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2024/11
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冬のはかない陽が、ようやく影を深め始めた、朝も遅く。
夜の残したはかない冷え込みは、さすがに解けて消えた頃、幸村は、大坂城の一室で、そのころようやく目を覚ました。
夜ほどの冷え込みはなくなったが、大坂の冬はこんなに寒かったかな――、と昔の記憶を掘り起こしてみても、今年がひどく寒く感じるのは、年なのか、気温のせいだけなのか、自分の胸中の冷えがそうさせているのか。
明け方に一度目が覚めたが、夢とも現とも分からない浅さの中、再び瞼を閉じた。
寝ていた方がいい。気分がいい。起きているよりも――。
それが現実逃避だと分かっているけれど、今朝は夢を見ていた。子供の頃の。
本当にたわいもない子供の頃の夢だ。兄と一緒に遊ぶ夢。
まだ寝ていたかったと思った時、襖が勢いよく開いて、大助が入ってくる。
顔を怒りに染めて、荒々しく音を立てて襖を閉じる。
八つ当たりするな、と言おうとしたが、それさえも面倒な幸村は何も言わないが、

「大助さまがそれですとお父上のお名前を穢しますよ」

と冷静に忠告したのは右近。そんな右近に大助が、

「お前がいるから俺たちが、徳川側と通じていると疑われるんだ!」

と怒鳴るが、右近は慣れてしまったのか平然と受け流す。なんだかんだと大助の面倒を見るのは右近になっている。
あの後――。
大野治長の使いに付いていってしまった大助を止めることが出来ず、幸村も後を追った。幸村が大坂に向かうにあたり、右近は周辺住民に金を渡し、追跡の兵がきたら3日前にもう出発したと伝えてくれと頼んだ。幸村らは住民とうまく付き合ってきたので、彼らはそれをすんなりと受け入れた。
3日も前に出たのなら追っ手も追いつけないと諦めるだろうと右近が言った通りだったのか、無事に大坂に到着した時には、大助は大野治長の屋敷にいた。
信之がしてくれたことを踏みにじった。恩を仇で返すとはこういうことか。
ギリギリと悔しさに歯噛みしたが、父親として息子を放っておくことの方が出来ない。
意固地で頑固で、自信家でどうしようもとないと思うこともあるが、可愛くないわけがない。大切な息子なのだ。
それならば――。
可愛い不肖の息子と、大坂で散るのも悪くない、そう考え直した。
亡き友人の守ろうとしたものを自分が守るつもりで戦い、そして、散ればいい。
次第に幸村自身、自分の中に渦巻いていた感情が、怒りなのか悲しみなのか悔しさなのか、何なのか分からなくなっていた。
大助、と幸村は息子の名を呼ぶ。無言で大助は父を見る。

「我々が疑われているなら、徳川側にいる本家も疑われている。肩身が狭いのはお互い様だ。諦めろ」

むすっとふて腐れている大助を見ながら、会ったこともない身内など息子には、他人にしか思えないのも仕方ないのかもしれないと諦めもする。
それから、すっ・・・と右近を一瞥する。
乗りかかった船なのか、右近はずっと幸村と行動を共にしている。
右近は、信之の忠実な家臣だ。
信之が一言死を命じたら、それがどんなに理不尽であろうとも喜んで死ぬであろう。
そんな彼がなぜここに、と思えばやはり信之方に情報を流すためといえるだろうが、そんな様子は一切見せない。関ヶ原の頃もふっと姿を消して、再び何事もなかったかのように信之に仕えている。
おそらく、その出奔した間は諜報活動でもしていたのだろう。

しかし、と右近が言う。

「大助さまと信吉さまは本当にそっくりでいらっしゃるのに、こうも性格が違うのも面白いものですな」

大助が嫌な顔をする。
幸村は、息子の頬を縁取るそれに笑うしかない。

――またね。

と小さな手を振ってきた甥ふたりに、また会えたな、と言えるのだろうか。
信吉はそんなに大助と似ているのか。
会いたいな、と思うのは仕方がない気持ちだろう。


11月18日に、大坂城は二十万の徳川兵に包囲された。
信之の息子ふたりも病気の父に代わり参陣しており、稲の弟の本多忠朝に付属するカタチで、大坂城東南の玉造口に対陣していると聞いていたが、その後、大和川を隔てた鴫野に移ったらしい。
大坂城には近いが、遠巻きにしているだけのような場所。
幸村は、自分の大坂城入りの煽りを受けたのだろうと思った。

