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片時雨ですね、と稲が言った。
言われて誾千代は、外に目をやると、地面が濡れ始めているが、遠い空は晴れている。誾千代は、その雨に気を取られたが、その雨音に染みこむ様な声音で、
「別に息子たちのことは心配していませんよ」
にこりと稲は、誾千代に言う。
思わず誾千代は驚いて稲を見つめる。
「私たちと違って戦を知らない世代ですから、本当に心配していないのかと問われれば、嘘になりますけど、武家の人間として生まれれば仕方のないこと。信頼できる家臣をつけてますし、無体なことしない性格だと知ってます」
確かにそうだけれど――と誾千代は思って、わずかに唇を動かしかけたけれど、すぐに紡ぐ。
それから、自分は弱くなったのだろうと驚く。死ぬのが怖いかと問われて、
「本望だ!立花の誇りを示せるのならば」
そう言い放ち、生きろと宗茂に言われたことすらある自分なのに、今は死ぬのが怖い。幼い息子を残して死ぬことなど出来ない。
そして、出来るならば息子には戦になど出て欲しくないと願う。そんな弱い母になっていることに気付かされ、誾千代は内心動揺する。
戦のない世に自分もいつしか慣れてしまっているらしい。
いつしか髢を被り、自分ではない人物として生きていくうちに心まで変わってしまった?
「関ヶ原が終わった頃、あの提案をした折は、誾千代殿としての生を、また、貴方らしさを失わせる道をいかせることが本当にいいのか悩みましたが幸せそうで安心しました」
信之の言葉を思い出す。確かに今、幸福だ。
相変わらず宗茂とは喧嘩もするけれど、素直に気持ちをぶつけられるようになって、息子は可愛くて何よりも宝で、けれど、いつしか自分らしさを失っている?
誾千代の心は、どうにも落ち着かなくなってきているが、息子たちを戦に送った稲はとても冷静そうに雨を眺めている。稲の胸中を思えば、なぜこんなにも落ち着いていられるのだろうと誾千代が不思議に思った時。
「弟の大坂城入りを聞いた信之さまは、笑いました」
「えっ?」
稲は、雨を眺めたまま誾千代を見ずに続ける。
「笑うしかなかったのか、本当に可笑しかったのかは分かりませんが、笑いました。笑って、後は何も言いませんでした。今も何も言いません」
「――・・・」
「私が心配なのは、息子ふたりのことよりも、夫のこと。息子たちより本当に手がかかります」
それを心配して来てくださったのでしょうね、と稲はふと誾千代に微笑みかける。
大坂にいる宗茂から文を受け取り、落ち着かない気持ちをもてあまして、前触れもなく失礼だと思いつつ真田家を訪れた誾千代だった。
「何より心配なのは――仮に幸村さまが死んだら―信之さまは・・・どうなってしまうのでしょうか」
あの兄弟はまるで共依存だな、と宗茂が言った言葉を誾千代は思い出す。
宗茂が茶会で信之から聞いた話を誾千代も聞かされている。
「カササギという鳥がいます」
「えっ?」
突然の誾千代の言葉に、稲は小首を傾げる。
「宗茂が朝鮮から連れてきた鳥なのですが、つがいの関係は一生続くそうで、片方が死ぬと、もう片方も死ぬことがある鳥だそうです。稲殿――私が心配なのは貴方です」
「――・・・立花さま?」
「信之さまと幸村さまは、宗茂が言うには共依存。今はまだ均等が取れてますが、それが壊れた時、どうなるのか。そして、そんな夫とともに稲殿もどうなるのか」
私はそれが心配でなりません――誾千代は真っ直ぐに稲を見つめる。
その眼差しは強いけれど、時々、瞳の奥に不安気な色がよぎる。
「かつて――反発しあいながらも私たち夫婦もそうだったから分かるのです。立花誾千代という女と立花家、そして、宗茂。私は父が残した立花の誇りというものに執着し依存し、そんな私を支えていたのが宗茂。その立花家が、関ヶ原の後、改易されました。一度壊れてみれば、なんてことなかった。失って得たものの方が多かった。けれど、真田家のそれはカタチが違う。信之さまと幸村さまのご兄弟のどちらかでも失うことなど出来ない。出来ないのならば――それを止められるのは稲殿だけではないでしょうか?」
誾千代の言葉は静かなのに、稲はふと頬を叩かれた気持ちになって、頬を自嘲の形に変化させる。
そんな稲に誾千代は、ふと微笑む。
微笑みながら、なんだ、と思う。自分は心が弱くなった、そう思った。そう思ったけれど、
「妻の友人さえも守れずに何が武将か、と思ったまでのこと」
信之がそう言った言葉の意味が今分かった気がした。
自分が弱くなったのではない。守るべき宝が増えただけのこと。
その増えた宝を守るべきに、自分が出来ることは――?
