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「嫌だ!」

誾千代が強い口調で言う。
宗茂が秀吉の直参大名に取り立てられたこともあり、筑後柳川13万2000石を与えられ柳川城を居城にすることと決まった。
けれど、誾千代が否を唱える。
幾度も話し合ったが結果は決裂したまま。
生まれ育った立花城を去るのが嫌なのか、父が落とせなかった城に行くのが嫌なのか。他に理由があるのか。宗茂は思案する。
けれど、誾千代とて分かっているだろう。

「太閤の采配なのだからどうしようも出来ないことだとわかっているだろう?」

言われても誾千代は、無言のまま。

「誾千代」
「――・・・」
「この前のことを本当は怒っているのか?」

宗茂の言葉に、誾千代はまなじりを吊り上げて、

「それと何の関係があるというのだ!」

と怒鳴る。この前――。
誾千代を無理矢理組み敷き、抱いた。
最初は抵抗した誾千代だったが、途中から諦めたのかされるがままとなった。
コトが終わり、我に返った宗茂が見た誾千代の姿は凄惨だった。
白い肌はところどころ赤黒く鬱血し、髪は乱れて唾液や汗によって頬や額に貼り付き、頬も唇も白く乾き、血の気が失せていた。
力なく伸びた細い腿のあいだに、宗茂の欲望の残骸。
宗茂はそれを見て、激しい後悔に襲われた。
すまない、そう言うと、誾千代が瞳だけを動かし、宗茂を見るとかすれた声で、

「お前に何があったんだ?」

問いかけてくる。宗茂は答えない。
誾千代も返答を強いるつもりはないらしい。ただ深い息を吐き出すと、

「お前が――何もないのにこのような振る舞いをするとは思えない」

そう告げた。だから、怒っていないと。
そんな彼女の優しさに甘え、再び抱き寄せて謝った。
あの時の自分は最低だったと宗茂は思う。

「あの誾千代とやっていけるのは私ぐらいかもしれませんね」

そう亡き父に言ったこともあった。
自信もあった。なのに、彼女を傷つけるばかり。
思い出して宗茂は落ち着かない気持ちをもて余しつつ誾千代を見ると、彼女の視線が開け放たれた障子の向こうに注がれている。
開け放たれた障子の向こうに見える景色。
風を灼く太陽。
空の色も青に抜けて、その空の下に見慣れた庭があって。
誾千代と登って怒られた松の木があって。
誾千代が落ちた小さな池があって――。
広がる景色のすべてが誾千代との思い出に繋がる。
宗茂とてこの城とは離れがたい。
けれど、どうしようもないのだ。
誾千代も同じものを目に映しているのだろうか?
彼女の目にはどう映っているのだろうか?
ずっと彼女の笑顔を見ていない。そう思うと胸の底がうずうずと疼き、たまらなく苦しくなる。誾千代、と心の中で呼びかけると、

「あの時――」

誾千代が唇を開き、宗茂は内心驚く。

「黒と白の珍しい鳥がいたんだ」
「――池に落ちた時か?」

誾千代は小さく頷くと、少し唇の端に浅い笑みを浮かべる。

「あの鳥は何という名前だったのだろうか・・・」

誾千代の瞼が、何か遠いものの輪郭を捉えるためのように、ふわりと細まる。
それから、ゆっくりと宗茂を見た。
宗茂も真摯すぎるその瞳をたじろぎもせずに迎え入れる。

「宗茂、城を出る前に父の墓参りに行きたい」
「じゃあ、俺も――」
「ひとりで父と話したい」
「分かった」

つまりは柳川城に移ることを了承したということか。
宗茂は内心、心から安堵する。
立花の家での誾千代の存在は当然だが大きい。家臣の中には誾千代が生まれた時から知っている者も多い。
子供の頃より立花城に自由に出入りしていた宗茂だからこそやっていけている部分もあるが、彼らの信頼を得るのに苦労もしたのも事実。
家臣たちだって本当は嫌なのだ。反対の声だってある。
そこまで思い立って、あぁと宗茂は合点がいった。
誾千代が頑なに移ることを拒んだ理由。
誾千代が拒めば、家臣たちは逆に冷静になる。
まだ年若い城主夫妻を嗜め、立花の存続の為の道を諭さなければならない。
宗茂が立花城立ち退きを嫌がる誾千代を説得すれば、家臣の宗茂への信頼も高まる。

そういうことか。

宗茂が落とした呟きをかき消すように、衣擦れの音をたてて誾千代は部屋を出て行く。


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