×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
鋏の音が、庭先に響く。
稲は庭に咲く山茶花の枝を、鋏で切り落とすと、そっと手に抱える。
もう一枝と手を伸ばそうとした時、砂を蹴る足音がした。稲は顔を上げ、足音の主に振り返った。
「信幸さま」
「あぁ、稲殿でしたか」
信幸は、微かに唇の端に愛想程度に笑みを浮かべる。それは稲も同じこと。
稲が真田家に嫁いできてまだ日が浅い。互いのことを知らない。距離感も分からない。知らないことだらけ。
信幸は稲が手にしている山茶花に目を滑らせる。それに気付いた稲は、
「綺麗でしたので、飾ろうとかと思いました」
「そうですか」
「信幸さまは?どうして庭に?」
「――気晴らしです」
庭に知らない気配がしたから――とは言えずに、信幸はそう答える。
「浜松や駿府に比べて、沼田は寒いですね」
「寒いのは苦手ですか?」
「あまり得意ではないかもしれません」
「それは困りましたな」
信幸がにこりと笑ってみせれば、稲も頬を揺らす。
けれど、互いに次の言葉を探しつつ、気まずい沈黙を噛み締めてしまう。
そして、まだ慣れないな、と信幸は思う。
どうもこの稲姫が苦手なのだ。
(幸村が言う通りだったか)
弟の方が自分よりも、自分のことをよく知っているのかもしれない。
「兄上には、合わない女性だと思います!」
徳川から縁談、相手が本多忠勝の娘の稲姫だと分かった時、幸村がそう言った。
あのように気が強そうな女は向かない、というのが幸村の意見だった。信幸も幸村も、戦場で稲を見かけている。信幸は、あれが本多忠勝の娘かと思った程度だった。
その頃は、徳川とは敵対していたし、まさか稲を妻にするとは思いもしないことだった。
父である昌幸も、陪臣の娘か、と愚痴愚痴言っていたが、徳川と縁を結んでおくのが得策だと信幸は思い、この縁談を「ありがたく」受けた。
稲姫とて同じだろう。
主君、家康に嫁がせることが出来る娘がいないので、命を受けて養女となり「仕方なく」縁談を受けたのだろう。
今のところ幸村が心配した「気が強そうな」一面は見ていない。
沈黙を持てあまして、執務に戻ろうと踵を返すと、稲もついてきた。
振り返ってみれば、稲は小首を傾げて、にこりとすると、
「執務室に飾らせてください」
と山茶花を抱え直す。
稲がパチンと音をたてて葉を鋏で切ると、活けた花を見つめている。
どうも活けたはいいがカタチが気に入らないらしい。
角度を変えて眺めて手直す。それを繰り返している。
その真剣な様子を信幸を横目で見る。
邪魔だと思っていた。さっさと活けて、さっさと出て行ってくれないだろうか。
書状を広げて、ちらりちらりと稲の様子を見ていたが、あまりに真剣な顔で花を活けている様子に、完璧主義者か、と思った。
もしかしたらそこが苦手が部分なのかもしれない。隙がない。可愛気がない。
「――この葉はない方がいいでしょうか?」
稲が聞いてきたが、信幸から見たら、あってもなくても変わらないのではないか。その違いが分からない。
花を立てる者から見たら分かるだろう違いが分からない。だからつい、
「――立花が出来るのですね」
と言った。信幸の言葉に、稲は手にしていた鋏を膝に下ろした。
「意外ですか?」
不満そうに稲が言う。意外といえば意外。戦場で見かけた勇ましい女と、今目の前で花を立てる女らしい一面を見せる女が、同一人物だというのも不思議なものだ。だから、正直に、
「はい。戦場で見かけた時の印象とは、ほど遠い」
信幸が答えれば、途端稲の口をへの字に曲げて、ぷいっと顔を反らす。
先ほどいるかいらないかと聞いてきた葉を、パチンと鋏で切り落としながら、
「私だって同じですよ」
ぽつり呟くように言う。
「戦場で信幸さまを見かけた時、我々を嘲笑うような目をしてて嫌な人だと思ってましたもの」
「それは挑発に簡単に乗ってきたものですから、つい可笑しくて」
「まぁ!」
キッと稲はまなじりを上げた。そして、せっかく活けた花を花器ごと抱えると、
「お花のことが分からない方の部屋に置いておいても仕方ありませんね!」
立ち上がる。
