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宗茂の木刀が風を起こす。
木刀から身を交わし、宗茂の起こした風に身を任せ、けれど、吹き飛ばされるそうになるのを堪え、その瞬間を待ったが、呼吸が一歩遅かったのか、あっと思った時には、堪えきれず吹き飛ばされた。
誾千代は、悔しさにきつく下唇を噛み締める。
吹き飛ばされ転がった誾千代に、ゆっくりと宗茂は近づくと手を差し出す。
けれど、誾千代はそれに気付いていない振りをして、自分の足で立ち上がる。
差し出した手を引きながら宗茂は、
「あと、もう一歩だな」
と言う。それには誾千代は素直に頷き、
「あともう少しで・・・分かりそうだ」
と答える。目の前にあるものが掴めないそんなもどかしさが誾千代を苛立たせる。
再度稽古を続けようとする誾千代に、宗茂が空を指差す。
見れば夕闇が、夜の闇に変わりつつある。そろそろ戻らないと屋敷の者が心配をする時刻だ。諦めて誾千代は、小さく息を吐く。
馬を連れてくる、と言って宗茂が行く。
宗茂の背をしばらく見ていた誾千代だったが、視線を周囲へと伸ばす。
立花と高橋の領地の中間地点にある林をすり抜けると広がる原っぱ。
土地の者でさえ足を踏み入れないであろうような場所をなぜ宗茂が知っているのかと問えば、遠乗りに出てはぐれて迷った時に見つけ、ひとりで隠れて稽古するのに利用していたと言った。
その話を聞いて、誾千代は少なからず驚いた。宗茂がひとりで隠れて稽古をした、というのが信じられなかった。あくまでいつも余裕を持って自分の先をいっていると思っていた男が――。
「欲しいものがあったから強くなりたかった」
宗茂が言った。それが何で、手に入ったのかと問えば、
「手に入ったような入っていないような。カタチがあってないような曖昧なものだから分からぬ」
そんなことを言った。
それが何なのか気にならないわけではないけれど、宗茂が答えないような気がしたので誾千代も、あえて重ねて問わなかった。
土に、泥にまみれた誾千代が視線の先にいる。
普通の女ならば嫌がるであろうそれが誾千代は、気にもならない様子だ。
誾千代の焦りを感じ始めたのはいつの頃だろう。宗茂は記憶を手繰り寄せてみる。自分が大して変わらなかった背丈を抜かして、彼女を見下ろすようになった頃だろうか?
その頃から確かに男女の体格差が顕著になった。
手合わせをすれば勝つことも負けることも同じぐらいだったのが、いつしか誾千代に負けることはなくなった。
だから、誾千代は焦ったのだろう。立花の誇りがそれを許さなかったのだろう。
何に焦っているのか問わずとも分かる気がした。
けれど、宗茂も焦りがなかったわけではない。
背が急激に伸び始めた頃、体の節々が激しく痛んだ。
起き上がるのも面倒になるような痛みで、背が伸びる証だと言われたが、この痛みは本当に成長痛だけなのか、他に骨の病気が何かなのではないか、そうだったら――。
痛みがある時は、下手に運動はせぬ方がいいと言われ、体を動かないでいると不安になった。
不安になったことを思い出して宗茂は、ふっと笑う。
女の方が成長が早い。月のものをみたらすぐに嫁ぐ。それが当然の世。
年下とはいえ誾千代は女。
背が伸びる痛みに耐えている間に、月のものをみて誰かを婿にしないだろうか。
そんなことを考えて、まんじりとしない日もあった。
初めて会った帰り、誾千代を妻に欲しいと父に言った――らしい。
覚えていていい年齢だったというのに宗茂には、その記憶がない。
立花家の家督を誾千代が継ぎ、その祝辞を述べに行って、誾千代に会ったことは覚えている。女の子なのに家督を継ぐ、と疑問に思ったことも覚えている。
なのに、妻にしたいと言った記憶がないのも不思議に思う。
だからといって、父の作り話だとも思えない。そんな作り話をする人ではないし、誾千代の父に認められたいという気持ちが強くあるのはそれ故か、と妙に納得もした。