幸村は大坂城の南東に出丸を築いていた。
真田昌幸の息子なのだな――と幸村は自嘲する。
どうせ死ぬなら――自分の武将の腕を試してみたいと思うのだ。
心の内は、とても静かだ。静かで落ち着いている。
なのに、心の芯だけは燃えている。静かに燃えている。
亡き友人、石田三成も捕らえられても最後まで再起への希望を捨てていなかったらしいと信之から聞いた。同じ心境なのだろうか、と幸村は亡き友に返ることのない問いかけをする。かつて、

「家が二分することの方が家名を残すより恥ではありませんか」

そう言った自分が、再び真田家を二分に分け、戦わせようとしている。
あの頃、義というものが大切だと思っていた。いや、今もだ。
けれど、この戦――。

「義は、どちらにあるのか・・・」

口腔で言う。
義などというものは己が決めることではない。時代を作りあげた勝者が決めることだと言った兄の言葉を思い返す。
兄に会いたいような、会いたくないような。
実力を試してみたい。
そんな気持ちでいるが、現実は難しいものだ。幸村たちは大坂方でも孤立した存在となっている。幸村の策はことごとく破棄される。
実力を試して死ぬのなら武将として本望だ。
けれど、ほんの少し――いや、かなり今は、兄と戦ってみたい、と思うのだ。
そう思って思い出す父の「どこかで信幸を見下していた。」という言葉。






参りましたね、と宗茂にのん気に言ったのは信吉。

宗茂も秀忠に従い、大坂入りをしていた。
関ヶ原の遅参に懲りた秀忠が、東海道をわずか17日で走破した行軍の殿を務めた。
そして、大坂に入り、幸村の大坂城入りを聞き、信之の胸中を思った。
当然のことながら、家康も秀忠も怒った。
そのおかげで、信之の息子ふたりも大坂方に通じているのではないか――そう疑われたところを、宗茂は秀忠にやんわりと否定する。
信之の赦免懇願の折に、同席していたのだから、信之の真摯さは本物であった。
結局、こちらが躊躇しているうちに大坂方に先を越されたのでしょう、と言えば、秀忠は顔を曇らせる。
また、信吉と個人的に親しいらしい亡き井伊直政の息子直孝が、信吉と自分は衆道の関係にあるので裏切ることはありません、と言って庇ったとも聞いている。
秀忠の陣所に来た信吉は、いつもと変わらない穏やかさで、

「叔父上には参りましたね」

と開き直っているのか、それとも気にもしてないのか判別しかねる晴れやかさで言う。

「お父上の病が悪化しなければいいのですが」

宗茂が言えば、

「父みたいな人は、案外細く長く生きますよ」

などと笑った後、ふと静かな落ち着いた目をして、視線を遠くに放ち、何か見ているようなので宗茂も視線を追えば、そこには誰もいない廊が広がるだけ。

「叔父上のことは覚えているのですか?」
「弟はまったく記憶にないようですが、私はかろうじて覚えているつもりですが、それが本当に私の記憶なのか、父母によって聞かされていたことから作り上げた幻影なのか・・・」

一度言葉を区切ると、

「ただ、最後に会った時、またね――また会いましょうねと約束したことは覚えてます。祖父も叔父もひどく悲しそうな顔をしたので、今思えばあれは関ヶ原の頃なのでしょうね」
「――約束は果たせそうにないですね」
「そうかもしれませんね」

にこりと年相応の青年らしい笑顔を見せつつ、

「この戦で、一族の者が大坂城入りしてしまったのは、真田家だけではありませんようで、細川家も」
「えっ?」

宗茂の驚きに、信吉が驚く。

「細川興秋殿が大坂方にいると聞いてますが」

忠興の次男である。思わず宗茂は、唇の裏をきつく噛み締めた。




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