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視界の隅の障子戸に、ふっと影がよぎる。
信幸が顔をあげると、ガタッと小さな音をたてて戸があけられた。冷たい空気がすぅ・・・と鋭く流れ込んできた。
季節はいつしか夏を終え、秋が過ぎ去り冬を迎えていた。
入ってきた風の冷たさに、信幸は筆を置き、紙をおさえていた左手を右手で包む。
無言で部屋に入ってきたのは、幸村。
「なんだ、来ていたのか」
「まだ起きていたのですか」
幸村の言葉に、信幸は苦笑する。苦笑しながら、ふと視線を下げた。
京都の冬は、鋭く深い。
それ故か、近頃信幸の調子が悪いようだ、そう信幸の家臣よりそう聞いて訪れてきた幸村だった。
「もう遅いですよ。今日は特に寒いですから風邪をひきます」
「そんな遅い時刻に来たくせに」
「雪が降りそうな寒さですから、早く休んでください」
「稲みたいなことを言う」
信幸は笑うが、幸村は表情を変えない。
兄の横顔を見る。見慣れた顔だが、どこかやつれたような――。
「孫六郎の姿が見えないようですが」
「徳川殿のところに泊まりに行っている」
えっ・・・と言う弟に向き直った信幸は微笑む。
その笑みの屈託のなさに、幸村は一瞬視線を下げる。
「徳川殿の所に連れて行ったら、皆に遊んでもらって楽しかったらしく、そのまま泊まるというので置いてきた」
「――懐いているのですね」
「人懐っこい性格だからな。お前の子供の頃のようだ」
「そうですか?」
幸村は唸るように言うと、それから、ちらりと笑い、顔を上げる。
そして、孫六郎のそれはただ無邪気なだけだが、自分は違う、と思った。
愛して欲しかったから――。
愛して欲しいから、人に懐いた。寂しいから、愛されたかった。
母の実の子供ではないかと知った時からそうだった。
そして、同時に兄が妬ましくも思えたこともすらあった。
それももう昔のこと――。
けれど、その名残なのだろうか?
自分の周囲の人がいなくなることを考えるだけで恐怖心に震える。
「よく泊まりに行っているのですか?」
「まぁ、そうだな。有難いことに可愛がってもらっている」
答えると同時に、軽く信幸の肩が揺れ、喉からごほごほと咳が飛ぶ。
「もう眠った方がいいですね。すみません、邪魔をしました」
幸村は、慌てて立ち上がった。その背中に、
「お前は何しにきたんだが」
信幸が笑う。幸村は振り返り、ふっと頬を揺らす。
その笑みに向けて、
「――まだ何も変わらない」
信幸は言ってやる。
無言のまま幸村は戸を開くと、静かに出て行く。
その背を見送ると、信幸は溜息をひとつ。
※
その日、京に雪が降った。
それを見た孫六郎が歓声をあげ、雪だと声をあげたかと思った瞬間に、もう駆け出して庭にぽーんと飛び降りている。
足元でサクサクと鳴る音が楽しいらしく、ひとしきり歩き回り、それから、両手で雪をすくって笑う。
「冷たい」
「風邪をひいてしまう」
寝起きの薄着のままの孫六郎を心配して忠勝も庭に降りて、孫六郎を抱き上げるが、いやだとばかり手足をばたつかせる。
「着替えてからだ」
「やだー!!」
「だめだ!」
やだやだ、と一層大きく暴れる孫六郎に困りつつ、抱え込んで縁に上がって、侍女に手渡して着替えを頼む。
忠勝にとって孫六郎は、婿である信幸の子供だが、稲の産んだ子供ではないので血の繋がりはないが、素直に誰にでも懐くその性格は可愛らしく思っている。
しばらく、離れて戻ってくると、着替えて、朝食を慌てて食べたかと思うと孫六郎は、また庭に降りてしまったという。
仕方ないな、と思って見に行けば、縁に家康の姿があった。
家康の足元を見れば、いびつなカタチの雪のかたまりはひとつ。
「殿・・・、それは」
「雪うさぎだそうだ」
「――・・・うさぎ?」
「どうも不器用っぽいぞ。しかし、小さい子がひとりいるだけで賑やかになるな」
「そうですね」
「そして、魔よけにもなる」
「えっ?」
そのまま、家康は、何も言わない。
ただ楽しげに懸命に雪玉を作っている孫六郎を見つめていたが、孫六郎、と声をかけると、呼ばれた本人は顔をあげて、ぽいっと雪を捨てると駆け寄る。
「雪合戦でもするか?」
「うん!」
やめて下さい、と制止しながら、忠勝は先ほどの言葉の意味を考える。
――魔よけ?
