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宗茂は、今。
誾千代を背に置き、そっと実家の父からの書状を広げている。黒々した墨の色に目を落としたまま、
「撤退はないか」
ぽつり苦笑を唇に滲ませたながら、呟く。
今、この九州を島津家が席巻している。
それにすでに斜陽の憂き目をみていた大友家は、島津に滅ぼされるのも時間の問題。
しかし、筑前岩屋城の高橋紹運が島津に立ち塞がった。
しかし、兵の差は圧倒的であった。島津軍より幾度も幾度も降伏するように使者が飛んだが、それを高橋紹運は拒絶し続けている。
宗茂は、立花家に婿入りして、実家に帰ったことはない。
最後に父に会ったのは、いつだったか?
あの栗の話をして笑われた記憶がある。昨年の葬儀でも顔を合わせた。あれが最後か?
つらつらと記憶を、掘り返していた宗茂だったが、
「ならば、援軍を出せばいい」
誾千代の、苛立ちと怒りが混ざるのを隠そうともしない厳めしげな声に、思い出すのを止める。
が、宗茂の苦笑が、さらに苦いものとなって落ちた。
「援軍は出さない」
「父親を見殺しにするのか?!」
昨年、父――道雪を亡くしたばかりの誾千代の声が、厳しく飛ぶ。
宗茂の唇と目から、苦笑が消えた。
一瞬にして、高橋紹運の息子から、立花家の当主へと気持ちを切り替えたらしい。
「そうだ」
「――お前・・・」
「援軍は出さない。撤退をしないのを決めたのは、高橋だ。立花は立花でいく」
「お前に、立花を――」
「何と言われようが、俺も立花だ」
きっぱりと言い切れば、誾千代の唇がわななくが、言葉はない。
すべての音を失ったかのように、部屋は静まり返った。
(誾千代に、形ばかりの家督、と言い、結婚して誾千代から家督が譲られても結局、俺が形ばかりの家督相続者になるんじゃないのか思ったな)
それは、事実となった。
立花家に婿入りして、再教育されて、それでも、「誾千代の婿」であり、家臣たちの気持ちは誾千代にある。それが婿養子だ、と言われてしまえばそうかもしれないが、高橋家の嫡男でありながら、立花家に婿入りした身としては、面白くないのも、仕方がないこと。
「立花は立花でいく」
宗茂は、再び呟いた。
「岩屋城が落ちたら、次はこの立花城だ」
「立花と高橋で手を組めば――」
「時間が足りない」
「時間?」
どういう意味だ――誾千代の悲鳴にも似た声をあげるが、宗茂は答えない。ふっ、と笑った後、唇を閉ざし、瞼さえ閉じた。まるで心を閉ざし、瞑想の世界へ入ったかのよう。
その宗茂の手から、はらりと書状が落ちた、その時。
誾千代が、素早く身を翻し、戸を開いて、部屋を出て行った。
ゆっくりと宗茂は、瞼を開く。
「玉砕が分かっている戦に、立花の兵を出すわけにはいかないだろう」
口に出したつもりだったが、声にはならなかった。
しかし、ひとりになった今。
胸を、鷲掴みにされた。喉元から細長い叫びが出そうになる。ぎりぎりと歯を食いしばる。
立花家の当主から、高橋紹運の息子へと戻る。
(けれど――。)
唇は、ギリリと噛み締めた歯に砕かれ、地の味すら滲ませている。瞳のかたちも、心の揺れに合わせて歪んでいる。
けれど、俺も立花だ。
本当の意味で、立花の家臣たちに「立花家」の当主として認められる、これはいい機会だ。
気持ちを切り替えようとするが、なかなか難しい。瞼を閉じれば、
「父上は?父上は、それでいいのですか?」
「お前はどうだ?」
初めて婿入りの話をされた時が、脳裏に蘇る。
問いを問いで返され、自分の意思に任せてくれた父――きっと、それは今も。
ならば。
「鎮西の風、吹かせよう」
【戻る】【前】【次】
誾千代を背に置き、そっと実家の父からの書状を広げている。黒々した墨の色に目を落としたまま、
「撤退はないか」
ぽつり苦笑を唇に滲ませたながら、呟く。
今、この九州を島津家が席巻している。
それにすでに斜陽の憂き目をみていた大友家は、島津に滅ぼされるのも時間の問題。
しかし、筑前岩屋城の高橋紹運が島津に立ち塞がった。
しかし、兵の差は圧倒的であった。島津軍より幾度も幾度も降伏するように使者が飛んだが、それを高橋紹運は拒絶し続けている。
宗茂は、立花家に婿入りして、実家に帰ったことはない。
最後に父に会ったのは、いつだったか?