馬を連れて誾千代に近づくと、誾千代は無言で馬に跨る。
誾千代が跨ったのを見届けて、宗茂も馬に跨る。けれど、誾千代は宗茂を待つことなく、すぐに馬を走らせる。
苦笑しつつその姿を見て、後方にいた方が安心できるのでいいと思った。
誾千代の体は疲労しているはずだ。何か異変があったら後ろにいた方が分かりやすい。
「女ゆえ出来る戦い方もあるのではないでしょうか?」
義父に告げた言葉は、ずっと思っていたもの。
誾千代は女故に身軽だ。それは男の自分では到底叶わない。
合わせた木刀が弾け、間合いを取ろうとする瞬間、誾千代はいつもふわりと飛ぶようだった。それを宗茂は、ごくごく単純にすごい、そのまま、飛べるのではないかと思っていた。
戦場で合わす刀は、すさまじい風を起こす。
負けられぬもののふたちの意地が、刀に込められ、勢いがすさまじいだけ吹き上げる風が強くなる。その風を利用すればいい。吹き飛ばされても、その風を逆に利用して、空に舞えばいいのだ。
空に舞えば、視界から消えたように見え、焦った者の僅かなひと呼吸の判断の遅れが、死を意味する。
また、気付かれても着地点を自分で決められるまでになればいい。
誾千代の猫のような身軽さを利用しない手はない。それが彼女の自衛にもなる。
戦場に出ることを止めることは出来ない。
ならば、守ればいいのだ。自衛させ、そして、自分が守ればいいのだ。
馬に乗り、すり抜ける風の幽けき音に耳を澄まし、真っ直ぐに先を行く妻を見据える。
誾千代が風に舞う。
風が吹けば彼女は舞う。風車みたいだ、と思う。
風があって回る風車。
俺は――。
その風車を回す風でありたいのかもしれないと宗茂は、そんな思いを胸に抱く。
【前】【次】
木刀から身を交わし、宗茂の起こした風に身を任せ、けれど、吹き飛ばされるそうになるのを堪え、その瞬間を待ったが、呼吸が一歩遅かったのか、あっと思った時には、堪えきれず吹き飛ばされた。
誾千代は、悔しさにきつく下唇を噛み締める。
吹き飛ばされ転がった誾千代に、ゆっくりと宗茂は近づくと手を差し出す。
けれど、誾千代はそれに気付いていない振りをして、自分の足で立ち上がる。
差し出した手を引きながら宗茂は、
「あと、もう一歩だな」
と言う。それには誾千代は素直に頷き、
「あともう少しで・・・分かりそうだ」
と答える。目の前にあるものが掴めないそんなもどかしさが誾千代を苛立たせる。
再度稽古を続けようとする誾千代に、宗茂が空を指差す。
見れば夕闇が、夜の闇に変わりつつある。そろそろ戻らないと屋敷の者が心配をする時刻だ。諦めて誾千代は、小さく息を吐く。
馬を連れてくる、と言って宗茂が行く。
宗茂の背をしばらく見ていた誾千代だったが、視線を周囲へと伸ばす。
立花と高橋の領地の中間地点にある林をすり抜けると広がる原っぱ。
土地の者でさえ足を踏み入れないであろうような場所をなぜ宗茂が知っているのかと問えば、遠乗りに出てはぐれて迷った時に見つけ、ひとりで隠れて稽古するのに利用していたと言った。
その話を聞いて、誾千代は少なからず驚いた。宗茂がひとりで隠れて稽古をした、というのが信じられなかった。あくまでいつも余裕を持って自分の先をいっていると思っていた男が――。
「欲しいものがあったから強くなりたかった」
宗茂が言った。それが何で、手に入ったのかと問えば、
「手に入ったような入っていないような。カタチがあってないような曖昧なものだから分からぬ」
そんなことを言った。
それが何なのか気にならないわけではないけれど、宗茂が答えないような気がしたので誾千代も、あえて重ねて問わなかった。
土に、泥にまみれた誾千代が視線の先にいる。
普通の女ならば嫌がるであろうそれが誾千代は、気にもならない様子だ。
誾千代の焦りを感じ始めたのはいつの頃だろう。宗茂は記憶を手繰り寄せてみる。自分が大して変わらなかった背丈を抜かして、彼女を見下ろすようになった頃だろうか?
