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2024/11
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それを知った後、心の整理には、かなり日数が必要だった。
真田信幸に嫁ぐと決まった後に、それを聞いた。

「妻がいたなんて」

稲は呟きを落とす。
あやめという名の従姉妹でもある幼馴染が正室だったが、稲が嫁ぐことによって、彼女が側室になり、稲が正室に収まることとなる。
この時代、婚姻は家と家の同盟である。
だから、至極当然のこと。
頭では分かっている。けれど、気持ちがざわめいて落ち着かない。
正体の知れない影が、胸の奥までしみこんでくる。心に靄がかかって落ち着かない。

「信幸さまは・・・」

彼女のことが好きなのだろうか?
愛しているのだろうか?
自分との結婚をどう思っているのだろうか?
きっと――。
稲は下唇をかみ締める。

信幸の父―昌幸はあまりこの婚姻に乗り気ではないらしい。
そんな父に、「徳川との繋がりを持つのも悪い話ではない」と信幸が言ったことも噂で聞いた。
信幸にとって自分との結婚は、所詮家と家との繋がりの為にあてがわれただけの女。
仕方なく迎え入れるだけの女。
胸の奥が、ちくりちくりと痛む。
信幸の瞳を思い出すと、胸の奥にこそりと動き、うごめくものがある。
甘く苦くて、苦しくて、切なくて、悲しくて。
稲は、それをおさえつけるように、そっと胸を抑えた。
もう稲の中で、確かな呼吸を持って恋は始まってしまっている。



 ※



心の奥まで見透かされてしまいそうな落ち着きをたたえた瞳に、稲は吸い込まれるような錯覚を覚える。
伏せた目の下で、稲の心はその瞳に釘付けになる。
均整のとれた長身の体つきに、顔つきも整っている。
その整った外見が逆に、信幸を儚げに見せているような気がした。
涼しげに落ち着きを宿した信幸の目が、稲をとらえる。
あまりに真っ直ぐに見つめられ、稲はつい顔を反らしてしまう。

稲は、真田信幸の妻となった。
花嫁の行列は、過ぎるほどの荷物や付き従う人々で、ことさらに美々しく飾られ、養女である稲の為というより「徳川」の権威を見せ付けるかのようだった。
婚礼が終わった後、宴が催された。
婚礼は身内だけでひっそりと行われた。

「うん、似合いのふたりだな」

稲の父、忠勝は満足気に頷く。
同意を求められた信幸の父、昌幸は、

「意外に難しい奴ですから、うまくいけばいいですな」

と棘のある口調で言う。
そんな父を信幸の弟である幸村が笑うと、「息子の嫁に嫉妬ですか?」と言う。
そして、涼しげな落ち着きを宿した信幸の瞳が、一瞬稲を捉える。
どきりとする稲に対し、信幸からは何も感じられない。

途中、信幸は稲の父の忠勝の話相手を長く務めていたかと思うと、今度は弟の幸村に呼び止められ、長々と話し込んでいる。
稲の視線がどうしても信幸を追ってしまう。
だから、ふたりが何を話しているのだろうと思いつつ、伏せた瞼の下からちらちらと様子を伺う。
笑い声がした。信幸が目を細めて、幸村と楽しげに笑っている。
こういう顔をして笑うのか。
稲は、幸村を羨ましく思った。
弟に嫉妬するのもおかしいと分かりつつも止められない。

――信幸さまと私の婚礼なのに・・・。

そう思っていると、昌幸が稲の隣に来た。驚く稲に、

「器用なようで案外無不器用な男だから、気長にみてやって欲しい」

それだけ言うと、すっと立ち去ってしまう。
先ほどの棘のある口調が嘘であったかのように、優しいいたわりの声音だった。
裏表比興の者、と昌幸が言われていたことを稲は思い出した。










「大丈夫ですか?」

ふたりきりになった時、信幸が稲に言ったのはそんな言葉だった。
えっ、と稲は体をびくりと震わせる。
新床を前に、緊張で全身を硬くする稲に信幸は、口の端に苦笑を浮かべる。
ふたりきりになるのは初めてである。
緊張するなという方が無理だと稲は、早まる心臓を止める方法を知らない。

「疲れたのではないですか?」
「――少し・・・」

今日は――。

「ゆっくり休んでください」

驚いて顔をあげると、そこにあったのは信幸の優しげな瞳。
でも・・・、と言ったまではいいもののどう言葉を繋げていいのか困惑する稲の気持ちを汲み取ったらしい信幸は、

「先は長いのですからゆっくりいきましょう」
「――・・・」

ほっとしたような残念なような。
稲は落ち着かない目で辺りを見回して、再び信幸に視線を戻す。
信幸は優しさから言ってくれているのだろうか?
それとも――私になど関心がないから?
思いついた悪い考えが瞬間にして稲の胸の中にうずまく。
しばらく、その考えにとらわれ、じりじりと流れ去っていく時間の中、

「――嫌です!稲・・・、稲を抱いてください」

思うより早く言葉が出ていた。
驚いたのは信幸よりも稲だったが、もうこみ上げてきた感情を止められない。

「私では駄目ですか?あやめ様をお好きだから――私では不服ですか?色気はないかもしれないけど、信幸さまに気に入っていただけるように努力しますから、稲のことをお嫌いにならないでください」

勢いの任せて言ったはいいが、すぐに押し寄せてくる後悔。
身の置き場がないとはこのことだ、と稲は、顔を隠すように突っ伏して、恥ずかしさに泣き叫びたいのを必死に抑える。
すると、ふわりと信幸が稲の髪に触れ、そっと頭を撫でる。
撫でながら、くっと呻くように低く笑う声が聞こえる。

「――稲殿」
「――・・・」
「あやめのことを知っているのですか」

まぁ、調べればすぐに分かることですからね、と信幸は続けると、そっと稲の肩に触れ顔を上げさせようとする。
促されて稲が顔を上げると、信幸が笑っていた。

「稲殿は面白い人だ」
「――・・・褒め言葉ではありませんね・・・」

くくっと喉を揺らして笑っていた信幸だったが、ふっと真顔になったかと思うと瞬間、稲は腕を取られ驚く間もなく寝具の上に押し倒されていた。
ひゃっ、と驚きの声をあげる稲の耳元に、温かい吐息がかかる。

「いいのですね?」

低い声で問われ、返事をする代わりに稲は瞼を閉じた。





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