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懐中より袱紗を取り出し、横から棗を左手で取り、その甲を清めながら、
「さすがですね」
と宗茂が言う。それに信之が、緩く笑う。
「本当ですね。あの大坂での戦の事後処理をすべて済ませてから亡くなるとは」
「執念・・・ですかね」
「責任感が強いお人であった、ということにしましょうかね」
家康が75歳でこの世を去った。
その葬儀の後、葬送の列から離れて佇んでいた信之に声をかけ、宗茂は茶に誘った。以前と同じように亭主は宗茂、正客が信之、次客に忠興。
「気がかりがなくなって気が緩んだのかもしれませんよ」
清めた棗から、袱紗を抜き、静かに右膝上に置き、再び袱紗を裁く。
宗茂の言葉に信之は、溜息を吐き落とし、
「私は気がかりばかりだ」
面倒臭そうに言う。
それを袱紗で茶杓をはさみ清めながら、宗茂は確かにそうだなと思って笑う。
信之は、大坂城から逃れた幸村の妻子の助命嘆願やら、幸村の大坂入りの煽りで、わずかばかり幕府への叛逆を疑われ、異心などあるわけなし、証拠に腹を斬ると普段穏やかな信之にしては珍しくハッタリをかます騒ぎを見せ、幕府を驚かせている。
また、沼田から上田に入り、沼田は信吉に任せたりとせわしない。
また倒れないか稲がハラハラしているという。
「気がかりとは――やはり弟君の消息ですか?」
忠興が訊ねれば、
「本当に腹を斬らせたのですか?」
問いを問いで信之は返す。それに忠興が苦笑する。
忠興の次男、興秋は大坂での戦の後、伏見の稲荷山東林で忠興の命で切腹したという。
ふたりが視線を合わせて、互いにしか分からないような空気を醸し出すので、それが宗茂は面白くない。子供じみているとは思うが、仲間はずれにされた気分になり、思わず眉をしかめながら、
「ふたりは関ヶ原では東軍でしたからね」
と言えば、忠興が「何を拗ねているんだ」と呆れたように言う。
それをふっと信之は笑った後、
「先ごろ、ずっと行方知れずになっていた家臣が戻って来ました」
と言う。ふたりは信之を見る。ふたりの視線を静かに受け止めて、
「甥のことを頼んでいた家臣で、あの戦の後、ずっと何も連絡がなかったので死んだものかと思っていたところ、ふらり戻ってきました。その者は、幸村と甥がどうなったのか知っているらしいのですが――」
幸村の首は、首実検にかけられ、叔父である真田信尹が確認したが、死んで人相が変わっているので、と言葉を濁し、家康の不興をかっている。しかし、幸村がさんざん徳川方を苦しめたのにも関わらず、兄である信之に何の咎めがなかったのは、破格のことである。
「いくら問いただしても答えない上に、ふたりと約束したと言う」
「約束?」
信之が頷く。
「ええ。すべてを話すのは、私の死後だと。右近――家臣の名前ですが、その右近は私が死ねば殉死するので、その後で話しますなどと笑う。約束したので、と言われてしまえば、私も何も言えない」
幸村の入れ知恵ですよ――重い湿りを帯びた言葉を、ぽつり落とす。
けれど、それも一瞬のこと。
「生きていると思ってますか?」
「そうですね。死んでいる確立の方が高いのに、不思議と生きて、いつかひょっこり顔を出す気がしてならない。首実検にかけられた首も幸村のものではない」
「それは確かなのですか?」
「ひそかにその首の髪を持ってきて下さった人がおりまして、稲が言うには髪質が違う、と」
「髪質・・・?」
「女は妙なところに気付く。幸村の髪はもっと固そうで、こんなに柔らかくなかったと言うのですよ」
なら、それはきっと生きて――宗茂が言葉を紡ごうとしたが。
