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その声が聞こえた瞬間、弾かれたように宗茂の足が動いた。
殿、と驚いた小姓の声など無視して走り、廊下を曲がると声の持ち主が立っていた。
そこにいたのは家臣の城戸知正と、見知らぬ女。
いや、どこかで見覚えがあるような・・・。
城戸知正は、誾千代の傅役を勤めていた家臣。
また、今回の立花城立ち退きでは城受取の任に当たっている。
突然の宗茂の登場に驚いたふたりだったが、すぐに平静さを取り戻したのか、にこやかに年若い城主に挨拶の口上を述べる。
「城戸の妻・・・だったのか」
宗茂はひとり納得する。あの声の持ち主だ。
「遠くない未来――。誾千代さまが婿を取られた時、殿が家督をその方に譲られることになったその時――どんなに武勇に長けていても、女の身ではどうしようもない。そう嘆かれる日が来るのではないでしょうか。それを思うと今から・・・」
そう言ったあの女だ。
傅役の妻なのだから、必然的に誾千代の世話もしていただろう。
立花城を立ち退くに際し、この城と誾千代に会いに来たのだという。
最初は堪えていた様子だったが、城戸知正の妻―英―は、ほほほほっと笑い出した。それに一瞬むっとした宗茂だったが、面白気にくすくすと目尻を揺らす実母ほどの年の女性に怒る気はならない。
「そんな愚痴をこぼしていたこともありましたわ。それを宗茂様に聞かれていたなんて思いもしないことで驚いてます。確かに今でも、もう本当に誾千代さまのことは心配で仕方ありませんが」
笑いをゆっくりと沈めながら、英は言う。
「誾千代さまと宗茂さまとの婚儀の前に、体を壊しましてお傍を辞しましたが、宗茂さまならと安心しておりましたのよ。だって、誾千代さまは――」
言いかけて英は言葉を区切るとふふっと頬をいたずら気に揺らした後、
「私から申し上げることではありません。」
そう言葉を繋いだ。
「おふたりともまだお若い上に、誾千代さまはあのようなご性格。けれども、心根はとてもお優しい女性ですのよ」
「それは知っている」
宗茂の言葉に、再び英はほほほっと笑う。
「それは宗茂さまが一番ご存知かもしれませんね。申し訳ありません」
「――英殿は――」
「何でしょう?」
「誾千代は後悔しているとお思いか?」
「――今はまだ大丈夫かと思います」
今は――。
その一言に突っかかりを覚え、眉をひそめる宗茂に、
「――柳川で、新たなご夫婦の関係を築き直されればよろしいではないですか」
「場所が変わっても人は変わらない」
「そうでしょうか?ならば、宗茂様がお変わりになればよろしいのですわ」
「簡単に言ってくれるなぁ・・・」
「あら、簡単なことですわ。ならば、後学の為におひとつ宗茂さまの失敗をお教え致します」
「失敗?」
「今度の上洛の際、誾千代様の同行をお断りになったことは失敗ですわ」
柳川城に移ってすぐに宗茂は上洛することが決まっている。
誾千代もともに、そう言った太閤の使いに宗茂は、やんわりと断った。
その場に城戸知正はいた。だから、英も知っているのだろう。
会わせたくないのだ。
誾千代があの秀吉になびくことなどないと分かっていても嫌なのだ。
「夫は宗茂さまの気持ちも分かると申しておりました。太閤殿下はとても女色を好まれるということですし・・・」
「――・・・」
「けれど、曲がりなりにも7歳より立花の家督を継いでいたのは誾千代様。奥に引きこもっている方でもありませんし、戦場にも出ておりますので太閤に挨拶申し上げるのも筋かと存じますが」
「――…けれど」
「立花をここまで立派にされましたのは宗茂様です。けれど、誾千代様あっての立花でもあります」
義父―立花道雪からの股肱の臣の本音だろうと宗茂は思う。
「宗茂さまは、誾千代様をお守りになりたいのかもしれませんが、真綿で包んで奥にひっそり置いておけるものではありませんよ。それにそうなってしまったらそれは誾千代様ではありません。宗茂様に守られれば守られるほどに誾千代様は傷つきます」
本音としては、亡き大殿に普通の女性としてお育てすればよかったのに、と文句も言いたいところですが、と英は溜息を落とす。
「けれど、立花はふたりでひとつ」
それを覚えていらしてください、英の言葉は鋭い矢のように宗茂の胸に刺さる。
その言葉を宗茂は、口腔で繰り返す。