秀吉の死後、家康は勢力的に動いている。
家康と前田利家は、秀吉の死を隠したまま、朝鮮から日本軍を撤退させ、ほぼそれも終えたばかり。
年が変わる頃、残された秀頼は京都伏見城から大坂城に移ることになっているが、家康は伏見に残ることを決めている。
今、大老筆頭格の家康と、五奉行筆頭の三成の間はかなり険悪なものとなり、三成が家康の命を狙っているのではないかという噂がある。
信幸は三成とも親しい。縁戚にもある。
つたない孫六郎のおしゃべりの中でも、三成の家に遊びに行き、娘の辰や島左近と遊んでもらったことなどが分かる。
――もしかして。
孫六郎がいると三成は、この屋敷に仕掛けて来ることが出来ない?
家康も信幸もそれが分かっている?
けれど、そうだとしたら――。
それが石田三成という男の駄目なところだろう。忠勝は思う。
けれど、今は――。
「殿、本当にやめてください」
本気で雪合戦をしようとしている家康を止めるので精一杯だ。
※
間が悪い――。
信幸は廊に立ち止まり、腕を組んだ。
伏見城。大坂城に移る準備で皆が忙しくしている中、廊の角を曲がろうとして言い争う声が聞こえてきた。
あと二歩で角、というところで信幸は足を止めたのだった。
ひとりは三成で、もうひとりは――。
あまり聞き覚えのある声ではないが、内容から推測するに、秀吉の子飼いと言われた武将だろう。加藤清正か福島正則か。
引き返すか、終わるのを待つか、と考えていた信幸だったが、引き返そうとして踵を返して奥から来る人と目が合った。
「――立花殿・・・」
「真田殿ではありませんか」
早足で近づいてくる立花宗茂を、すっと手で制する。
不思議そうにした宗茂だったが、言い争う声に気付いたのか途端納得したような顔を見せ、足を止めた。
「石田殿と加藤殿のようですね」
「あぁ、加藤殿の声でしたか」
ともに廊を引き返しつつ、互いは顔と名前を知っており、会えば話すぐらいの間柄だが、
「そういえば、妻が誾千代殿にお世話になっているようで」
信幸がそう言えば、あぁ、と宗茂は笑った。
小田原の後、稲と誾千代がよく文を交わしていることは知っている。
「誾千代も喜んでいるようなので」
にこり宗茂が言う。
それから、朝鮮での戦いのことなどを聞いていた信幸だったが、荒々しい足音が近づいてきたので一瞬振り返り、すぐに道をあける。
歩いてきたのは加藤清正。
ひどく機嫌悪そうだが、それでも、「恐れ入る」と言いながら信幸たちの前を通り過ぎる。信幸が、視線を廊の角にやれば、赤い髪が一瞬見えて消えた。
おそらく、清正を追ってきたものの、信幸たちの存在に気付いて引き返したのだろう。
「朝鮮から名護屋の陣に戻った時も言い争ってました」
「そうですか」
「共に育った幼馴染故に、一度すれ違うと確執は深くなるのでしょう」
信幸は何も答えない。
まるで聞こえていないようだと宗茂が思った瞬間、げほっと口許をおさえて信幸が咳をする。
「申し訳ありません。風邪をこじらせてしまったようで、体調管理が出来ていなくてお恥ずかしい限りです」
目元に笑みを浮かべつつ、信幸はそう言うと、そのまま、引き返してきた廊を歩いて行ってしまう。
残された宗茂は、雪が降ったばかりの鋭い寒さの中、その背を見つめた。
【戻る】【前】【次】
信幸が顔をあげると、ガタッと小さな音をたてて戸があけられた。冷たい空気がすぅ・・・と鋭く流れ込んできた。
季節はいつしか夏を終え、秋が過ぎ去り冬を迎えていた。
入ってきた風の冷たさに、信幸は筆を置き、紙をおさえていた左手を右手で包む。
無言で部屋に入ってきたのは、幸村。
「なんだ、来ていたのか」
「まだ起きていたのですか」
幸村の言葉に、信幸は苦笑する。苦笑しながら、ふと視線を下げた。