「まぁ、年取って髪質が変化していただけかもしれませんけどね。関ヶ原の後、ずっと会っていないのですから、その変化など分からない」
そこで一度言葉を区切ると、女といえばと続ける。
「妻は妻で先に死ぬなと言い、誾千代殿には、守るべきものが多ければ、生きなければならないと言われ」
「誾千代が?」
「女の方が長生きだと言うのにわがままだと言えば、我々を死なさない為にも、自分より先に死なさない為にも、自分たちも生きなければならないなどと言ってましたよ」
「そんなことを・・・」
かつての生き急いでいた。死を誇りだと思っていた誾千代が、と宗茂は思う。
それは時代の流れなのか、誾千代の変化なのか。
「私には羨ましい話ですね」
ぶすっと不機嫌そうに眉根と唇を歪める忠興に、ふたりは苦笑する。
苦笑しながら宗茂は、茶をたてる。
「あの戦も、人数が多かったから勝てたまでのこと。幸村殿は日本一のもののふですよ。古今なき大手柄」
忠興が言えば、本当に嬉しそうに有難うございますと信之が答える。
「右近が言うには、戦場では幸村は生きていたが、それ以外では生を感じられなかったらしい。死を誇る時代はもう一昔前のこと。けれど、その中でしか生きれない人間もいる。幸村はまさにそんな男だったのかもしれない。だから」
生きているのか死んでいるのか。
生きていた方がいいのか、死んでいた方がいいのか、正直分からない。
信之の言葉を、見つめるように静かに茶を立てる。
さらさらという茶筅の音が静かに響く。
定座に平茶碗を出し、懐から子帛紗をだし逆手に持ち、平茶碗の下座に置く。
それを受ける信之に、
「前から気になっていたのですがその手の傷は?」
「あぁ、幸村と槍を合わせた時に」
「稽古で?」
ゆっくりと信之は首を振る。意味あり気に瞳を、にやりと歪めるだけ。
宗茂が言うので、忠興が信之の手を覗き込む。
「ちょうど手相でいう生命線ではありませんか」
「生命線・・・ですか」
「ええ。ただの占いですが、こんなにはっきりと生命線をなぞるように長い傷。まるで生命線を伸ばしているみたいだ」
「幸村は――本当に余計なことばかりしてくれる」
本当に迷惑そうに真面目な顔をして、そんなことを言うので宗茂も忠興も笑う。
「ところで、ずっと改めて礼を言わなければいけないと思っていたことがひとつ」
「何でしょう?」
「幸村の子供たちが、伊達家の片倉殿に保護されていると聞きました。その手助けをしてくださったのは、立花殿でしょう?」
頬に笑みを浮かべるだけで宗茂は答えない。
「しかし、なぜ伊達家の・・・」
「あの家なら何をしても、仕方なしで片付けられるからでは?」
忠興がさらりと言う。
一瞬の間の後、信之が笑い出す。
信之が笑う姿を見ながら、宗茂も笑う。笑いながら、
――共依存から脱したのか。
それとも、生きていると思っているから笑っていられるのか。
そんなことを思った。けれど、それもどちらでもいい。
笑っていられるのなら、それでいい。
濃淡の雲の作り出すなだらかな水面に似た空。
上方の風を受けて、時折雲間から暮れゆく空が覗き、つがいの鳥が滑るように曲線を描いて空を舞う。
信之と忠興が帰るのを見送り、そっと宗茂は顔を上げる。
雲の合間から眩しい光が伸びていた。
目を細めてそれを見ながら、ふっ・・・と唇に笑みを浮かべる。
人は皆、光を求めているかもしれない。
一筋の光。掴めそうで掴めないものだ。だからこそ求め続ける。
宗茂にとってそれは誾千代であり、信之にとっては稲であり幸村であり。
その時、一陣の突風が突き抜けた。
風に髪がうるさく揺れる中、帰ろうと思った。自分の屋敷なのに帰ろうと思った。
誾千代の元へ帰ろう。そう思って宗茂は踵を返す。
<終わり>
【戻る】【前】