その頃から確かに男女の体格差が顕著になった。
手合わせをすれば勝つことも負けることも同じぐらいだったのが、いつしか誾千代に負けることはなくなった。
だから、誾千代は焦ったのだろう。立花の誇りがそれを許さなかったのだろう。
何に焦っているのか問わずとも分かる気がした。
けれど、宗茂も焦りがなかったわけではない。
背が急激に伸び始めた頃、体の節々が激しく痛んだ。
起き上がるのも面倒になるような痛みで、背が伸びる証だと言われたが、この痛みは本当に成長痛だけなのか、他に骨の病気が何かなのではないか、そうだったら――。
痛みがある時は、下手に運動はせぬ方がいいと言われ、体を動かないでいると不安になった。
不安になったことを思い出して宗茂は、ふっと笑う。
女の方が成長が早い。月のものをみたらすぐに嫁ぐ。それが当然の世。
年下とはいえ誾千代は女。
背が伸びる痛みに耐えている間に、月のものをみて誰かを婿にしないだろうか。
そんなことを考えて、まんじりとしない日もあった。
初めて会った帰り、誾千代を妻に欲しいと父に言った――らしい。
覚えていていい年齢だったというのに宗茂には、その記憶がない。
立花家の家督を誾千代が継ぎ、その祝辞を述べに行って、誾千代に会ったことは覚えている。女の子なのに家督を継ぐ、と疑問に思ったことも覚えている。
なのに、妻にしたいと言った記憶がないのも不思議に思う。
だからといって、父の作り話だとも思えない。そんな作り話をする人ではないし、誾千代の父に認められたいという気持ちが強くあるのはそれ故か、と妙に納得もした。
馬を連れて誾千代に近づくと、誾千代は無言で馬に跨る。
誾千代が跨ったのを見届けて、宗茂も馬に跨る。けれど、誾千代は宗茂を待つことなく、すぐに馬を走らせる。
苦笑しつつその姿を見て、後方にいた方が安心できるのでいいと思った。
誾千代の体は疲労しているはずだ。何か異変があったら後ろにいた方が分かりやすい。
「女ゆえ出来る戦い方もあるのではないでしょうか?」
義父に告げた言葉は、ずっと思っていたもの。
誾千代は女故に身軽だ。それは男の自分では到底叶わない。
合わせた木刀が弾け、間合いを取ろうとする瞬間、誾千代はいつもふわりと飛ぶようだった。それを宗茂は、ごくごく単純にすごい、そのまま、飛べるのではないかと思っていた。
戦場で合わす刀は、すさまじい風を起こす。
負けられぬもののふたちの意地が、刀に込められ、勢いがすさまじいだけ吹き上げる風が強くなる。その風を利用すればいい。吹き飛ばされても、その風を逆に利用して、空に舞えばいいのだ。
空に舞えば、視界から消えたように見え、焦った者の僅かなひと呼吸の判断の遅れが、死を意味する。
また、気付かれても着地点を自分で決められるまでになればいい。
誾千代の猫のような身軽さを利用しない手はない。それが彼女の自衛にもなる。
戦場に出ることを止めることは出来ない。
ならば、守ればいいのだ。自衛させ、そして、自分が守ればいいのだ。
馬に乗り、すり抜ける風の幽けき音に耳を澄まし、真っ直ぐに先を行く妻を見据える。
誾千代が風に舞う。
風が吹けば彼女は舞う。風車みたいだ、と思う。
風があって回る風車。
俺は――。
その風車を回す風でありたいのかもしれないと宗茂は、そんな思いを胸に抱く。
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