京都の冬は、鋭く深い。
それ故か、近頃信幸の調子が悪いようだ、そう信幸の家臣よりそう聞いて訪れてきた幸村だった。
「もう遅いですよ。今日は特に寒いですから風邪をひきます」
「そんな遅い時刻に来たくせに」
「雪が降りそうな寒さですから、早く休んでください」
「稲みたいなことを言う」
信幸は笑うが、幸村は表情を変えない。
兄の横顔を見る。見慣れた顔だが、どこかやつれたような――。
「孫六郎の姿が見えないようですが」
「徳川殿のところに泊まりに行っている」
えっ・・・と言う弟に向き直った信幸は微笑む。
その笑みの屈託のなさに、幸村は一瞬視線を下げる。
「徳川殿の所に連れて行ったら、皆に遊んでもらって楽しかったらしく、そのまま泊まるというので置いてきた」
「――懐いているのですね」
「人懐っこい性格だからな。お前の子供の頃のようだ」
「そうですか?」
幸村は唸るように言うと、それから、ちらりと笑い、顔を上げる。
そして、孫六郎のそれはただ無邪気なだけだが、自分は違う、と思った。
愛して欲しかったから――。
愛して欲しいから、人に懐いた。寂しいから、愛されたかった。
母の実の子供ではないかと知った時からそうだった。
そして、同時に兄が妬ましくも思えたこともすらあった。
それももう昔のこと――。
けれど、その名残なのだろうか?
自分の周囲の人がいなくなることを考えるだけで恐怖心に震える。
「よく泊まりに行っているのですか?」
「まぁ、そうだな。有難いことに可愛がってもらっている」
答えると同時に、軽く信幸の肩が揺れ、喉からごほごほと咳が飛ぶ。
「もう眠った方がいいですね。すみません、邪魔をしました」
幸村は、慌てて立ち上がった。その背中に、
「お前は何しにきたんだが」
信幸が笑う。幸村は振り返り、ふっと頬を揺らす。
その笑みに向けて、
「――まだ何も変わらない」
信幸は言ってやる。
無言のまま幸村は戸を開くと、静かに出て行く。
その背を見送ると、信幸は溜息をひとつ。
※
その日、京に雪が降った。
それを見た孫六郎が歓声をあげ、雪だと声をあげたかと思った瞬間に、もう駆け出して庭にぽーんと飛び降りている。
足元でサクサクと鳴る音が楽しいらしく、ひとしきり歩き回り、それから、両手で雪をすくって笑う。
「冷たい」
「風邪をひいてしまう」
寝起きの薄着のままの孫六郎を心配して忠勝も庭に降りて、孫六郎を抱き上げるが、いやだとばかり手足をばたつかせる。
「着替えてからだ」
「やだー!!」
「だめだ!」
やだやだ、と一層大きく暴れる孫六郎に困りつつ、抱え込んで縁に上がって、侍女に手渡して着替えを頼む。
忠勝にとって孫六郎は、婿である信幸の子供だが、稲の産んだ子供ではないので血の繋がりはないが、素直に誰にでも懐くその性格は可愛らしく思っている。
しばらく、離れて戻ってくると、着替えて、朝食を慌てて食べたかと思うと孫六郎は、また庭に降りてしまったという。
仕方ないな、と思って見に行けば、縁に家康の姿があった。
家康の足元を見れば、いびつなカタチの雪のかたまりはひとつ。
「殿・・・、それは」
「雪うさぎだそうだ」
「――・・・うさぎ?」
「どうも不器用っぽいぞ。しかし、小さい子がひとりいるだけで賑やかになるな」
「そうですね」
「そして、魔よけにもなる」
「えっ?」
そのまま、家康は、何も言わない。
ただ楽しげに懸命に雪玉を作っている孫六郎を見つめていたが、孫六郎、と声をかけると、呼ばれた本人は顔をあげて、ぽいっと雪を捨てると駆け寄る。
「雪合戦でもするか?」
「うん!」
やめて下さい、と制止しながら、忠勝は先ほどの言葉の意味を考える。
――魔よけ?
