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2024/11
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その誘いは、かつて豊臣政権時代、秀吉の馬廻で一緒だった大野治長からだった。

幸村は、大野の使いが持ってきた書状に目を通す。

大野は秀頼の母の茶々の乳兄弟で、秀吉の死後、家康暗殺未遂の嫌疑をかけられ、流刑となっていたが関ヶ原で東軍につき、武功をあげ、許された。
そして、徳川の使者として大坂に戻り、そのまま秀頼の側近となっている。

豊臣の危機なので、大坂城に入って欲しいと云うお願い。

「お力をお貸し願います」

深々と頭を下げ、使者の男が言う。

「…」

幸村は、大野治長という男を思い出す。
大野は、どこか信之に似ていた。柔和な物腰で、とても優しい男だ。関ヶ原で武功をあげる程の武はあるが、見た目からは感じられない。
それ故かどこか頼りない。揉め事に巻き込まれやすい。

大野は茶々をとても大切に思っている。茶々も大野をとても信頼している。

茶々の愛人とさえ揶揄され、噂されているが、近くにいればそれは違うことに気付く。
大野にとって茶々は「姉妹」も当然なのだ。
浅井時代は乳兄弟として、秀吉時代は主君のの側室、そして、今の主君―秀頼の母として敬い、大切な存在。
立場もあるが、それを除いても「姉妹」以上でも、以下でもないのだ。
ただ茶々は、大野に恋をしていた。
それを大野も知っていた。
知っていて、応じてやれないが、とても大切にしている。
応じてやれないことを申し訳なく思っている。

大野を思い出して、そして――。

瞼を閉じれば、そこに浮かんだのは、いつかの花弁。風に舞う花弁。

そして、聞こえる。

幸村、と呼ぶ声。

――幸村、勝負だ!

無邪気な子供の声が、脳裏にこだまする。

「私は・・・」

過去に引き摺られかけ、瞼を開けば、見慣れた光景が視界に広がる。

けれど、ぴくり、何かが幸村の中で呼吸を吹き返していた。

 ※

立花宗茂は、秀忠の傍に仕えていて、その場にいた。
信之が、改めて秀忠に弟の赦免を申し出た時のこと。

―わずかな違和感。

秀忠も気付いていて、宗茂に目配せをしてきた。

珍しく信之がどこか上の空で、定例文のような言葉を並べて、あっさりと下がってしまった。
秀忠に視線で促されて、宗茂はその背を追って、信之の肩を掴む。


「立花殿・・・?」
「体調が悪いのかと思いまして」
「いえ、大丈夫です」
「そうは見えない」
「・・・」


再度、大丈夫です、と呟くように言って、去ろうとする信之の肩を強く押しとどめ、真っ直ぐに見つめる。


「誾千代は、大丈夫だと言って、大丈夫ではなかった」
「・・・宗茂殿?」
「改易された後、先ほどの信之殿みたいだった。どこか上の空で、大丈夫だとしか言わなかった。あの誾千代が!」

ぐっと肩に、指が食い込むのではないかという強さがこもり、信之が驚きを持って宗茂を見つめれば、宗茂が目をそらすように項垂れた。

 ※


今日は、突然の来客が多い、と稲は内心溜息を落とす。

藤堂高虎の言ったことについて信之と話がしたいのに、信之が立花宗茂を突然連れてきて、茶を出しに行けば、遠ざけられた。
今、信之は宗茂とふたりで話をしている。
離れた部屋で、正座をしてじっと稲は待つ。

「再び戦は起こるのでしょうか?」

ぽつり言葉を落とす。

 ※


「改易されて浪人となっても、誾千代との間には無限の未来があると思ってた」

宗茂が言う。信之は黙って聞くだけ。

宗茂も信之の反応など気にする様子もなく続ける。

牢人となってしばらくは気ままに暮らして、いつか立花を復活させる。
誾千代とふたりで。そう思っていた。

のんびりするのも悪くないと思っていたのは俺だけで、誾千代は違った。
誾千代は常に誇り高くあった。立花のために生きていた女だから当然だが、当時の俺には分からなかった。
夫婦より同志として生きてきたから、のんびりと夫婦をするのもいいと思っていた。

でも、ぼんやりと上の空でいることが増えて、聞いても「大丈夫だ」としか言わない。

そこで気付いたのが、俺たちは「立花」でなければ、夫婦にもなれないのだと。だから旅に出た、立花を復活させるために。ご存じのとおり本多忠勝殿も協力してくれた。

けれど間に合わなかった。
復活へのめどがついて迎えに行った時には、もう手遅れだった。
ひとりで黄泉路に行こうとしていた。病などとは思いもしなかった。病の方が誾千代をさけていくものだとばかり思っていた。

ただ最後の最後に・・・夫婦らしくなれたとは思ってる。

俺の手を握って、「立花を頼んだぞ」と微笑んで、そして――。

お前と結婚して良かった、と言われた。

そこまで言うと、話疲れたのか、すっかり冷えてしまった茶を飲む。

「父にその死の間際に言われました。立花のために生きろ。誾千代のために生きろ。息子を愛した父のために生きろ。誾千代がない今、立花を強固なものすべく生きるしかない」


その言葉を受けて、信之が言う。

「信之、お前はその知をもって家を盛り立てよ。幸村、お前はその武をもって真田の戦を示すのだ」

父に言われた言葉です、と信之はゆらり嗤う。

「真田の家名を残す。武田で織田のたどった道を見て、家がなくなれば、もののふですらない。そう思ってます」
「名が残れば、武は語られる」
「ええ。徳川の世で幸村の名を消ささせずにするには真田の名は残す」
「立花の名が残れば、誾千代の名も残る」

ふたりは、穏やかな微笑みを唇に滲ませたが、ふっと信之は自嘲を滲ませ、

「幸村は大坂城に入るでしょう。藤堂高虎殿に言われました。死ぬに相ふさわしい場所を与える覚悟があるのかと。袂を別ち、もう長いのに、私はまだ覚悟がないのかもしれない」

――泰平の世。それは今、徳川が叶えた世。

それは壊させはしない。

けれど、幸村という花を散る未来を、散らせる覚悟がしなければならない。


そう言うと信之は黙る。唇を噛み締めるようにして、宗茂から目をそらした。
高ぶっていた心が、す………と冷めたような、また逆に冷めていた心に高ぶりが甦ったかのような、不思議な顔をしていた。

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