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「そこで何をしている?」
突然、耳元に息が触れ、
「――っ!!」
と、宗茂は心臓が跳ね上がるかと思ったほどの驚きを隠しつつ、威勢良く振り返った。
何か言ってやろうと思ったが、声の主を見て、唇を閉ざす。
身分ありそうな身なりの少年なのである。
「そこで何をしていた?」
少年は、ものおじしない澄んだ目で、まっすぐに宗茂を射てくる。
「――別に」
宗茂はそう答えると、少年を見据える。
――ここにいる身分ありそうな少年というと・・・。
「じゃあ、どけ。急いでいる」
少年は宗茂の視線など微塵とも気にならないのか、そう言う。
それに宗茂は眉をひそめた。
ここは築地塀の続く隅も隅なのだ。つまりは行き止まり。
宗茂が場所を空けると少年は、築地の裾を蹴る。
すると、崩れて向こう側が見える小さな穴が現れた。人ひとりがやっと這い出せるほどの穴だ。
少年は、築地に開いた穴にかがみこむと這い出て行ってしまった。
少年の出て行った穴をぼんやりと見つめながら宗茂は、おそらくこの穴はあの少年が作った抜け道なのだろうと思った。
かがみこんで穴の向こう側を見ても、もう少年の姿はない。
「この屋敷に男の子がいるとは聞いてない・・・」
男勝りの女の子がひとり。そう聞いていた。
あぁ、宗茂は小さくうなる。
もしかしてあの少年が、誾千代という男勝りの少女なのかもしれない。
そう思いついた瞬間自分に腹がたった。
すぐ背後まで来られていたのに気配をまったく感じなかった。
悔しい。
湧き出た苛立ちを吐き出すかのように、築地の裾を蹴る。
小さな穴がかすかに広がったその時。
「誾千代さま!!」
複数の女の声が聞こえた。
こちらに逃げたのは確かなのですが、と言う声が聞こえた。
どうやらこの屋敷の侍女たちらしい。
聞こえてくる会話から推測すると、お花のお稽古、と言葉を聞いた瞬間に誾千代が逃げ出したらしい。
あぁ、やはりあの少年、いや、少女が誾千代なのか。
宗茂は、面白くない心境で隠れながら侍女たちの愚痴に耳を傾ける。
「立花家の跡取りとして男の子のように育てるより・・・」
年配らしい侍女の言葉に棘があった。
「いつかはどうしても婿取りして跡継ぎを産まなければならないのですから、良き妻良き母になれるようにお育てした方がいいのに殿は・・・」
今更言っても仕方ありませんが、と続けるが声が苦々しい。
誾千代は宗茂の父の友人――立花道雪のひとり娘である。
雷神との異名をとる武将だったが今は体を悪くしている。
女ながらに跡取りとして娘を男のように育てていることは宗茂も知っている。
しかし、いつまでも侍女たちの愚痴を聞いていて仕方がない。
宗茂自身も立花家に連れられてきたのはいいが、大人同士の話に飽き飽きとして抜け出してきたところなのだ。
そして、道に迷ったところに誾千代に会った。
彼女が抜け出したように自分も穴から這い出ようとした時。
「遠くない未来――。誾千代さまが婿を取られた時、殿が家督をその方に譲られることになったその時――どんなに武勇に長けていても、女の身ではどうしようもない」
そう嘆かれる日が来るのではないでしょうか。それを思うと今から・・・。
語尾が揺れる侍女の言葉がなぜか宗茂の胸に残った。
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