あの栗の話をして笑われた記憶がある。昨年の葬儀でも顔を合わせた。あれが最後か?
つらつらと記憶を、掘り返していた宗茂だったが、
「ならば、援軍を出せばいい」
誾千代の、苛立ちと怒りが混ざるのを隠そうともしない厳めしげな声に、思い出すのを止める。
が、宗茂の苦笑が、さらに苦いものとなって落ちた。
「援軍は出さない」
「父親を見殺しにするのか?!」
昨年、父――道雪を亡くしたばかりの誾千代の声が、厳しく飛ぶ。
宗茂の唇と目から、苦笑が消えた。
一瞬にして、高橋紹運の息子から、立花家の当主へと気持ちを切り替えたらしい。
「そうだ」
「――お前・・・」
「援軍は出さない。撤退をしないのを決めたのは、高橋だ。立花は立花でいく」
「お前に、立花を――」
「何と言われようが、俺も立花だ」
きっぱりと言い切れば、誾千代の唇がわななくが、言葉はない。
すべての音を失ったかのように、部屋は静まり返った。
(誾千代に、形ばかりの家督、と言い、結婚して誾千代から家督が譲られても結局、俺が形ばかりの家督相続者になるんじゃないのか思ったな)
それは、事実となった。
立花家に婿入りして、再教育されて、それでも、「誾千代の婿」であり、家臣たちの気持ちは誾千代にある。それが婿養子だ、と言われてしまえばそうかもしれないが、高橋家の嫡男でありながら、立花家に婿入りした身としては、面白くないのも、仕方がないこと。
「立花は立花でいく」
宗茂は、再び呟いた。
「岩屋城が落ちたら、次はこの立花城だ」
「立花と高橋で手を組めば――」
「時間が足りない」
「時間?」
どういう意味だ――誾千代の悲鳴にも似た声をあげるが、宗茂は答えない。ふっ、と笑った後、唇を閉ざし、瞼さえ閉じた。まるで心を閉ざし、瞑想の世界へ入ったかのよう。
その宗茂の手から、はらりと書状が落ちた、その時。
誾千代が、素早く身を翻し、戸を開いて、部屋を出て行った。
ゆっくりと宗茂は、瞼を開く。
「玉砕が分かっている戦に、立花の兵を出すわけにはいかないだろう」
口に出したつもりだったが、声にはならなかった。
しかし、ひとりになった今。
胸を、鷲掴みにされた。喉元から細長い叫びが出そうになる。ぎりぎりと歯を食いしばる。
立花家の当主から、高橋紹運の息子へと戻る。
(けれど――。)
唇は、ギリリと噛み締めた歯に砕かれ、地の味すら滲ませている。瞳のかたちも、心の揺れに合わせて歪んでいる。
けれど、俺も立花だ。
本当の意味で、立花の家臣たちに「立花家」の当主として認められる、これはいい機会だ。
気持ちを切り替えようとするが、なかなか難しい。瞼を閉じれば、
「父上は?父上は、それでいいのですか?」
「お前はどうだ?」
初めて婿入りの話をされた時が、脳裏に蘇る。
問いを問いで返され、自分の意思に任せてくれた父――きっと、それは今も。
ならば。
「鎮西の風、吹かせよう」
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