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その気配に、誾千代は慌てて目を閉じて、寝たふりをする。
襖を隔てた隣室の主が、部屋に入った気配がした。かすかな足音が近づき、襖が開かれる。
誾千代、と宗茂の声がして、誾千代の瞼が強く閉じられる。
宗茂は、手にしている灯明皿の火を、さっと布団に横たわる誾千代の上を通過させる。
瞼裏が眩しさに、わずかに揺れた。
「やっぱり起きているのか」
宗茂は笑ったが、誾千代は答えない。無視する姿勢を示すかのように寝返りを打つ。
灯明皿の火が遠のいて、コトっと小さく音がした。枕辺の上あたりにそれは置かれた。
誾千代、と宗茂が呼びかけながら、上掛けの足元付近から手を入れ、ふくらはぎに触れてくる。瞬間、
「止めろ!」
弾かれたように、誾千代が上半身を起こし、両手で足を抱え込む。
不満が宗茂の眉に描かれている。なぜ、と視線で問いかけてくる。
「女を抱きたければ、八千子殿がいるだろう」
言ってから、まるで嫌味のようだと誾千代は後悔する。その後悔を取り繕うように、つとめて冷静に、
「見知らぬ地に来たばかりの八千子殿が頼れるのはお前だけだ。傍にいてやるのが筋だろう」
と言えば、それを受けた宗茂は溜息をひとつ。それから、薄く笑う。
宗茂の唇に笑いが浮かんでいたが、かすかな曲線を描いた眉の下の目に、笑いはなかった。
宗茂は、誾千代の横に座り込む。
「お前、女にもてるようだな」
「はっ?」
宗茂の唐突な言葉に、今度は誾千代の眉が歪む。
「お前のことを大層褒めていた」
「気を使っただけだろう」
「そうかもな」
もぞもぞと宗茂は、誾千代の床に入り込んでくる。何を、と慌てれば、
「何もしない。ただ寝るだけだ」
宗茂が手を伸ばして誾千代の頭に触れると、横になれとばかりに強く押してくる。その手を払いながら、誾千代は宗茂に背を向けて、横たわる。
背に宗茂の体温を感じる。
久しぶりに触れられた手は、相変わらず暖かくて大きかった。
誾千代はそっと自分の手を見つめる。刀たこのある手。女らしくない手。けれど、男でもない手。
隣でもう寝息が聞こえてきた。
のんきな男だ、と思いながら、その男が羨ましかった。子供のころから今までずっと。
立花家の跡取りとして、男のように育てられたが、年を重ね、体が成長するほどに現実は、自分は女で、女である卑下さを知らしめてきた。その重みに打ちのめされてきた。そして、幼馴染の宗茂への羨望と嫉妬に突き動かされ、反発するような態度になる。夫婦となってからもそれを繰り返しては、少しづつ慣れた。無念と嫉妬を心に焼き付けることに慣れた。
そして――。
誾千代は寝返りをうち、そっと宗茂へと向き直る。
きっと同じように慣れるのだろう。
先ほど自分に触れた宗茂の手が、八千子の頬に触れ、体に触れ、ふたりは。
嫉妬を感じている事実を、誾千代は受け止める。
嫉妬と不安と怒りを感じている。嫉妬すればするほどに所詮自分は、ただの女だと冷笑する。
けれど、きっとこれも慣れること。
嫉妬と不安と怒りを繰り返して、それに慣れていく。
誾千代は、そっと身を起こすと、灯ったままだった灯明皿の火を吹き消す。
「こんな風に・・・」
嫉妬も不安も怒りも、一瞬で消えてしまえばいいのに。
「誾千代さま、誾千代さま」
と八千子は、誾千代を訪ねてくる。人懐っこい小動物のようだ、と誾千代は思う。
父は将軍足利義昭の近臣だった矢島秀行で、母は公家の出だという。父の死後、父と親しかった細川藤孝に預けられ、宗茂が藤孝の息子である忠興と親しかった縁から、その側室となった。
