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夕暮れは嫌いだ。
どうして?
帰らないといけないから。
空を赤く染める夕暮れを見ながら、そんな会話を交わしたのは、とても昔のこと。
誾千代は、長く伸びる自分たちの影を見ながら、彌七郎―後の宗茂と話したことを覚えている。
あの頃はただの幼馴染。
結婚するとは夢にも思っていなかった頃。
帰る場所が、違った頃。
帰る場所は、一緒になった今。
普段はすっかり忘れているが、時折夕暮れの空を見れば思い出す。
その日は、朝から雨が降っていた。
しばらく京へ行っていた主の帰城の喧騒と、屋根を打つ雨の音が混じり合う。
けれど、城の一室のみ重苦しい沈黙が流れていた。場内の喧騒は遠くのことのようで、まるでこの部屋だけ時間の流れから切り離されているようだと誾千代は思うが、そう思っているのは自分だけらしい、とつい溜息が落ちた。
誾千代は慌てて、口元のあたりを拭ったが、同室の女には届いていなかったらしい。
土産だ、と宗茂が言った置いていったそれに誾千代は、言葉を失った。
そこにいたのは、ひとりの女。目が合えば、にこりと微笑む。綺麗な女だ。
「お前、女友達いないだろう?文で知らせたが、八千子殿だ。仲良くしてやってくれ」
そんなことを言う宗茂に、誾千代は唇は開いたが、言葉は出てこない。
呆気に取られ、心が空白になった誾千代に、宗茂はなぜか満足気な笑みを頬に浮かべ、立ち上がる。それにハッとした誾千代が、顔を上げるより早く、
「じゃあ、そういうことだ」
手をひらりとさせると、素早く部屋を出て行ってしまう。
「おい、宗茂!」
慌てて呼び止めても、もうその姿はない。
くすり、と女が笑ったので、誾千代の視線は彼女に向けられる。
残された女ふたり。
宗茂が京から女を連れ帰る――とは知らされていたが。
それを知った時、瞬間火がついたように胸が爛れた。
けれど、それもすぐに理性で抑え込む。今まで側室のひとりもいなかった方が、おかしいぐらいなのだ。当然のこと。いつかは来るだろうと思っていたことが、現実になっただけのこと。それが今日だっただけのこと。
自分は正室として、立花の誇りのためにも、その女を寛容に迎え入れようと思っていた。
というのに――。
(あいつは、何を考えているんだ)
その思いが溜息となって落ちた。
誾千代は、慌てて口元のあたりを拭ったが、八千子の耳には届いていなかったのか、届いていない振りをしているのか、ただただ楽しそうに微笑みながら、真っ直ぐに誾千代を見ている。
その様子が誾千代には、薄気味悪く感じられた。
側室として迎えた女を、妻の女友達にと言う宗茂も宗茂だが、奴らしいとも言えないこともないと思ってしまう誾千代もいて、再び溜息を漏らしたい気持ちを堪えて
「貴方も―・・・」
誾千代が声をかければ、瞬間パッと花が咲くような笑顔を見せる彼女に、一瞬怯んだ。
しかし、彼女とて心細いのだろう。見知らぬ土地で、見知らぬ人ばかり。誰であっても声をかけられて嬉しいのだろう。頼るべき相手である宗茂が、こともあろうことか正室である自分とふたりきりにして去ってしまう。
「貴方も、長旅で疲れたでしょう。今日はもうゆっくり休んで下さい」
「お気遣い有難うございます」
誾千代は、愛想程度の笑みを口の端に浮かべて、退室を促そうとしたが、
「京と柳川では、暑さが違いますね。京の暑さはねっとりとまとわりつくようでうんざりしてました。こちらに来る前は、九州の方が暑いのではないかと思っていたのですが、こちらは堀に囲まれているせいでしょうか?思ったよりも涼しくて、嬉しく思っております。それになかなか風情があって――」
八千子は、長々と話し続ける。
誾千代は、反応に困る。相手が男だったなら、普段通り「うるさい」なり「冗長だ!」と切り捨てることもできるが。
しかし、八千子もそんな誾千代に気づいたのか、
「申し訳ありません。私、喋りすぎてしまいました」
「いいえ・・・」
「話が多かったり、長かったり、オチもないとかいろいろ言われるのですが、あっ、でも父もそうでしたから、血筋でしょうかしら?」
また、話し続ける。
内心、誾千代はうんざりしつつ、宗茂の側室となった女の話ではなく、降る雨に耳を傾ける。
八千子は涼しいと言ったが、誾千代は雨も混じった蒸し暑さに、うんざりする。
【戻る】【次】
どうして?
