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「なんで義姉上がっ!?」

先に忍城の援軍に来ていた幸村が、驚いた声を上げる。
真田の陣所に帰ってきた信幸を出迎えた弟の驚きの声に、なりゆきでと信幸が答えると、幸村は兄の背後の稲に視線を移し、カタチ良い眉をひそめる。

「兄上を困らせないで下さい」

稲が我侭を言って信幸に付いてきたものだと思ったらしい。
むっとした稲が唇を開くより早く、信幸が背後の稲を庇うように、

「いや、そうじゃない」

と言えば、すぐにひそめられていた幸村の眉が、ふと解けた。
ではなぜ?
目で聞いてくる幸村の視線を受け止めて、信幸は口を開いたが、すぐにそれを溜息に変える。

「まぁ、そういうことだ」
「どういうことなんです?!」

どうやら説明するのが面倒になったらしい信幸に、稲はくすりと笑う。
兄上、と食い下がる弟をなかば無視するように信幸は歩を進めるが、幸村は食い下がる。食い下がりつつ、迷惑そうにする兄を楽しんでいるようにも稲には見えた。
子犬が猫にじゃれついて、嫌がられているみたい。
そうなると――と考えていると。

「うるさいっ!!」

奥から出てきた昌幸がふたりを怒鳴りつける。

「私は何も言ってないですが」
「お前がいると幸村がうるさくなる。同罪だ!ガキの頃からお前らは――」

そう言ってから昌幸も、稲の存在に気付いて、珍しく驚いた様子を見せた。

「信幸、どういうことだ?」
「そういうことです」
「それで分かるわけないだろう」

まぁ、いいじゃないですか、と信幸が言う。
そんな信幸の無の表情を、じろじろと眺めて、何か頬や瞳に浮かぶのを待ったようだが、すぐに諦めたのか、稲に視線を滑らせたが、すぐにそれも過ぎていった。





「一緒に行きますか?」

信幸がそう言ったのは本気ではない。戯れに言ってみただけ。
あまりに稲がしょげるので、可哀想な気持ちと、それとは別の胸にふと甘く滲んだ想いがそんなことを言わせた。てっきり、そんな勝手なことはできない、と言うと信幸は思っていたのだが、

「行きます!」

即答した稲の目は、喜びに輝いていた。
やばい、と思った。戯れで言っただけ、とは言えない稲の様子である。
けれど、瞬間、真面目な気質が顔を出し冷静になったのか、

「勝手なことはできませんよね」

と言ったかと思うと、すぐに信幸を見つめてくる。
それは明らかに懇願する目で――、信幸が折れた。
折れてから、稲がいた方がいいこともあると思った。
酒宴を抜け出した稲が戻らないことから、まだ信幸がいたことは想像がついていたらしい家康と忠勝の元に戻ると、連れて行けといわれ秀吉にはこちらから言っておくと言われ、信幸はふたりのにやりとした視線に、居心地の悪い思いを頬に苦笑として浮かべるしかなかった。






「信幸が猫で、幸村が子犬か」

昌幸が笑った。
稲は手作りした陣羽織を昌幸と幸村に手渡した後に、先ほど思ったことを言った。

「当たっているな」

言ってからちらりと息子たちを一瞥する。
信幸は他人事のように興味なさ気にしているが、幸村は納得いかなさそうな顔をしている。

「では、わしは?」
「それを考えてました。何でしょう?狼・・・とかでしょうか?」
「狐とか言われるのかと思った」
「では、家康様は狸と言われてますから、先の上田合戦は狐と狸の化かしあいだったのですね」

そんなことを言う稲に昌幸は、にんまりと頬に笑みを浮かべる。
嫁のこういうところが昌幸は嫌いではない。むしろ気に入っている。
徳川の陪臣の娘でなかればより良いと思うが、逆をいえば徳川は信幸を自分の息子でなければ良いと思っているのではないかとも思う。

「狐と狸の化かしあいか」

昌幸がしみじみ言えば、

「人間ですよ」

今まで興味などなさそうにしていた信幸が言う。

「犬猫の飼い主ですよ」

言ってから、幸村と弟を呼ぶとすっと立ち上がる。幸村は無言で兄を見る。

「犬と猫は散歩にでも出よう」
「飼い主なしでですか?」

幸村が笑いながら後を追う。
えっ、信幸さまと後を追おうとした稲の前にすっ・・・と昌幸が手が伸びてきて制される。あぁ、何か話があるのか、とすぐに分かったが、自分に聞かれたくない話をされるのかと思うと、ほんの少し複雑な思いがじんわりと滲む。
小田原では徳川として戦った。
ここでは真田として、真田家の一員となれると思ったのに。

口許をへの字に歪めた稲を、昌幸は無言のまま見つめた。





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