名門に生まれ、父の死などはあったけれど、人を憎むことも、思いが及ばない口惜しさに悶えることも知らない人生は、こんなにも素直で明るく、無垢な優しい女を作り上げるのだろうか。
誾千代は、ことあるごとに訪ねてくる八千子を見て、そう思う。
八千子なりに、正室を側室が仲良くすることが、家の為に、宗茂の為になると思っているのだろう。
いそいそと誘ってくる八千子に、何も言わずにつきあう日もあれば、鍛錬がしたいからと、すげなく断る日もある。
誾千代は、八千子が嫌いではなかった。だからといって、好きでもない。
その日。
背後に感じる八千子の視線に、誾千代は肩で息を吐く。
くるりと振り返ると、
「見ていて楽しいものではないでしょう?」
と声をかける。鍛錬をするからと断ったのだが、八千子は見学したいとついてきた。
稽古場の隅にちょこんと座り込みながら、家臣たちと手合わせする誾千代を見ていた八千子に、疎ましさを感じて言えば、八千子は首を傾げて、
「私でも、あれならば多少は使えるようになるでしょうか?」
と壁にかけられいる薙刀を指差す。
「八千子殿には不必要ですよ」
突き放すように誾千代が言えば、八千子が一瞬表情を強張らせたように見えた。
が、すぐにそれを緩ませ、
「そうかもしれませんね。でも、誾千代様や、他の戦場に出られる女性の話を聞くほどに、いつも私も剣術なりを身につけれていれば、人生も変わったのではないかと思っていたものですからつい・・・。稽古の邪魔をして申し訳ありません」
謝罪の後、にっこりと微笑む八千子に、誾千代は小さく頷き、くるりと踵を返す。
だから、気づかなかった。再度薙刀に視線を伸ばし、かすかな陰りを瞳に滲ませた八千子に、気づかなかった。
【戻る】【前】【次】
襖を隔てた隣室の主が、部屋に入った気配がした。かすかな足音が近づき、襖が開かれる。
誾千代、と宗茂の声がして、誾千代の瞼が強く閉じられる。
宗茂は、手にしている灯明皿の火を、さっと布団に横たわる誾千代の上を通過させる。
瞼裏が眩しさに、わずかに揺れた。
「やっぱり起きているのか」
宗茂は笑ったが、誾千代は答えない。無視する姿勢を示すかのように寝返りを打つ。
灯明皿の火が遠のいて、コトっと小さく音がした。枕辺の上あたりにそれは置かれた。
誾千代、と宗茂が呼びかけながら、上掛けの足元付近から手を入れ、ふくらはぎに触れてくる。瞬間、
「止めろ!」
弾かれたように、誾千代が上半身を起こし、両手で足を抱え込む。
不満が宗茂の眉に描かれている。なぜ、と視線で問いかけてくる。
「女を抱きたければ、八千子殿がいるだろう」
言ってから、まるで嫌味のようだと誾千代は後悔する。その後悔を取り繕うように、つとめて冷静に、
「見知らぬ地に来たばかりの八千子殿が頼れるのはお前だけだ。傍にいてやるのが筋だろう」
と言えば、それを受けた宗茂は溜息をひとつ。それから、薄く笑う。
宗茂の唇に笑いが浮かんでいたが、かすかな曲線を描いた眉の下の目に、笑いはなかった。
宗茂は、誾千代の横に座り込む。
「お前、女にもてるようだな」
「はっ?」
宗茂の唐突な言葉に、今度は誾千代の眉が歪む。
「お前のことを大層褒めていた」
「気を使っただけだろう」
「そうかもな」
もぞもぞと宗茂は、誾千代の床に入り込んでくる。何を、と慌てれば、
「何もしない。ただ寝るだけだ」
宗茂が手を伸ばして誾千代の頭に触れると、横になれとばかりに強く押してくる。その手を払いながら、誾千代は宗茂に背を向けて、横たわる。
