為に身を投じるお前を支える風でしかない。
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