秀吉の死後、家康は勢力的に動いている。
家康と前田利家は、秀吉の死を隠したまま、朝鮮から日本軍を撤退させ、ほぼそれも終えたばかり。
年が変わる頃、残された秀頼は京都伏見城から大坂城に移ることになっているが、家康は伏見に残ることを決めている。
今、大老筆頭格の家康と、五奉行筆頭の三成の間はかなり険悪なものとなり、三成が家康の命を狙っているのではないかという噂がある。
信幸は三成とも親しい。縁戚にもある。
つたない孫六郎のおしゃべりの中でも、三成の家に遊びに行き、娘の辰や島左近と遊んでもらったことなどが分かる。
――もしかして。
孫六郎がいると三成は、この屋敷に仕掛けて来ることが出来ない?
家康も信幸もそれが分かっている?
けれど、そうだとしたら――。
それが石田三成という男の駄目なところだろう。忠勝は思う。
けれど、今は――。
「殿、本当にやめてください」
本気で雪合戦をしようとしている家康を止めるので精一杯だ。
※
間が悪い――。
信幸は廊に立ち止まり、腕を組んだ。
伏見城。大坂城に移る準備で皆が忙しくしている中、廊の角を曲がろうとして言い争う声が聞こえてきた。
あと二歩で角、というところで信幸は足を止めたのだった。
ひとりは三成で、もうひとりは――。
あまり聞き覚えのある声ではないが、内容から推測するに、秀吉の子飼いと言われた武将だろう。加藤清正か福島正則か。
引き返すか、終わるのを待つか、と考えていた信幸だったが、引き返そうとして踵を返して奥から来る人と目が合った。
「――立花殿・・・」
「真田殿ではありませんか」
早足で近づいてくる立花宗茂を、すっと手で制する。
不思議そうにした宗茂だったが、言い争う声に気付いたのか途端納得したような顔を見せ、足を止めた。
「石田殿と加藤殿のようですね」
「あぁ、加藤殿の声でしたか」
ともに廊を引き返しつつ、互いは顔と名前を知っており、会えば話すぐらいの間柄だが、
「そういえば、妻が誾千代殿にお世話になっているようで」
信幸がそう言えば、あぁ、と宗茂は笑った。
小田原の後、稲と誾千代がよく文を交わしていることは知っている。
「誾千代も喜んでいるようなので」
にこり宗茂が言う。
それから、朝鮮での戦いのことなどを聞いていた信幸だったが、荒々しい足音が近づいてきたので一瞬振り返り、すぐに道をあける。
歩いてきたのは加藤清正。
ひどく機嫌悪そうだが、それでも、「恐れ入る」と言いながら信幸たちの前を通り過ぎる。信幸が、視線を廊の角にやれば、赤い髪が一瞬見えて消えた。
おそらく、清正を追ってきたものの、信幸たちの存在に気付いて引き返したのだろう。
「朝鮮から名護屋の陣に戻った時も言い争ってました」
「そうですか」
「共に育った幼馴染故に、一度すれ違うと確執は深くなるのでしょう」
信幸は何も答えない。
まるで聞こえていないようだと宗茂が思った瞬間、げほっと口許をおさえて信幸が咳をする。
「申し訳ありません。風邪をこじらせてしまったようで、体調管理が出来ていなくてお恥ずかしい限りです」
目元に笑みを浮かべつつ、信幸はそう言うと、そのまま、引き返してきた廊を歩いて行ってしまう。
残された宗茂は、雪が降ったばかりの鋭い寒さの中、その背を見つめた。
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