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部屋の隅に座り込んだまま、身動きしない。
そんな息子に幸村が、どうした、と声をかけると、大助はちらりと父を見上げた。
信之に会って帰って来てから、ずっと様子が可笑しい。
てっきり信之は、大助を帰さないつもりだと幸村は思っていた。
そして、幸村もそれをどこかで望んでいた。
大助の隣に腰を下ろし、
「伯父上に何か言われたか?」
「上田に来ないか、いつか上田城を再建するつもりだから手伝って欲しい」
「そうか。心揺れているのか?行きたいのなら――」
「行きたいわけではない!」
語尾が震えていた。
行きたいわけじゃない、再び同じ言葉を繰り返した後、
「あいつが――」
「あいつ?」
「信吉・・・が、自分と入れ替われなんて言うから――」
「えっ?!」
幸村の唇が、すっ・・・と割れ、
「どういう意味だ?!」
息子を厳めしげに張った顔で見据える。
京見学でも、と言われても気分が乗らないので帰ると言った大助に、自分によく似た顔を持つ従兄弟の信吉が人懐っこい笑顔を向けて、まるで大助の言葉など耳に入っていないかのように、
「とりあえずは、清水寺が定番かな?」
などと言う。イラッとした大助だったが、あまりに無邪気に信吉が笑顔を向けるので、それになぜかまぁいいか、という気持ちにさせられ、内心慌てた。
そんな信吉の隣で、兄よりも背がほんの少し高い信政が、
「似ている、似ているというけど、そんなに似ているか?」
大助の顔をまじまじを覗き込んでくるので、不愉快さを隠さずに眉根を濃く歪ませると、
「なんだ、似てないじゃないか」
大助の髪をくしゃとかきまわすので、小馬鹿にされたと大助は憤慨し、
「離せ!!」
荒々しくその手を払いのけると、へぇと関心したように目を細めて、
「性格も似ていない。それにお前には八重歯があるんだな」
満足気に言う。ますます眉根を濃く歪ませる大助を、ふっと笑う。
なんだこいつら。大助は初めて会う従兄弟たちを睨みつける。
けれど、ふたりとも全然気にする様子など見せない。あくまで余裕なのだ。
ふたりに比べればまだ子供がいきがっているようにしか見えないのだろうと分かっており、不快な気持ちにさせられるが、どこか――。
ぷいっと顔を反らせば、笑われる。
子供じみた行動をしてしまったことに大助は後悔した。
五条通りに出た時だった。
ずっと尾けるように後方を歩いていた右近に、信政が声をかけ、ふたりの足が止まった。その一瞬の隙に、大助は背後からの忍び寄ってきた手に、たちまち捕らえられた。声をあげる間もなく、そのまま、腕の主―信吉が、人ごみにまぎれるように、大助の腕を引っ張り、荒々しく小道を抜けていく。
しばらくして公家屋敷を取り囲む築地塀に大助の体を押さえつける。
ここで殺されるのか、卑怯な――そう思ったのはほんの一瞬のこと。そもそも、ここに連れられるわずかな間の腕を捕らえて歩いた信吉には乱暴なところはなかった。
信吉は、にこりと微笑みながら真っ直ぐに真摯な瞳で、
「また戦が起きる。その時、その混乱にまぎれて私と入れ替わるんだ。あの叔父上の血筋は残さないといけない」
警戒と困惑が胸の中に入り混じって、大助はただただ信吉を見つめるしか出来ない。
「入れ替わってしまえば、後は父上がどうにかしてくれる」
「知っているのか?」
「いや、何も言っていない。けど、父上はすぐに察して、どうにかしてくれる。そういう人だ。しばらく病だが、戦で怪我をしたと適当に理由をつくり、引きこもれば、その間にお前は声変わりがするだろう。背が伸びたところで、あまり不審にも思われない」
「そんなことがうまくいくわけないだろう」
「大丈夫だ、前例がある」
「前例?」
「立花誾千代という女武将がいた。関ヶ原の後に、死んだことになっている。けれど、別人になり変わって生きている。それを裏で工作したのが我が父だ」
「――立花・・・誾千代・・・?」
「お前は知らないだろう。当然のことだ。我が父は一見頼りないが、平気だ」
「頼りないとは思わないが・・・」
あの一瞬見せた怖いと思わせた鋭い目つき。
あれはきっと、かなりの手練手管がないと出来ない。
戦場だけではない別の場所でも戦い続けた男だけが出来る目なのではないだろうか。