【戻る】【前】【次】
殿、と驚いた小姓の声など無視して走り、廊下を曲がると声の持ち主が立っていた。
そこにいたのは家臣の城戸知正と、見知らぬ女。
いや、どこかで見覚えがあるような・・・。
城戸知正は、誾千代の傅役を勤めていた家臣。
また、今回の立花城立ち退きでは城受取の任に当たっている。
突然の宗茂の登場に驚いたふたりだったが、すぐに平静さを取り戻したのか、にこやかに年若い城主に挨拶の口上を述べる。
「城戸の妻・・・だったのか」
宗茂はひとり納得する。あの声の持ち主だ。
「遠くない未来――。誾千代さまが婿を取られた時、殿が家督をその方に譲られることになったその時――どんなに武勇に長けていても、女の身ではどうしようもない。そう嘆かれる日が来るのではないでしょうか。それを思うと今から・・・」
そう言ったあの女だ。
傅役の妻なのだから、必然的に誾千代の世話もしていただろう。
立花城を立ち退くに際し、この城と誾千代に会いに来たのだという。
最初は堪えていた様子だったが、城戸知正の妻―英―は、ほほほほっと笑い出した。それに一瞬むっとした宗茂だったが、面白気にくすくすと目尻を揺らす実母ほどの年の女性に怒る気はならない。
「そんな愚痴をこぼしていたこともありましたわ。それを宗茂様に聞かれていたなんて思いもしないことで驚いてます。確かに今でも、もう本当に誾千代さまのことは心配で仕方ありませんが」
笑いをゆっくりと沈めながら、英は言う。
「誾千代さまと宗茂さまとの婚儀の前に、体を壊しましてお傍を辞しましたが、宗茂さまならと安心しておりましたのよ。だって、誾千代さまは――」
言いかけて英は言葉を区切るとふふっと頬をいたずら気に揺らした後、
「私から申し上げることではありません。」
そう言葉を繋いだ。
「おふたりともまだお若い上に、誾千代さまはあのようなご性格。けれども、心根はとてもお優しい女性ですのよ」
「それは知っている」
宗茂の言葉に、再び英はほほほっと笑う。
「それは宗茂さまが一番ご存知かもしれませんね。申し訳ありません」
「――英殿は――」
「何でしょう?」
「誾千代は後悔しているとお思いか?」
「――今はまだ大丈夫かと思います」
今は――。
その一言に突っかかりを覚え、眉をひそめる宗茂に、
「――柳川で、新たなご夫婦の関係を築き直されればよろしいではないですか」
「場所が変わっても人は変わらない」
「そうでしょうか?ならば、宗茂様がお変わりになればよろしいのですわ」
「簡単に言ってくれるなぁ・・・」
「あら、簡単なことですわ。ならば、後学の為におひとつ宗茂さまの失敗をお教え致します」
「失敗?」
「今度の上洛の際、誾千代様の同行をお断りになったことは失敗ですわ」
柳川城に移ってすぐに宗茂は上洛することが決まっている。
誾千代もともに、そう言った太閤の使いに宗茂は、やんわりと断った。
その場に城戸知正はいた。だから、英も知っているのだろう。
会わせたくないのだ。
誾千代があの秀吉になびくことなどないと分かっていても嫌なのだ。
「夫は宗茂さまの気持ちも分かると申しておりました。太閤殿下はとても女色を好まれるということですし・・・」
「――・・・」
「けれど、曲がりなりにも7歳より立花の家督を継いでいたのは誾千代様。奥に引きこもっている方でもありませんし、戦場にも出ておりますので太閤に挨拶申し上げるのも筋かと存じますが」
「――…けれど」
「立花をここまで立派にされましたのは宗茂様です。けれど、誾千代様あっての立花でもあります」
義父―立花道雪からの股肱の臣の本音だろうと宗茂は思う。
「宗茂さまは、誾千代様をお守りになりたいのかもしれませんが、真綿で包んで奥にひっそり置いておけるものではありませんよ。それにそうなってしまったらそれは誾千代様ではありません。宗茂様に守られれば守られるほどに誾千代様は傷つきます」
本音としては、亡き大殿に普通の女性としてお育てすればよかったのに、と文句も言いたいところですが、と英は溜息を落とす。
「けれど、立花はふたりでひとつ」
それを覚えていらしてください、英の言葉は鋭い矢のように宗茂の胸に刺さる。
その言葉を宗茂は、口腔で繰り返す。
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