かつての肩肘を張って、精一杯の意地を張って生きていた自分を心のうちで笑う。
自分の大切な恩人夫婦を守り、息子に戦のない世で生きさせること。
それが出来るのならば――そう思うのはやはり自分の為。信之が感謝する必要などないと言ったのは、こういうことなのだろう。
すっ・・・と誾千代は稲の手を握る。
「私たちは、あの乱世を生きた女です。ですから――」
出来ることがあるはず。
誾千代は稲の手を取ったままふと視線を外へと向ける。
雨を見ているのではない。遠く晴れた空を見つめた。
11月26日。仕掛けたのは徳川方。
大坂城東方の鴫野・今福方面において戦闘が起きた。
佐竹義宣が今福、上杉景勝が鴫野を攻略し、攻略した柵砦を利用して付け城を築いた。しかし、大坂方より後藤又兵衛、木村重成が大和川を渡って今福へ、青木一重、渡辺糺が鴫野へと打って出て逆転に転じた。
信吉も信政も激戦の前面にいた。
上杉勢の陣と交代し前線に出たが、後藤又兵衛の手の者に陣を放火された。
それを幸村は、木村重成から聞いた。
敗走はしたものの、その指揮振りは見事なものだったらしく、雑兵にしとめられないように鉄砲で狙わないように注意させたと言う。それを聞いて幸村は、
「貴公ほどの者にやられるのなら、甥たちも本望だろう。遠慮はいらぬ」
そう笑った。幸村の中には幼いふたりの記憶しかない。
参陣しているとは聞いていてもどこか現実的ではなかったが、そうか、なかなか見事に兵を指揮するのかと不思議に思った。そして、その奮闘振りを聞いて信之の初陣の頃を思い出す。
その兄弟がまだ若いことで、夜討ちの計画があると聞き、幸村はまた笑った。
「止めておいたほうがいい。まだ年若い兄弟には、真田家中の戦巧者がついている。逆に夜討ちはないのかと待っているだろう」
敗走はしたもののちょこまかと敵兵を翻弄させている。そこが信之の戦法に似ている。
夜討ちなど想定内のことだろう。
「牽制ですか?」
皮肉めいた口調で言われ、その言葉を幸村は唇に薄い笑みを掃いて受け止めた。
「かつて上田で真田と徳川が戦った折、1300ほど徳川は死傷者を出したらしいが、真田は40ほどだった。そんな戦を経験をしている者達がついているのだ。夜討ちなど兵力を無駄にするだけだ」
やりたいのならやればいい、と幸村は吐き捨てるように言い放つ。
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言われて誾千代は、外に目をやると、地面が濡れ始めているが、遠い空は晴れている。誾千代は、その雨に気を取られたが、その雨音に染みこむ様な声音で、
「別に息子たちのことは心配していませんよ」
にこりと稲は、誾千代に言う。
思わず誾千代は驚いて稲を見つめる。
「私たちと違って戦を知らない世代ですから、本当に心配していないのかと問われれば、嘘になりますけど、武家の人間として生まれれば仕方のないこと。信頼できる家臣をつけてますし、無体なことしない性格だと知ってます」
確かにそうだけれど――と誾千代は思って、わずかに唇を動かしかけたけれど、すぐに紡ぐ。
それから、自分は弱くなったのだろうと驚く。死ぬのが怖いかと問われて、
「本望だ!立花の誇りを示せるのならば」
そう言い放ち、生きろと宗茂に言われたことすらある自分なのに、今は死ぬのが怖い。幼い息子を残して死ぬことなど出来ない。
そして、出来るならば息子には戦になど出て欲しくないと願う。そんな弱い母になっていることに気付かされ、誾千代は内心動揺する。
戦のない世に自分もいつしか慣れてしまっているらしい。
いつしか髢を被り、自分ではない人物として生きていくうちに心まで変わってしまった?
「関ヶ原が終わった頃、あの提案をした折は、誾千代殿としての生を、また、貴方らしさを失わせる道をいかせることが本当にいいのか悩みましたが幸せそうで安心しました」
信之の言葉を思い出す。確かに今、幸福だ。
相変わらず宗茂とは喧嘩もするけれど、素直に気持ちをぶつけられるようになって、息子は可愛くて何よりも宝で、けれど、いつしか自分らしさを失っている?