「ただ家督は、信政に継がせろ。東の無双と言われた本多忠勝の娘で、本人もすばらしい女武将だった母の正当な血筋の持ち主は、信政だ」
そこまで信吉が言った時、背後に影が翳った。
ふたりを探していたらしい信政と右近の姿があった。
「たわけたことをっ!仮に真田の家督が欲しければ俺は、俺の力で奪い取ってみせる!」
信政は、信吉と大助を引き離し、大助を右近に投げるように突き放す。
右近に受け止められ、大助はその肩を掴まれる。
「やはりそうか!思っていた通りだ!何が入れ替わるだ!」
信政は、信吉の胸ぐらを掴み、
「確かに背丈も顔も似ている。けれど、すぐにバレる!」
「病と称して、しばらく姿を消し――」
「くだらない!確かに声も背丈も誤魔化せるだろうが、髪質が違う」
「髪?」
「それに大助には八重歯があった。どちらも簡単に誤魔化せるものではない!父上がどうにか取り繕ったところで、俺がすべてを暴露すればすぐに終わりだ。俺は絶対に認めない」
兄の胸ぐらを掴んでいた手を離し、それからキッと大助をにらみつけると、
「お前もそこまでして生きていたいか?!何の為に大坂城入りしたんだ?!もののふの意地か?!信義のためか?!戦で散っていくことがもののふの意地が?!」
くだらない――吐き捨てるように言う信政に大助は、
「何がくだらないだ!」
掴みかかろうとするが右近に止められる。
「どんな屈強にも強く生きていくことで、もののふの意地を貫く道もある。華やかに死んで意地を貫くことは、確かに美しいかもしれない。けれど、死は逃げだ。逃げることが美しいか?!」
そこまで激情のままに吐き出した信政は、溜息をひとつ。
それに冷静になったのか、じっと大助の顔を親しみを込めて見れば、
「お前たちも内通を疑われただろう?それも我らも同じこと。顔を合わせることもなく、親しく言葉を交わすこともなくとも一族というのは、同じものと見なされる。それだけ本来、結束が固いものなのだ。そして、二分してしまった今でさえ、どこかで血は共鳴しあっている。お前たちが死んだら――」
言いかけて、信政は言葉を区切る。
それから、右近を見て、「もう連れて行け」と短く言う。その肩は震えている。
それに右近が短く頷いたとき、
「人を壊すのは、人の死だ。それだけを覚えておけ」
目を合わせ、一瞬向き合った。
その瞬間、大助の中で何かが沸き立った。それが何なのか、分からない何かが――。
そこまで大助から話を聞いた幸村は、同じか、と言葉を落とす。
ともすれば見逃してしまいそうなほど低く掠れたそれを大助はかろうじて受け止め、
「同じ?」
「私と兄上の関係と同じ、だと思ったのだ」
「伯父上と?」
「本当はお前の伯父上より私がひとつ年上なのだ」
えっ、と驚きを隠せない息子に幸村は軽く唇に笑みを浮かべて、
「兄上が正室腹、私が側室腹、年子だったから産まれ順を入れ替えた。けれど、産まれ順通りに育ち、私が仮に家督を継いでいたら、信吉と同じことを思ったと思う。どうにかして兄上に家督を継げようとしたと思う」
あの兄弟は私たちと同じか、父が落とした呟きを大助は見つめる。
お前を嫡男にしなくて正解だったな――幸村は、あの犬伏の御堂での父の言葉を思い出し、本当にそうですね、と心のうちで答える。
けれど、否定したいこともひとつ。どこかで信幸を見下していた。その言葉。
確かに当時は、そういう気持ちがあったかもしれない。
この戦で武将としての実力を試し、兄と戦ってみたいという気持ちがあった。
けれど、自分の策は破棄されるばかり。
もうそこで戦わずして、負けだと分かった。槍を合わせずとも負けだ。
自分の疑いは晴れないのに、甥たちの疑いは払拭されている。
すべて信之が受けている信頼からだろう。
一方、自分は大坂方から声をかけられ、入城というのにこの仕打ち。
憤慨しない気持ちがないわけではない。昌幸の弟で徳川に仕える叔父を通して、寝返るように使いが幾度も来たが、一蹴してきたというのに。信濃一国とは大きな餌で釣ってきたものだと笑った。
「伯父上には、威厳がありました。とても優しく穏やかなのに、時折怖くなる。それが家を守ってきた威厳・・・なのでしょうか」
そう言って唇を噛み締めた息子の肩を、幸村は引き寄せる。
気付かなければいい。そう思っていたものを息子は気付いてしまったのだろう。