帰らないといけないから。
空を赤く染める夕暮れを見ながら、そんな会話を交わしたのは、とても昔のこと。
誾千代は、長く伸びる自分たちの影を見ながら、彌七郎―後の宗茂と話したことを覚えている。
あの頃はただの幼馴染。
結婚するとは夢にも思っていなかった頃。
帰る場所が、違った頃。
帰る場所は、一緒になった今。
普段はすっかり忘れているが、時折夕暮れの空を見れば思い出す。
その日は、朝から雨が降っていた。
しばらく京へ行っていた主の帰城の喧騒と、屋根を打つ雨の音が混じり合う。
けれど、城の一室のみ重苦しい沈黙が流れていた。場内の喧騒は遠くのことのようで、まるでこの部屋だけ時間の流れから切り離されているようだと誾千代は思うが、そう思っているのは自分だけらしい、とつい溜息が落ちた。
誾千代は慌てて、口元のあたりを拭ったが、同室の女には届いていなかったらしい。
土産だ、と宗茂が言った置いていったそれに誾千代は、言葉を失った。
そこにいたのは、ひとりの女。目が合えば、にこりと微笑む。綺麗な女だ。
「お前、女友達いないだろう?文で知らせたが、八千子殿だ。仲良くしてやってくれ」
そんなことを言う宗茂に、誾千代は唇は開いたが、言葉は出てこない。
呆気に取られ、心が空白になった誾千代に、宗茂はなぜか満足気な笑みを頬に浮かべ、立ち上がる。それにハッとした誾千代が、顔を上げるより早く、
「じゃあ、そういうことだ」
手をひらりとさせると、素早く部屋を出て行ってしまう。
「おい、宗茂!」
慌てて呼び止めても、もうその姿はない。
くすり、と女が笑ったので、誾千代の視線は彼女に向けられる。
残された女ふたり。
宗茂が京から女を連れ帰る――とは知らされていたが。
それを知った時、瞬間火がついたように胸が爛れた。
けれど、それもすぐに理性で抑え込む。今まで側室のひとりもいなかった方が、おかしいぐらいなのだ。当然のこと。いつかは来るだろうと思っていたことが、現実になっただけのこと。それが今日だっただけのこと。
自分は正室として、立花の誇りのためにも、その女を寛容に迎え入れようと思っていた。
というのに――。
(あいつは、何を考えているんだ)
その思いが溜息となって落ちた。
誾千代は、慌てて口元のあたりを拭ったが、八千子の耳には届いていなかったのか、届いていない振りをしているのか、ただただ楽しそうに微笑みながら、真っ直ぐに誾千代を見ている。
その様子が誾千代には、薄気味悪く感じられた。
側室として迎えた女を、妻の女友達にと言う宗茂も宗茂だが、奴らしいとも言えないこともないと思ってしまう誾千代もいて、再び溜息を漏らしたい気持ちを堪えて
「貴方も―・・・」
誾千代が声をかければ、瞬間パッと花が咲くような笑顔を見せる彼女に、一瞬怯んだ。
しかし、彼女とて心細いのだろう。見知らぬ土地で、見知らぬ人ばかり。誰であっても声をかけられて嬉しいのだろう。頼るべき相手である宗茂が、こともあろうことか正室である自分とふたりきりにして去ってしまう。
「貴方も、長旅で疲れたでしょう。今日はもうゆっくり休んで下さい」
「お気遣い有難うございます」
誾千代は、愛想程度の笑みを口の端に浮かべて、退室を促そうとしたが、
「京と柳川では、暑さが違いますね。京の暑さはねっとりとまとわりつくようでうんざりしてました。こちらに来る前は、九州の方が暑いのではないかと思っていたのですが、こちらは堀に囲まれているせいでしょうか?思ったよりも涼しくて、嬉しく思っております。それになかなか風情があって――」
八千子は、長々と話し続ける。
誾千代は、反応に困る。相手が男だったなら、普段通り「うるさい」なり「冗長だ!」と切り捨てることもできるが。
しかし、八千子もそんな誾千代に気づいたのか、
「申し訳ありません。私、喋りすぎてしまいました」
「いいえ・・・」
「話が多かったり、長かったり、オチもないとかいろいろ言われるのですが、あっ、でも父もそうでしたから、血筋でしょうかしら?」
また、話し続ける。
内心、誾千代はうんざりしつつ、宗茂の側室となった女の話ではなく、降る雨に耳を傾ける。
八千子は涼しいと言ったが、誾千代は雨も混じった蒸し暑さに、うんざりする。
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