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立花様、と稲に呼ばれ誾千代は我に返る。
少しぼぉっとしてしまったらしい。
背後に感じていた宗茂の視線が消えた。誰かが呼びにきた様子だ。
それに稲も気付いたらしい。
稲は、あまり宗茂が好きではないみたいだ。
戦場でオナゴに甘い言葉をかけていたとか、浮気者だとか、立花様に合わない、不埒です、とかいろいろ言っていたことがある。
それに誾千代は苦笑するほかない。
別段かばうつもりはないし、嫉妬する気持ちは沸かない。
甘い言葉を不誠実に吐くことができる男であることを知っている。
逆に女に対して誠実に、甘いことを言うことができない男であることも知っている。
「立花様、私そろそろ失礼します」
そう言う稲を見送りに誾千代も立ち上がる。
そろそろ夕陽の頃だった。
稲を見送った後、誾千代はしばらく夕陽を眺めていたが人の気配を感じた。
振り返らなくても分かる。宗茂だ。
近頃とみに日差しがきつくなり始めている。
育った九州と関東では夕陽さえも違うのか、そんなことを考えていた宗茂だったが、太陽が名残を放つ光の中、誾千代の姿を見つけた。
そのまま、陽に溶けてしまいそうで宗茂は怖くなる。
空気を読まない強固な性格のくせに、どこか儚なく弱く不器用で脆い部分も併せ持つ。
近づいても誾千代は逃げない。
遠くの夕陽に眩しげな視線を放っている。
ほんの一瞬すら目を合わせることなく、そのくせお互い傍から立ち去ることができない。今はただ同じ夕陽を眺める。
「えらく懐かれたものだな」
宗茂が言う。
宗茂の瞳に、誾千代は映っていない。
空に滲む夕陽の淡さを溶かした目を細めている。
「お前は、えらく嫌われているようだがな。戦場でも女を口説くとかなんとか」
「ははは」
乾いた笑い。
宗茂は、興味のない女にはとことん甘い言葉をかけられるのに、好いた女には何も言えない自分の不器用さをつくづく感じていた。
それに聞きたいことも聞けない。
あの時、太閤とふたりで何を話していたのだ、と。
「今晩、太閤のところで宴が開かれるそうだ。お前も呼ばれている」
「分かった。」
「誾千代」
呼びかけるがもう返事はない。
宗茂もただ呼びたかっただけなので気にしない。
視線を誾千代の横顔に滑らせる。
誾千代、誾千代、誾千代――幾度呼びかけたら笑顔を見れるのだろうか?
どんなに待ってもいいと思っている。
ふたりとも老いていてもいい。
誾千代ならば、それでいい。
いくつになった誾千代でも変わらず愛せる自信があるから。
けれど、そんな宗茂の想いが重く邪魔かのように、誾千代は顔を背ける。
視線が甘いのだ。
宗茂の視線が痛いほどに甘くて、誾千代はつい顔を背ける。
そんな目で見られたら――。
胸が熱く溶けるのだ。止めたいのに。止められなくなる。
恋の輪廻が止まらなくなる――。
※
宴は賑わっていた。
その喧騒の中、宗茂はひとり戸惑いも感じる。
いつの間にか有名人になっていた己に、宗茂は内心戸惑っている。
以前に開かれた宴で、「東に本多忠勝、西に立花宗茂という無双がいる」と秀吉に諸大名の前でそう褒め讃えられ、宗茂の名前は一気に広がっていた。
もの珍しい目で見られつつ、堂々としていなければならないと自分を奮い立たせる。
けれど、酒宴の中、年近い者たちは自然と集い、そうなれば年相応の男子に戻るものでもある。
近頃親しくなったのは細川忠興。
足利の流れと組む名門の出で、多少気の荒いところもあるが宗茂とはウマがあった。
気の荒い人間というのに誾千代で慣れているせいだろうと思っていると、遅れていた誰かが到着したらしくより騒ぎが大きくなった。
現れたのは徳川家康。家臣の本多忠勝と、もうひとり年若い見知らぬ男の姿が見えた。3人は秀吉への挨拶に向かう。
「あれが―東の無双、本多忠勝の娘婿の真田信幸だ」
忠興に教えられ、あの稲の夫かと思わずまじまじと見てしまう。
想像していた人物とはずいぶん違うと思った。
背は高いが、武人には見えない。
しばらく観察するように見ていたが、信幸はただ顔を出しただけなのか秀吉への挨拶を終えるとすぐに、踵を翻すが、宗茂と忠興の視線に気付いたのか、ゆっくりとこちらを向いた。
そのまま、ふっと笑みを浮かべつつ、軽く頭を下げるとそのまま去っていく。
顔を知っているぐらいだから知り合いかと問えば、忠興も面識はないという。
しばらくして、稲が姿を走って来た。
「信幸様がいらしたと聞いたのですが」
まるで尻尾を振る子犬のように瞳を輝かしているが、
「あぁ、急ぎの用事で来ただけでもう戻った」
と主君でもあり、義父でもある家康にそう言われ、あきらかに「えぇー」と落胆の声をあげ、それが響き、宴の席に笑いが起きる。
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戦に来たんじゃなくて遠足に来ているみたいになっちゃってる・・・