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2024/11
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ひらりと頬に触れたもの。
見ると濃い緑の色をした葉。
たっぷりと初夏の光を含んだ光の粒が、音もなく弾けているような午後だった。


「そこで何をしている?」

突然、耳元に息が触れ、宗茂は思わずクククッと喉を揺らして笑う。
振り返れば、そこには黒髪の女。
けれど、その顔は――自然と宗茂の頬がだらしなくほころぶ。

「お前こそ何をしている?また抜け道でも作ってあるのか?」
「――・・・くだらないことばかり覚えているんだな」

口先ではつんと澄ましていても、その瞳は潤んでいる。
今にもぼろぼろと溢れてきそうで、宗茂の胸がギュと熱くなる。

「うまく化けたな」
「髢を被っただけだ。髪色と癖っ毛すら隠せばバレないと稲殿が言うから・・・」
「あぁ、別人のようだ」
「でも、お前にはすぐにばれたじゃないか」

馬鹿だな、と宗茂は笑う。


「俺が誾千代、お前を分からないわけないだろう」




 ※



ことのはじまりは上田から。

ふたりの男女が倒れているのが見つかった。
見つけたのは上田藩主、真田信幸―今は改名して信之の家臣、出浦盛清。
真田家の草の者(忍者)の棟梁だという。
よくよく調べてみれば倒れていたのは、室町幕府最後の将軍、足利義昭の近臣だった矢島秀行の娘、八千子。無理矢理結婚させられそうになったのを、互いに心を寄せ合っていた家臣の男と共に逃げ出したが、上田で何者かに襲われたらしい。
命に別状はないとのことですが、と出浦から報告を受けた真田信之は、矢島秀行に知らせるより前に、矢島と同じく足利義昭の近臣だった細川幽斎・忠興親子に秘密裏に書状を送った。
受け取った細川親子から了承を得ると、矢島秀行への連絡は幽斎に託し、加藤清正に書状を送り、宗茂に知らせた。
矢島秀行の娘、八千子とその恋人は、真田家で取り立てるから、彼女の身分を他者に与えて欲しい。
そんなとんでもない申し入れを矢島秀行は、了承した。
娘の出奔は家の恥。隠したかったのだろう。
また、もう諦めていたところ生きていてくれただけでも良しとしたのかもしれない。

真田家の出浦盛清が、まずは肥後の高瀬に入り、出浦とともに誾千代は上田に向かった。上田で稲姫と再会し、信之の側室であるあやめの元に身を寄せていた八千子と会い、彼女として生きていくために必要なことを教えられ、そのまま、しばらくはあやめと共に生活した。
稲姫は、江戸に行かなければならなかった。
それは、真田家が示してみせた、徳川家への服従の証。

「江戸で会いましょうね!いろいろおしゃべりしましょうね!江戸での楽しみが出来ました!待ってます」

人質に向かうとは思えない晴れやかな笑顔で、江戸に向かう稲を見送った一年後。
八千子となった誾千代も、また髪を下ろしたあやめと共に江戸の細川屋敷に入った。


慶長8年。
関ヶ原で西軍についた為、改易されて浪人となっていた宗茂は、徳川家に御書院番頭として召し抱えられた。
きっかけは宗茂の家臣たちが、本多忠勝の家臣たちと揉め事を起こしたこと。
江戸に宗茂がいることが広まり、かつての仲間たちの口ぞえもあり、徳川家に召抱えられることになった。
けれど、それも仕組まれていたこと。すべては真田信之が仕組んだこと。

なぜ、そこまで真田家がしてくれるのか。
宗茂が一度書状で問うた。届いた返書に書かれていたのは。

宗茂のためではなく、誾千代を慕っていた妻である稲の為。
江戸にいる稲の相手を誾千代にして欲しいこと。
また、宗茂の実力を惜しんでいた舅の本多忠勝への恩義のため。
決して、宗茂の為ではない。
そして、暗に徳川に従え、と軽く脅迫めいたことが書かれていた。

後に江戸城内で顔を合わせても、何事もなかったかのように他人行儀に会話を交わすのみ。
細川忠興からの書状で、真田家の騒動は知っていた。
西軍についた父と弟の助命を、自分の命と引き換えに申し出たという。
また、舅である本多忠勝と、井伊直政が真田親子の助命が受け入れられないのならば、徳川に槍をたてる―合戦を挑むと家康に掛け合った。
自分の家臣たちが口先だけの脅しでそのようなことを言うことはないと熟知している家康が折れた。

「敵に回したくない相手だな・・・」

信之は、すべて見通していたのだろう、と宗茂は思った。
表裏比興の者と評された父、真田昌幸の血を引いているだけのことはある。










慶長9年、初夏のこと。
細川家を通して、矢島秀行の娘、八千子を後添いにしないかと申し出があり、宗茂はそれを受けた。
江戸の細川邸でふたりは再会した。
通された部屋に先に誾千代がいるはずだったが、その姿はなかった。
庭だろう、と思い許可を得て、庭に降りた。
そして、やはりそこに誾千代はいた。


「俺が誾千代、お前を分からないわけないだろう」

そう言うと、風が吹いた。青葉を揺すって舞い上がる。

青嵐。

ひらりひらりと散った緑の葉が、誾千代の髪に舞い落ちる。
そっとそれを宗茂が取り払ってやると、その腕に誾千代が飛び込んでくる。
それを受け止めて宗茂も、きつく強く彼女を抱きしめる。
誾千代は、胸いっぱいにあふれた甘くあたたかいものを、どんな言葉にしてみようか悩んだけれど、結局言葉は見つからず、自分の胸の内で、それをゆっくりと噛み締める。
それに、言葉にしなくとも宗茂には伝わっているはず。
頬を寄せた胸の奥から、鼓動が聞こえる。時を、命を、恋を刻む音。
ぽろぽろと涙だけが溢れる。
自分の肩が、誾千代の涙で温かく潤っていくのを、宗茂はそのままにしておいて、

「やっと会えた・・・」

二度と離さない。強く誾千代を抱きしめる。


舞い上がる風が、ふわりと二人を包み込む。




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