背に宗茂の体温を感じる。
久しぶりに触れられた手は、相変わらず暖かくて大きかった。
誾千代はそっと自分の手を見つめる。刀たこのある手。女らしくない手。けれど、男でもない手。
隣でもう寝息が聞こえてきた。
のんきな男だ、と思いながら、その男が羨ましかった。子供のころから今までずっと。
立花家の跡取りとして、男のように育てられたが、年を重ね、体が成長するほどに現実は、自分は女で、女である卑下さを知らしめてきた。その重みに打ちのめされてきた。そして、幼馴染の宗茂への羨望と嫉妬に突き動かされ、反発するような態度になる。夫婦となってからもそれを繰り返しては、少しづつ慣れた。無念と嫉妬を心に焼き付けることに慣れた。
そして――。
誾千代は寝返りをうち、そっと宗茂へと向き直る。
きっと同じように慣れるのだろう。
先ほど自分に触れた宗茂の手が、八千子の頬に触れ、体に触れ、ふたりは。
嫉妬を感じている事実を、誾千代は受け止める。
嫉妬と不安と怒りを感じている。嫉妬すればするほどに所詮自分は、ただの女だと冷笑する。
けれど、きっとこれも慣れること。
嫉妬と不安と怒りを繰り返して、それに慣れていく。
誾千代は、そっと身を起こすと、灯ったままだった灯明皿の火を吹き消す。
「こんな風に・・・」
嫉妬も不安も怒りも、一瞬で消えてしまえばいいのに。
「誾千代さま、誾千代さま」
と八千子は、誾千代を訪ねてくる。人懐っこい小動物のようだ、と誾千代は思う。
父は将軍足利義昭の近臣だった矢島秀行で、母は公家の出だという。父の死後、父と親しかった細川藤孝に預けられ、宗茂が藤孝の息子である忠興と親しかった縁から、その側室となった。
名門に生まれ、父の死などはあったけれど、人を憎むことも、思いが及ばない口惜しさに悶えることも知らない人生は、こんなにも素直で明るく、無垢な優しい女を作り上げるのだろうか。
誾千代は、ことあるごとに訪ねてくる八千子を見て、そう思う。
八千子なりに、正室を側室が仲良くすることが、家の為に、宗茂の為になると思っているのだろう。
いそいそと誘ってくる八千子に、何も言わずにつきあう日もあれば、鍛錬がしたいからと、すげなく断る日もある。
誾千代は、八千子が嫌いではなかった。だからといって、好きでもない。
その日。
背後に感じる八千子の視線に、誾千代は肩で息を吐く。
くるりと振り返ると、
「見ていて楽しいものではないでしょう?」
と声をかける。鍛錬をするからと断ったのだが、八千子は見学したいとついてきた。
稽古場の隅にちょこんと座り込みながら、家臣たちと手合わせする誾千代を見ていた八千子に、疎ましさを感じて言えば、八千子は首を傾げて、
「私でも、あれならば多少は使えるようになるでしょうか?」
と壁にかけられいる薙刀を指差す。
「八千子殿には不必要ですよ」
突き放すように誾千代が言えば、八千子が一瞬表情を強張らせたように見えた。
が、すぐにそれを緩ませ、
「そうかもしれませんね。でも、誾千代様や、他の戦場に出られる女性の話を聞くほどに、いつも私も剣術なりを身につけれていれば、人生も変わったのではないかと思っていたものですからつい・・・。稽古の邪魔をして申し訳ありません」
謝罪の後、にっこりと微笑む八千子に、誾千代は小さく頷き、くるりと踵を返す。
だから、気づかなかった。再度薙刀に視線を伸ばし、かすかな陰りを瞳に滲ませた八千子に、気づかなかった。
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