気分を害して部屋を出ていこうとしたらしいが、障子戸は閉まっている。両手は塞がっている。足で開けるわけにもいかない。
「――・・・」
どうするつもりだろうとしばらく意地の悪い気分で見ていた信幸だったが、ゆっくりと立ち上がる。
障子戸を開いてやろうとしたのだが、立ち上がった信幸に気付いた稲は、くるりと振り返ると不機嫌そうな顔のまま、花器を信幸に突き出す。
思わず受け取ると、稲はふんと鼻を鳴らすようにして、部屋を出て行ってしまう。
稲の不機嫌そうな足音を聞きながら、信幸は花器を降ろして、稲の活けた山茶花を見つめる。
先ほど問われた葉の部分を見て、切る前切った後の違いも、
「分からない」
唸るように言う。けれど、分かったこともある。
稲は怒らせると厄介そうだということと、意外に抜けたところがあるということ。
隙がない、可愛気がないわけではなさそうだが、
「私が悪い――とは思えないのですが」
ぽつり呟きを零す。事実を述べたまで。
挑発に簡単に乗ってきた徳川兵が、可笑しかったのは事実。
稲を怒らせたとしても、こちらから謝るのは釈然としない。
「さて、どうするか」
困った。いつもなら相談する弟も上田だ。
けれど、互いに意地を張っていても仕方がない。釈然としない気持ちを抱えてはいるが、こちらから「折れてやる」つもりになった時、人の気配。
障子戸を開けば、稲が盆を持って立っていた。
そのまま、部屋に入り、座り込むので信幸も稲の前に腰掛ける。すると、稲は茶と茶菓子が乗った盆を差し出してきた。
「徳川側の人間は短気、だと思われました?」
「はい」
「――でも、私は――」
もう真田の人間ですからね、と稲は俯きながら言う。
「――真田の人間・・・ですか。それは油断がならない」
「えっ?!」
「真田が徳川でそう思われているのでしょう?」
「――・・・」
「短気で油断がならない」
「――・・・」
「それはそれで面白そうですね」
信幸が稲が淹れた茶を一口に含むと、ふっと頬を緩ませた。
けれど、稲は拗ねたように口をへの字に歪めながら、軽く信幸を睨みつける。
上目使いで睨まれて、それが信幸は可愛らしい仕草にも見えて、くくくっと笑う。
苦手だ、と思っていた気持ちが少しづつ消えていく。
稲は庭に咲く山茶花の枝を、鋏で切り落とすと、そっと手に抱える。
もう一枝と手を伸ばそうとした時、砂を蹴る足音がした。稲は顔を上げ、足音の主に振り返った。
「信幸さま」
「あぁ、稲殿でしたか」
信幸は、微かに唇の端に愛想程度に笑みを浮かべる。それは稲も同じこと。
稲が真田家に嫁いできてまだ日が浅い。互いのことを知らない。距離感も分からない。知らないことだらけ。
信幸は稲が手にしている山茶花に目を滑らせる。それに気付いた稲は、
「綺麗でしたので、飾ろうとかと思いました」
「そうですか」
「信幸さまは?どうして庭に?」
「――気晴らしです」
庭に知らない気配がしたから――とは言えずに、信幸はそう答える。
「浜松や駿府に比べて、沼田は寒いですね」
「寒いのは苦手ですか?」
「あまり得意ではないかもしれません」
「それは困りましたな」
信幸がにこりと笑ってみせれば、稲も頬を揺らす。
けれど、互いに次の言葉を探しつつ、気まずい沈黙を噛み締めてしまう。
そして、まだ慣れないな、と信幸は思う。
どうもこの稲姫が苦手なのだ。
(幸村が言う通りだったか)
弟の方が自分よりも、自分のことをよく知っているのかもしれない。
「兄上には、合わない女性だと思います!」
徳川から縁談、相手が本多忠勝の娘の稲姫だと分かった時、幸村がそう言った。
あのように気が強そうな女は向かない、というのが幸村の意見だった。信幸も幸村も、戦場で稲を見かけている。信幸は、あれが本多忠勝の娘かと思った程度だった。
その頃は、徳川とは敵対していたし、まさか稲を妻にするとは思いもしないことだった。
父である昌幸も、陪臣の娘か、と愚痴愚痴言っていたが、徳川と縁を結んでおくのが得策だと信幸は思い、この縁談を「ありがたく」受けた。
稲姫とて同じだろう。
主君、家康に嫁がせることが出来る娘がいないので、命を受けて養女となり「仕方なく」縁談を受けたのだろう。
今のところ幸村が心配した「気が強そうな」一面は見ていない。