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そんな息子に幸村が、どうした、と声をかけると、大助はちらりと父を見上げた。
信之に会って帰って来てから、ずっと様子が可笑しい。
てっきり信之は、大助を帰さないつもりだと幸村は思っていた。
そして、幸村もそれをどこかで望んでいた。
大助の隣に腰を下ろし、
「伯父上に何か言われたか?」
「上田に来ないか、いつか上田城を再建するつもりだから手伝って欲しい」
「そうか。心揺れているのか?行きたいのなら――」
「行きたいわけではない!」
語尾が震えていた。
行きたいわけじゃない、再び同じ言葉を繰り返した後、
「あいつが――」
「あいつ?」
「信吉・・・が、自分と入れ替われなんて言うから――」
「えっ?!」
幸村の唇が、すっ・・・と割れ、
「どういう意味だ?!」
息子を厳めしげに張った顔で見据える。
京見学でも、と言われても気分が乗らないので帰ると言った大助に、自分によく似た顔を持つ従兄弟の信吉が人懐っこい笑顔を向けて、まるで大助の言葉など耳に入っていないかのように、
「とりあえずは、清水寺が定番かな?」
などと言う。イラッとした大助だったが、あまりに無邪気に信吉が笑顔を向けるので、それになぜかまぁいいか、という気持ちにさせられ、内心慌てた。
そんな信吉の隣で、兄よりも背がほんの少し高い信政が、
「似ている、似ているというけど、そんなに似ているか?」
大助の顔をまじまじを覗き込んでくるので、不愉快さを隠さずに眉根を濃く歪ませると、
「なんだ、似てないじゃないか」
大助の髪をくしゃとかきまわすので、小馬鹿にされたと大助は憤慨し、
「離せ!!」
荒々しくその手を払いのけると、へぇと関心したように目を細めて、
「性格も似ていない。それにお前には八重歯があるんだな」
満足気に言う。ますます眉根を濃く歪ませる大助を、ふっと笑う。
なんだこいつら。大助は初めて会う従兄弟たちを睨みつける。
けれど、ふたりとも全然気にする様子など見せない。あくまで余裕なのだ。
ふたりに比べればまだ子供がいきがっているようにしか見えないのだろうと分かっており、不快な気持ちにさせられるが、どこか――。
ぷいっと顔を反らせば、笑われる。
子供じみた行動をしてしまったことに大助は後悔した。
五条通りに出た時だった。
ずっと尾けるように後方を歩いていた右近に、信政が声をかけ、ふたりの足が止まった。その一瞬の隙に、大助は背後からの忍び寄ってきた手に、たちまち捕らえられた。声をあげる間もなく、そのまま、腕の主―信吉が、人ごみにまぎれるように、大助の腕を引っ張り、荒々しく小道を抜けていく。
しばらくして公家屋敷を取り囲む築地塀に大助の体を押さえつける。
ここで殺されるのか、卑怯な――そう思ったのはほんの一瞬のこと。そもそも、ここに連れられるわずかな間の腕を捕らえて歩いた信吉には乱暴なところはなかった。
信吉は、にこりと微笑みながら真っ直ぐに真摯な瞳で、
「また戦が起きる。その時、その混乱にまぎれて私と入れ替わるんだ。あの叔父上の血筋は残さないといけない」
警戒と困惑が胸の中に入り混じって、大助はただただ信吉を見つめるしか出来ない。
「入れ替わってしまえば、後は父上がどうにかしてくれる」
「知っているのか?」
「いや、何も言っていない。けど、父上はすぐに察して、どうにかしてくれる。そういう人だ。しばらく病だが、戦で怪我をしたと適当に理由をつくり、引きこもれば、その間にお前は声変わりがするだろう。背が伸びたところで、あまり不審にも思われない」
「そんなことがうまくいくわけないだろう」
「大丈夫だ、前例がある」
「前例?」
「立花誾千代という女武将がいた。関ヶ原の後に、死んだことになっている。けれど、別人になり変わって生きている。それを裏で工作したのが我が父だ」
「――立花・・・誾千代・・・?」
「お前は知らないだろう。当然のことだ。我が父は一見頼りないが、平気だ」
「頼りないとは思わないが・・・」
あの一瞬見せた怖いと思わせた鋭い目つき。
あれはきっと、かなりの手練手管がないと出来ない。
戦場だけではない別の場所でも戦い続けた男だけが出来る目なのではないだろうか。
「ただ家督は、信政に継がせろ。東の無双と言われた本多忠勝の娘で、本人もすばらしい女武将だった母の正当な血筋の持ち主は、信政だ」