法医学的には一生髪質は変化しないらしいです。
「さすがですね」
と宗茂が言う。それに信之が、緩く笑う。
「本当ですね。あの大坂での戦の事後処理をすべて済ませてから亡くなるとは」
「執念・・・ですかね」
「責任感が強いお人であった、ということにしましょうかね」
家康が75歳でこの世を去った。
その葬儀の後、葬送の列から離れて佇んでいた信之に声をかけ、宗茂は茶に誘った。以前と同じように亭主は宗茂、正客が信之、次客に忠興。
「気がかりがなくなって気が緩んだのかもしれませんよ」
清めた棗から、袱紗を抜き、静かに右膝上に置き、再び袱紗を裁く。
宗茂の言葉に信之は、溜息を吐き落とし、
「私は気がかりばかりだ」
面倒臭そうに言う。
それを袱紗で茶杓をはさみ清めながら、宗茂は確かにそうだなと思って笑う。
信之は、大坂城から逃れた幸村の妻子の助命嘆願やら、幸村の大坂入りの煽りで、わずかばかり幕府への叛逆を疑われ、異心などあるわけなし、証拠に腹を斬ると普段穏やかな信之にしては珍しくハッタリをかます騒ぎを見せ、幕府を驚かせている。
また、沼田から上田に入り、沼田は信吉に任せたりとせわしない。
また倒れないか稲がハラハラしているという。
「気がかりとは――やはり弟君の消息ですか?」
忠興が訊ねれば、
「本当に腹を斬らせたのですか?」
問いを問いで信之は返す。それに忠興が苦笑する。
忠興の次男、興秋は大坂での戦の後、伏見の稲荷山東林で忠興の命で切腹したという。
ふたりが視線を合わせて、互いにしか分からないような空気を醸し出すので、それが宗茂は面白くない。子供じみているとは思うが、仲間はずれにされた気分になり、思わず眉をしかめながら、
「ふたりは関ヶ原では東軍でしたからね」
と言えば、忠興が「何を拗ねているんだ」と呆れたように言う。
それをふっと信之は笑った後、
「先ごろ、ずっと行方知れずになっていた家臣が戻って来ました」
と言う。ふたりは信之を見る。ふたりの視線を静かに受け止めて、
「甥のことを頼んでいた家臣で、あの戦の後、ずっと何も連絡がなかったので死んだものかと思っていたところ、ふらり戻ってきました。その者は、幸村と甥がどうなったのか知っているらしいのですが――」
幸村の首は、首実検にかけられ、叔父である真田信尹が確認したが、死んで人相が変わっているので、と言葉を濁し、家康の不興をかっている。しかし、幸村がさんざん徳川方を苦しめたのにも関わらず、兄である信之に何の咎めがなかったのは、破格のことである。
「いくら問いただしても答えない上に、ふたりと約束したと言う」
「約束?」
信之が頷く。
「ええ。すべてを話すのは、私の死後だと。右近――家臣の名前ですが、その右近は私が死ねば殉死するので、その後で話しますなどと笑う。約束したので、と言われてしまえば、私も何も言えない」
幸村の入れ知恵ですよ――重い湿りを帯びた言葉を、ぽつり落とす。
けれど、それも一瞬のこと。
「生きていると思ってますか?」
「そうですね。死んでいる確立の方が高いのに、不思議と生きて、いつかひょっこり顔を出す気がしてならない。首実検にかけられた首も幸村のものではない」
「それは確かなのですか?」
「ひそかにその首の髪を持ってきて下さった人がおりまして、稲が言うには髪質が違う、と」
「髪質・・・?」
「女は妙なところに気付く。幸村の髪はもっと固そうで、こんなに柔らかくなかったと言うのですよ」
なら、それはきっと生きて――宗茂が言葉を紡ごうとしたが。
「まぁ、年取って髪質が変化していただけかもしれませんけどね。関ヶ原の後、ずっと会っていないのですから、その変化など分からない」
そこで一度言葉を区切ると、女といえばと続ける。