沈黙を持てあまして、執務に戻ろうと踵を返すと、稲もついてきた。
振り返ってみれば、稲は小首を傾げて、にこりとすると、
「執務室に飾らせてください」
と山茶花を抱え直す。
稲がパチンと音をたてて葉を鋏で切ると、活けた花を見つめている。
どうも活けたはいいがカタチが気に入らないらしい。
角度を変えて眺めて手直す。それを繰り返している。
その真剣な様子を信幸を横目で見る。
邪魔だと思っていた。さっさと活けて、さっさと出て行ってくれないだろうか。
書状を広げて、ちらりちらりと稲の様子を見ていたが、あまりに真剣な顔で花を活けている様子に、完璧主義者か、と思った。
もしかしたらそこが苦手が部分なのかもしれない。隙がない。可愛気がない。
「――この葉はない方がいいでしょうか?」
稲が聞いてきたが、信幸から見たら、あってもなくても変わらないのではないか。その違いが分からない。
花を立てる者から見たら分かるだろう違いが分からない。だからつい、
「――立花が出来るのですね」
と言った。信幸の言葉に、稲は手にしていた鋏を膝に下ろした。
「意外ですか?」
不満そうに稲が言う。意外といえば意外。戦場で見かけた勇ましい女と、今目の前で花を立てる女らしい一面を見せる女が、同一人物だというのも不思議なものだ。だから、正直に、
「はい。戦場で見かけた時の印象とは、ほど遠い」
信幸が答えれば、途端稲の口をへの字に曲げて、ぷいっと顔を反らす。
先ほどいるかいらないかと聞いてきた葉を、パチンと鋏で切り落としながら、
「私だって同じですよ」
ぽつり呟くように言う。
「戦場で信幸さまを見かけた時、我々を嘲笑うような目をしてて嫌な人だと思ってましたもの」
「それは挑発に簡単に乗ってきたものですから、つい可笑しくて」
「まぁ!」
キッと稲はまなじりを上げた。そして、せっかく活けた花を花器ごと抱えると、
「お花のことが分からない方の部屋に置いておいても仕方ありませんね!」
立ち上がる。
気分を害して部屋を出ていこうとしたらしいが、障子戸は閉まっている。両手は塞がっている。足で開けるわけにもいかない。
「――・・・」
どうするつもりだろうとしばらく意地の悪い気分で見ていた信幸だったが、ゆっくりと立ち上がる。
障子戸を開いてやろうとしたのだが、立ち上がった信幸に気付いた稲は、くるりと振り返ると不機嫌そうな顔のまま、花器を信幸に突き出す。
思わず受け取ると、稲はふんと鼻を鳴らすようにして、部屋を出て行ってしまう。
稲の不機嫌そうな足音を聞きながら、信幸は花器を降ろして、稲の活けた山茶花を見つめる。
先ほど問われた葉の部分を見て、切る前切った後の違いも、
「分からない」
唸るように言う。けれど、分かったこともある。
稲は怒らせると厄介そうだということと、意外に抜けたところがあるということ。
隙がない、可愛気がないわけではなさそうだが、
「私が悪い――とは思えないのですが」
ぽつり呟きを零す。事実を述べたまで。
挑発に簡単に乗ってきた徳川兵が、可笑しかったのは事実。
稲を怒らせたとしても、こちらから謝るのは釈然としない。
「さて、どうするか」
困った。いつもなら相談する弟も上田だ。
けれど、互いに意地を張っていても仕方がない。釈然としない気持ちを抱えてはいるが、こちらから「折れてやる」つもりになった時、人の気配。
障子戸を開けば、稲が盆を持って立っていた。
そのまま、部屋に入り、座り込むので信幸も稲の前に腰掛ける。すると、稲は茶と茶菓子が乗った盆を差し出してきた。
「徳川側の人間は短気、だと思われました?」
「はい」
「――でも、私は――」
もう真田の人間ですからね、と稲は俯きながら言う。
「――真田の人間・・・ですか。それは油断がならない」
「えっ?!」
「真田が徳川でそう思われているのでしょう?」
「――・・・」
「短気で油断がならない」
「――・・・」
「それはそれで面白そうですね」
信幸が稲が淹れた茶を一口に含むと、ふっと頬を緩ませた。
けれど、稲は拗ねたように口をへの字に歪めながら、軽く信幸を睨みつける。
上目使いで睨まれて、それが信幸は可愛らしい仕草にも見えて、くくくっと笑う。
苦手だ、と思っていた気持ちが少しづつ消えていく。
PR