誾千代の心は、どうにも落ち着かなくなってきているが、息子たちを戦に送った稲はとても冷静そうに雨を眺めている。稲の胸中を思えば、なぜこんなにも落ち着いていられるのだろうと誾千代が不思議に思った時。
「弟の大坂城入りを聞いた信之さまは、笑いました」
「えっ?」
稲は、雨を眺めたまま誾千代を見ずに続ける。
「笑うしかなかったのか、本当に可笑しかったのかは分かりませんが、笑いました。笑って、後は何も言いませんでした。今も何も言いません」
「――・・・」
「私が心配なのは、息子ふたりのことよりも、夫のこと。息子たちより本当に手がかかります」
それを心配して来てくださったのでしょうね、と稲はふと誾千代に微笑みかける。
大坂にいる宗茂から文を受け取り、落ち着かない気持ちをもてあまして、前触れもなく失礼だと思いつつ真田家を訪れた誾千代だった。
「何より心配なのは――仮に幸村さまが死んだら―信之さまは・・・どうなってしまうのでしょうか」
あの兄弟はまるで共依存だな、と宗茂が言った言葉を誾千代は思い出す。
宗茂が茶会で信之から聞いた話を誾千代も聞かされている。
「カササギという鳥がいます」
「えっ?」
突然の誾千代の言葉に、稲は小首を傾げる。
「宗茂が朝鮮から連れてきた鳥なのですが、つがいの関係は一生続くそうで、片方が死ぬと、もう片方も死ぬことがある鳥だそうです。稲殿――私が心配なのは貴方です」
「――・・・立花さま?」
「信之さまと幸村さまは、宗茂が言うには共依存。今はまだ均等が取れてますが、それが壊れた時、どうなるのか。そして、そんな夫とともに稲殿もどうなるのか」
私はそれが心配でなりません――誾千代は真っ直ぐに稲を見つめる。
その眼差しは強いけれど、時々、瞳の奥に不安気な色がよぎる。
「かつて――反発しあいながらも私たち夫婦もそうだったから分かるのです。立花誾千代という女と立花家、そして、宗茂。私は父が残した立花の誇りというものに執着し依存し、そんな私を支えていたのが宗茂。その立花家が、関ヶ原の後、改易されました。一度壊れてみれば、なんてことなかった。失って得たものの方が多かった。けれど、真田家のそれはカタチが違う。信之さまと幸村さまのご兄弟のどちらかでも失うことなど出来ない。出来ないのならば――それを止められるのは稲殿だけではないでしょうか?」
誾千代の言葉は静かなのに、稲はふと頬を叩かれた気持ちになって、頬を自嘲の形に変化させる。
そんな稲に誾千代は、ふと微笑む。
微笑みながら、なんだ、と思う。自分は心が弱くなった、そう思った。そう思ったけれど、
「妻の友人さえも守れずに何が武将か、と思ったまでのこと」
信之がそう言った言葉の意味が今分かった気がした。
自分が弱くなったのではない。守るべき宝が増えただけのこと。
その増えた宝を守るべきに、自分が出来ることは――?
かつての肩肘を張って、精一杯の意地を張って生きていた自分を心のうちで笑う。
自分の大切な恩人夫婦を守り、息子に戦のない世で生きさせること。
それが出来るのならば――そう思うのはやはり自分の為。信之が感謝する必要などないと言ったのは、こういうことなのだろう。
すっ・・・と誾千代は稲の手を握る。
「私たちは、あの乱世を生きた女です。ですから――」
出来ることがあるはず。
誾千代は稲の手を取ったままふと視線を外へと向ける。
雨を見ているのではない。遠く晴れた空を見つめた。
11月26日。仕掛けたのは徳川方。
大坂城東方の鴫野・今福方面において戦闘が起きた。
佐竹義宣が今福、上杉景勝が鴫野を攻略し、攻略した柵砦を利用して付け城を築いた。しかし、大坂方より後藤又兵衛、木村重成が大和川を渡って今福へ、青木一重、渡辺糺が鴫野へと打って出て逆転に転じた。
信吉も信政も激戦の前面にいた。
上杉勢の陣と交代し前線に出たが、後藤又兵衛の手の者に陣を放火された。
それを幸村は、木村重成から聞いた。
敗走はしたものの、その指揮振りは見事なものだったらしく、雑兵にしとめられないように鉄砲で狙わないように注意させたと言う。それを聞いて幸村は、
「貴公ほどの者にやられるのなら、甥たちも本望だろう。遠慮はいらぬ」
そう笑った。幸村の中には幼いふたりの記憶しかない。
参陣しているとは聞いていてもどこか現実的ではなかったが、そうか、なかなか見事に兵を指揮するのかと不思議に思った。そして、その奮闘振りを聞いて信之の初陣の頃を思い出す。
その兄弟がまだ若いことで、夜討ちの計画があると聞き、幸村はまた笑った。
「止めておいたほうがいい。まだ年若い兄弟には、真田家中の戦巧者がついている。逆に夜討ちはないのかと待っているだろう」
敗走はしたもののちょこまかと敵兵を翻弄させている。そこが信之の戦法に似ている。
夜討ちなど想定内のことだろう。
「牽制ですか?」
皮肉めいた口調で言われ、その言葉を幸村は唇に薄い笑みを掃いて受け止めた。
「かつて上田で真田と徳川が戦った折、1300ほど徳川は死傷者を出したらしいが、真田は40ほどだった。そんな戦を経験をしている者達がついているのだ。夜討ちなど兵力を無駄にするだけだ」
やりたいのならやればいい、と幸村は吐き捨てるように言い放つ。
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