×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
立花城から見る西の空が、わずかに赤みを帯びている。
部屋に射し込んできた夕陽に気付いた誾千代は、開け放した障子戸から空を見つめ、あぁ、やっと夕方、と呟きを口腔内で落としつつ、腹部に触れる。
下腹部に感じる重く鈍い痛みも今日が過ぎれば、明日には楽になるだろう。
なぜ女にだけこんなものがあるのだろう。
自分がこうして痛みに耐えている間に、宗茂は先を行く。
ギュッと奥歯を噛み締め、恨みがまし気に沈むゆく空を睨みつける。
――どうして。
どうして女などに生まれてしまったのだろう。
考えても答えが出るはずもないことをついつい考えてしまう。
考えて落ち込んで、なのにまた考えて。
考えること自体が馬鹿げていると思うことを、繰り返す。
そして、そんな自分に自嘲する。
一連のすべてがむなしいだけと分かっているのに・・・。
家督を継いだのは7歳の時。誾千代の意思ではない。
そもそも7歳の少女に、決められる問題ではない。
父が高齢だった為、万が一の為、唯一の実子に「とりあえず」継がせたまでのこと。
自分はただの「鎹」にしか過ぎないのだろう。
父、道雪にしてもようやく恵まれた実子が女だったのだから落胆は大きかっただろう。
それでも、可愛がって慈しみ育ててくれ、誾千代もそれに応えようと頑張った――つもりだ。
誾千代が初潮を迎えた頃。
それを待っていたかのように父が、結婚を決めた。
父と同じく大友家の重臣である高橋紹運の嫡男である宗茂。
「嫡男ではないですか。それを――」
父に誾千代が言えば、父は気にしないでいいとだけ笑った。
それに誾千代が、不服を潜めた眉に込めれば、冷たい光を湛えた双眸が、じっと誾千代を見ていた。その目を見て何を言っても無駄だ、と誾千代は分かった。
異論は認めない――双眸がそう語っている。なので、
「分かりました」
唇に何の余韻も残さず、さらりと誾千代が言えば、父はわずかに目を細めて、双眸に優しさを灯す。
「あれはいい武将になり、誾千代もきっと気に入る」
満足気に言う父に、誾千代は黙る。
宗茂、という男が誾千代は嫌いだ。
理由は沢山あるような、ないような――ただ、あってもなくとも嫌いなのだ。
初めて会ったのは誾千代が家督を継いだばかりの頃。
その祝辞を言いに来た高橋紹運に連れられて来た。
誾千代よりふたつ年上で、体格が良かった誾千代と大差ない体格の少年だった。型どおりの祝辞を述べた後、
「女の子なのに?」
とぽつり疑問を口に出して、紹運を見た。
それに紹運が、呆れたような顔をして、「前に教えただろう」と言えば、あぁと思い出したような顔をした後、誾千代をじっと見つめてきた。
その視線が誾千代を不快にさせた。
だから、誾千代はその視線を迷惑気に退けたが、構わずじっと宗茂は誾千代を見る。
疎ましい。そう思った。
思い出して、また不快になる。
あれからたびたび宗茂は、立花城にやって来た。
初めて会った時と変わらぬ視線を誾千代に向けてくる。
真っ直ぐに見てくるその瞳が、疎ましくて仕方がない。
木刀を合わせても、馬に乗っても、何をしていてもあの目が誾千代を追う。
あぁ、苛立つ。
月のもののせいかいつもより短気になっている。いや、それだけではない。婚礼が近いせいだ。
つまりは、宗茂に抱かれないといけない。
年配の侍女が、その手はずを誾千代に説いた。
不快そうに眉を歪ませれば、それが女の務めで、世の夫婦がしていることなのだからと言われてしまい、誾千代も黙るしかない。
けれど、想像するだけで背筋に何かが走り、身体の芯を貫く。
寒気がした気がして、自分を抱きしめるように腕を回しつつ、
「――あの男と・・・」
添い遂げることができるのだろうか。ぽつり呟く。
自然と指先で掴む小袖が皺を描く。
家臣たちの声に混ざって声変わりしたばかりの息子――宗茂の声がした。
家臣たちと談笑しているらしい。
紹運はそんな息子の声を聞きながら、簀子を行く。
高橋家の嫡男として生まれたが、立花家に婿となっていくことになっている息子は、まるでそれが当然であるかのように思っているらしいことに紹運は、半ば呆れ、半ば感心すらしている。
この婚姻も大友家の重臣である立花家と高橋家の結びつきを強くするという側面もある。紹運にしても尊敬する武将である道雪が、自分の息子を認めてくれたことを内心喜んでいる。
息子の声がすっかり聞こえなくなった頃、ふと思い出す。
立花家の誾千代が家督をカタチばかり継ぎ、その祝辞を述べに言った帰り。
「家督を継いだということは、どこかに嫁に行くということはないのですよね?」
幼い息子がそんなことを言った。そうだな、と軽く流せば、
「では、私の妻にはなってくれませんね」
さすがに驚いた。
「誾千代殿が気に入ったのか?」
「はい」
「――誾千代殿を妻に欲しいならば、お前が婿にいくしかないだろうな」
「――・・・父上が許してくだされば」
「父よりも、立花家の道雪殿がお前を許してくれるか、が問題だな」
笑ってそう言えば、納得したのかしていないのか分からない顔をしばらくしていたが、
「どうすれば許してくださるでしょうか?」
そんなことを言った。
それがあまりに真摯だったので、子供の戯れ事と紹運は笑うことを止め、
「まずは強くなることだな」
と言った。
「男が戦に強くなければ、主君も家も守れぬ。男は強くなければならない。」
「強く・・・ですか」
「そして、文武ともに磨くことだ。そうすれば、道雪殿もお前を気に入ってくれるかもしれぬな」
「誾千代殿をもらうには、父上や道雪さまと同じぐらい強くなければいけないのですね」
真面目な顔をしてそんなことを言う息子が可笑しいが、紹運は笑わず頷いた。
行く前は全くといっていいほど関心がなさそうにしていたというのに、帰りには「自分の道」というのを見つけたらしい。
紹運は、宗茂の視線を煩わしそうに退けていた誾千代を思い出す。
派手さはないが顔立ちは整い、黒目がちの印象深い強い眼差しを持った娘だった。
そこまで思い出して、紹運は思い出の中の幼い息子の婚約者と、今の彼女をと脳裏に思い浮かべる。
印象深い双眸は変わらぬ。
――あのふたりが。
あのふたりが生きていくこれからの世がどうなるのか。
今の混沌とした九州という土地が、どうなっていくのか。
【次】
PR