「妻は妻で先に死ぬなと言い、誾千代殿には、守るべきものが多ければ、生きなければならないと言われ」
「誾千代が?」
「女の方が長生きだと言うのにわがままだと言えば、我々を死なさない為にも、自分より先に死なさない為にも、自分たちも生きなければならないなどと言ってましたよ」
「そんなことを・・・」
かつての生き急いでいた。死を誇りだと思っていた誾千代が、と宗茂は思う。
それは時代の流れなのか、誾千代の変化なのか。
「私には羨ましい話ですね」
ぶすっと不機嫌そうに眉根と唇を歪める忠興に、ふたりは苦笑する。
苦笑しながら宗茂は、茶をたてる。
「あの戦も、人数が多かったから勝てたまでのこと。幸村殿は日本一のもののふですよ。古今なき大手柄」
忠興が言えば、本当に嬉しそうに有難うございますと信之が答える。
「右近が言うには、戦場では幸村は生きていたが、それ以外では生を感じられなかったらしい。死を誇る時代はもう一昔前のこと。けれど、その中でしか生きれない人間もいる。幸村はまさにそんな男だったのかもしれない。だから」
生きているのか死んでいるのか。
生きていた方がいいのか、死んでいた方がいいのか、正直分からない。
信之の言葉を、見つめるように静かに茶を立てる。
さらさらという茶筅の音が静かに響く。
定座に平茶碗を出し、懐から子帛紗をだし逆手に持ち、平茶碗の下座に置く。
それを受ける信之に、
「前から気になっていたのですがその手の傷は?」
「あぁ、幸村と槍を合わせた時に」
「稽古で?」
ゆっくりと信之は首を振る。意味あり気に瞳を、にやりと歪めるだけ。
宗茂が言うので、忠興が信之の手を覗き込む。
「ちょうど手相でいう生命線ではありませんか」
「生命線・・・ですか」
「ええ。ただの占いですが、こんなにはっきりと生命線をなぞるように長い傷。まるで生命線を伸ばしているみたいだ」
「幸村は――本当に余計なことばかりしてくれる」
本当に迷惑そうに真面目な顔をして、そんなことを言うので宗茂も忠興も笑う。
「ところで、ずっと改めて礼を言わなければいけないと思っていたことがひとつ」
「何でしょう?」
「幸村の子供たちが、伊達家の片倉殿に保護されていると聞きました。その手助けをしてくださったのは、立花殿でしょう?」
頬に笑みを浮かべるだけで宗茂は答えない。
「しかし、なぜ伊達家の・・・」
「あの家なら何をしても、仕方なしで片付けられるからでは?」
忠興がさらりと言う。
一瞬の間の後、信之が笑い出す。
信之が笑う姿を見ながら、宗茂も笑う。笑いながら、
――共依存から脱したのか。
それとも、生きていると思っているから笑っていられるのか。
そんなことを思った。けれど、それもどちらでもいい。
笑っていられるのなら、それでいい。
濃淡の雲の作り出すなだらかな水面に似た空。
上方の風を受けて、時折雲間から暮れゆく空が覗き、つがいの鳥が滑るように曲線を描いて空を舞う。
信之と忠興が帰るのを見送り、そっと宗茂は顔を上げる。
雲の合間から眩しい光が伸びていた。
目を細めてそれを見ながら、ふっ・・・と唇に笑みを浮かべる。
人は皆、光を求めているかもしれない。
一筋の光。掴めそうで掴めないものだ。だからこそ求め続ける。
宗茂にとってそれは誾千代であり、信之にとっては稲であり幸村であり。
その時、一陣の突風が突き抜けた。
風に髪がうるさく揺れる中、帰ろうと思った。自分の屋敷なのに帰ろうと思った。
誾千代の元へ帰ろう。そう思って宗茂は踵を返す。
<終わり>
【戻る】【前】
法医学的には一生髪質は変化しないらしいです。
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