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2024/11
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陽だまりが、ぽっかりと下界を包む、あたたかな午後。
稲は、沼田に帰ってきた信幸が、障子が開け放たれた執務室で文に目を通す姿を、子供たちを庭で遊ばせながら、見つめた。
ずっと体調を崩している、と聞いていたが、沼田に帰ってきた信幸は元気そうだ。
父、忠勝からの文などでは、とてもやつれていると書かれていたので、ひどく心配したが、暖かくなってきた気候が幸いしたのか、信幸は不調には見えなく、ほっと安堵の息を落としたものだ。
縁に控えていた小姓に何かいいつけ、その小姓が去った後。
信幸が、こちらを見た。
けれど、稲や子供たちを見ているのではない。
その先にある空を視線は指している。空の青は、遥か遠い。
そして、信幸の真っ直ぐに澄んだ視線は、冬の水面を思わせるような静けさだ。
自分を見ていない。いつもそう思う。
そう思って、胸の奥がぎりぎりと締め付けられる。息が苦しくなる。
その真っ直ぐに澄んだ視線の先に、自分が映る日はくるのだろうか?
信幸の心に触れられたと思う一瞬はあったけれど、それはすくったと思ったはずなのに、指の間から流れていってしまう水のようで――。
気付けは、なくなってしまっている。
ほぉ・・・と溜息を落としたくなった時。
稲、と信幸に呼ばれた。
驚く稲に、不思議そうに首を傾げると手招きをする。

「何でしょう?」

稲が縁に座ると、信幸が腰を上げ稲に文を渡してきた。

「読んでよろしいのですか?」
「どうぞ」

受け取り、そっと開く。
柳の葉に近いような柔らかい筆跡は女性のそれで、読み進めていくうちにそれが三成の妻のうたからだと分かった。
武断派の武将たちに襲われた三成は、家康の屋敷に逃げ込んだ。
家康は、三成を保護し、奉行職を解き、居城である佐和山城へ蟄居させた。
どうやら信幸は、三成に見舞いの文を送ったらしく、三成からの返信とは別にうたからも礼状が届いたらしい。さすがに三成からの文は見せてくれないらしい。
うたもさぞ気を落としているだろうと思った稲だったが――。

「佐和山での暮らしは、心に苦しきこともあれど、大坂にいたのでは味わえない、三成様との穏やかな日々でございます」

そんな風に綴られた文章を、目でなぞった。
文中の隙間から、不思議な温かさと幸福感さえ感じられるような。
そんな気がした。
稲は、うたに会ったことはない。
けれど、信幸の話では、山手殿に似た性格の女性らしい。
信幸曰く、「善良であり、善良であるが故に多々わずらわしい」女性ということになるのだろう。
うたからの文を読んで、稲は羨ましいと思った。
文をそっと元に戻しながら、信幸のその横顔、頬から顎の線を見る。
稲の視線に気付いたらしい信幸と目が合った。
目が合うけれど、心が合ったことはあるのだろうか?

「どうかしましたか?」
「うた様が――幸せそうに感じられました」
「そうですか」

今まで忙しかった三成と、やっとゆっくりできる時間が出来た、とでも思っているのかもしれない。

「うた様は、義母上に似ていらっしゃるのでしょう?」
「ええ」
「信幸さまは、善良なだけの、とおっしゃいますけれど――」

ふふふっと稲の唇から、微笑が洩れて落ちた。

「この時代、善良に生きることは逆に難しいことと思います。善良のままでいられる――それは強さがなければ出来ないことではないでしょうか?」
「――・・・」
「うた様が羨ましく思いました。私も――」

言いかけて止めた、ぽろり稲が零した言葉を、信幸がどう受け取ったかは分からない。信幸は、稲が唇に綴った言葉の跡を探すように瞳を揺らしたかと思うと、ゆっくりと瞬きをしただけ。

「信幸さまは以前、私になぜ戦うのか問われたことを覚えておりますか?」
「小田原の頃ですね」

こくりと稲は頷く。

「あの時、即答できませんでしたが」

女が戦場に立つのは、守りたいものがあるだと思います、と稲は続ける。

「私が最初、女の身でありながら戦場に出たのは父の背を見て育ったからでした。けれど、今は違います。」

仮に――。
再び戦場に立つことがあれば、それは守るべきものがあるからです。

「稲の守るべきものとは何ですか?」

そっと稲は庭で遊ぶふたりの息子に視線を滑られてから、

「あの子供たちと、信幸さまです」

きっぱりと、頬に笑みを浮かべて答える。それを聞いて、くくくっと信幸が笑う。

「何が可笑しいのですか?」
「私は、妻に守られるのですね」
「では、信幸さまも私を守ってくださいませ」

ふわりと信幸は瞳を和らげて、また笑った。それが稲は不満で、信幸を睨みつける。

「私が守るべきものは、信幸さまが守りたいと思うものですから」
「私が守りたいもの・・・ですか」

信幸が、低い中に安堵を滲ませた声で言う。

「稲は――」


私には過ぎたる妻ですね、信幸がそう言った時。
風が吹いた。
ヒュウと吹いた突風に、髪が大きく乱される。
ほつれた髪をおさえながら稲は、水のように何も薫るもののない風が流れた道すじを見つめるように視線を滑らせる。

「やっと――」

あたたかい季節が来たかと思えば、すぐにまた雨の季節が来ますね。

信幸がそう言う。
けれど、今はまだ青く深くどこまでも遠くに広がっていた。



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