そこまで信吉が言った時、背後に影が翳った。
ふたりを探していたらしい信政と右近の姿があった。
「たわけたことをっ!仮に真田の家督が欲しければ俺は、俺の力で奪い取ってみせる!」
信政は、信吉と大助を引き離し、大助を右近に投げるように突き放す。
右近に受け止められ、大助はその肩を掴まれる。
「やはりそうか!思っていた通りだ!何が入れ替わるだ!」
信政は、信吉の胸ぐらを掴み、
「確かに背丈も顔も似ている。けれど、すぐにバレる!」
「病と称して、しばらく姿を消し――」
「くだらない!確かに声も背丈も誤魔化せるだろうが、髪質が違う」
「髪?」
「それに大助には八重歯があった。どちらも簡単に誤魔化せるものではない!父上がどうにか取り繕ったところで、俺がすべてを暴露すればすぐに終わりだ。俺は絶対に認めない」
兄の胸ぐらを掴んでいた手を離し、それからキッと大助をにらみつけると、
「お前もそこまでして生きていたいか?!何の為に大坂城入りしたんだ?!もののふの意地か?!信義のためか?!戦で散っていくことがもののふの意地が?!」
くだらない――吐き捨てるように言う信政に大助は、
「何がくだらないだ!」
掴みかかろうとするが右近に止められる。
「どんな屈強にも強く生きていくことで、もののふの意地を貫く道もある。華やかに死んで意地を貫くことは、確かに美しいかもしれない。けれど、死は逃げだ。逃げることが美しいか?!」
そこまで激情のままに吐き出した信政は、溜息をひとつ。
それに冷静になったのか、じっと大助の顔を親しみを込めて見れば、
「お前たちも内通を疑われただろう?それも我らも同じこと。顔を合わせることもなく、親しく言葉を交わすこともなくとも一族というのは、同じものと見なされる。それだけ本来、結束が固いものなのだ。そして、二分してしまった今でさえ、どこかで血は共鳴しあっている。お前たちが死んだら――」
言いかけて、信政は言葉を区切る。
それから、右近を見て、「もう連れて行け」と短く言う。その肩は震えている。
それに右近が短く頷いたとき、
「人を壊すのは、人の死だ。それだけを覚えておけ」
目を合わせ、一瞬向き合った。
その瞬間、大助の中で何かが沸き立った。それが何なのか、分からない何かが――。
そこまで大助から話を聞いた幸村は、同じか、と言葉を落とす。
ともすれば見逃してしまいそうなほど低く掠れたそれを大助はかろうじて受け止め、
「同じ?」
「私と兄上の関係と同じ、だと思ったのだ」
「伯父上と?」
「本当はお前の伯父上より私がひとつ年上なのだ」
えっ、と驚きを隠せない息子に幸村は軽く唇に笑みを浮かべて、
「兄上が正室腹、私が側室腹、年子だったから産まれ順を入れ替えた。けれど、産まれ順通りに育ち、私が仮に家督を継いでいたら、信吉と同じことを思ったと思う。どうにかして兄上に家督を継げようとしたと思う」
あの兄弟は私たちと同じか、父が落とした呟きを大助は見つめる。
お前を嫡男にしなくて正解だったな――幸村は、あの犬伏の御堂での父の言葉を思い出し、本当にそうですね、と心のうちで答える。
けれど、否定したいこともひとつ。どこかで信幸を見下していた。その言葉。
確かに当時は、そういう気持ちがあったかもしれない。
この戦で武将としての実力を試し、兄と戦ってみたいという気持ちがあった。
けれど、自分の策は破棄されるばかり。
もうそこで戦わずして、負けだと分かった。槍を合わせずとも負けだ。
自分の疑いは晴れないのに、甥たちの疑いは払拭されている。
すべて信之が受けている信頼からだろう。
一方、自分は大坂方から声をかけられ、入城というのにこの仕打ち。
憤慨しない気持ちがないわけではない。昌幸の弟で徳川に仕える叔父を通して、寝返るように使いが幾度も来たが、一蹴してきたというのに。信濃一国とは大きな餌で釣ってきたものだと笑った。
「伯父上には、威厳がありました。とても優しく穏やかなのに、時折怖くなる。それが家を守ってきた威厳・・・なのでしょうか」
そう言って唇を噛み締めた息子の肩を、幸村は引き寄せる。
気付かなければいい。そう思っていたものを息子は気付いてしまったのだろう。
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