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誾千代が、それを知ったのは、本丸に戻ってからだった。
奥へ入っていくと、なんだか妙に騒がしい。侍女が入ったり出たり。
そのひとりを捕まえてみると、
「八千子さまが、お倒れに」
あたふたしながらそう言う侍女の言葉に、誾千代は驚き、八千子の部屋の近くまで走って足を止めた。
京から八千子についてきた乳母がその部屋から出て来て、誾千代に気付いてハッとした顔をする。誾千代が眉をひそめたのと同時に、宗茂の声がした。
何を言っているのかは分からないが、確実に耳慣れた宗茂の声。八千子の笑い声。
一歩近づけば、ふたりが見えた。床で上半身起こしている八千子の後ろ姿に、宗茂の笑顔。
誾千代の眉が解ける。代わりに反射的にくるりとその光景に背を向けた。
その背に、誾千代さま、と呼びかけてくる声。
仕方なしに振り返れば、八千子の乳母の姿。視界の隅に宗茂と八千子がちらりと映る。
「誾千代さまもご心配して下さって」
にこりと唇の端に笑みを引っ掛けながら、瞼にたっぷりと同情が縁どられている。
どくん、と誾千代の心臓が音を立てる。が、乳母の視線をそっと瞬きで蹴散らして、
「平気・・・そうで安堵しました」
再度くるりと視界に入ってくるふたりの光景に背を向けて、やや足早に廊を歩き、自室へと戻ると、そのまま、部屋の真ん中で魂が抜けたように、ぐったりと座り込む。
それから、乳母のあの目を思い出す。
あの――・・・。
あの視線が意味するものは?
思い浮かぶのは、もしや八千子に子供が・・・?
その思いを胸に滲ませた時。
誾千代は、口惜しさに揺れた。宗茂に子供が?胸が震える。すべてが焦げるほどの嫉妬に震える。
宗茂の手が、八千子を抱きしめ、どのような言葉をかけて、睦みあい、慈しみ合い、そして、子供に恵まれ。
自分には叶わなかったこと。
努力だけでは乗り越えることが出来なかったこと。それを・・・。
そう思った瞬間、吐き気がするほどに誾千代は自分を憎悪した。
なんという女だろう。なんという人間だろう。
女であることを呪い、男である宗茂を羨み、夫の子供を孕んだ八千子に嫉妬する。
息を止め、拳を強く握り締めた。強く、強く。
けれど、唇から笑いが洩れた。ふふふっと妙な笑いがこみ上げてくる。胸の底が、焦げるような熱さに燻っているのに、どこからかそれに冷水をかけるような気持ちがこみあげてくる。
きっとこれも慣れていく。無念と嫉妬を心に焼き付けることに慣れたではないか。
今度は私が行く――と誾千代は強い意思を持って言った。
けれども、それを宗茂は笑った。お前らしいな、と笑った。笑いながら誾千代を真っ直ぐに見据えて、
「俺が行く」
と短く告げる。
秀吉による二度目の朝鮮出兵。一度目は宗茂が渡航している。
今度は自分が行くと誾千代が言えば、宗茂は笑いながら拒否する。それどころか、ごろりと横たわると、腹に力がこもっていない声で、
「珍しく寝所に呼ばれたかと思えば、そんなことか」
「そんなこと?!」
「お前が俺に構うのは珍しいと思っていたが・・・」
呑気そうな物言いの中に、チラリと皮肉な色を滲ませて宗茂が言う。
お前には八千子殿がいるだろう――喉元まで出かかった言葉を誾千代は飲み込む。
誾千代、と呼ばれる。横になっていた宗茂が、顔を上げて見つめてくる。上半身を起こす。見つめ合う。宗茂の顔が近づいてくる。唇を寄せてくる。受け入れる。宗茂の気に済むまで付き合う。唇が離れてまた見つめ合う。
宗茂の唇が、唇から首筋、そのまま胸へと辿ろうとする中、
「今度は私が渡航する」
再度言えば、宗茂の唇が動きを止める。
首筋に熱い息がかかる。宗茂の溜息だ。面倒だ、と宗茂が言う。
「あぁ、面倒だ。本当に面倒だ」
興が覚めたのか、吐き捨てるような声音。
部屋を出て行くかと思えば、再び溜息とともに横たわると、じっと天井を見据えている。
誾千代も同じものを見てみる。
同じものを見ているはずなのに、本当にそこに宗茂の視線はあるのだろうか。
誾千代は瞬きする。
「宗茂」
呼べば、視線を向けてくる。それを受け止めて唇を開いた途端、
「お前は近寄らせない。触れさせないな」
と言う。誾千代の眉が歪む。
「どういう意味だ?」
「言葉のままだ」
近寄らせない、触れさせない。宗茂の言葉を心の内で咀嚼する。
「それは違う」
「何が?」
「お前が私の先を行っているだけだ」
「誾千代?」
だから、近寄らせない、触らせない、のではない。
お前が先を行っているからだ。近寄れない、触れられないのはこっちだ。
誾千代は、横たわる宗茂に覆い被ると、唇を重ねる。
「近寄りたいのなら近寄ればいい。触りたいのなら触ればいい」
宗茂の右手を取って、そっと自分の胸に押し当てる。
そういう意味ではないが、と宗茂は苦笑しつつ、誾千代の頭に左手で触れ、ぐっと押し寄せると、体制を入れ替えて、誾千代を組み敷く。
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奥へ入っていくと、なんだか妙に騒がしい。侍女が入ったり出たり。
そのひとりを捕まえてみると、
「八千子さまが、お倒れに」
あたふたしながらそう言う侍女の言葉に、誾千代は驚き、八千子の部屋の近くまで走って足を止めた。
京から八千子についてきた乳母がその部屋から出て来て、誾千代に気付いてハッとした顔をする。誾千代が眉をひそめたのと同時に、宗茂の声がした。
何を言っているのかは分からないが、確実に耳慣れた宗茂の声。八千子の笑い声。
一歩近づけば、ふたりが見えた。床で上半身起こしている八千子の後ろ姿に、宗茂の笑顔。
誾千代の眉が解ける。代わりに反射的にくるりとその光景に背を向けた。
その背に、誾千代さま、と呼びかけてくる声。
仕方なしに振り返れば、八千子の乳母の姿。視界の隅に宗茂と八千子がちらりと映る。
「誾千代さまもご心配して下さって」
にこりと唇の端に笑みを引っ掛けながら、瞼にたっぷりと同情が縁どられている。
どくん、と誾千代の心臓が音を立てる。が、乳母の視線をそっと瞬きで蹴散らして、
「平気・・・そうで安堵しました」
再度くるりと視界に入ってくるふたりの光景に背を向けて、やや足早に廊を歩き、自室へと戻ると、そのまま、部屋の真ん中で魂が抜けたように、ぐったりと座り込む。
それから、乳母のあの目を思い出す。
あの――・・・。
あの視線が意味するものは?
思い浮かぶのは、もしや八千子に子供が・・・?
その思いを胸に滲ませた時。
誾千代は、口惜しさに揺れた。宗茂に子供が?胸が震える。すべてが焦げるほどの嫉妬に震える。
宗茂の手が、八千子を抱きしめ、どのような言葉をかけて、睦みあい、慈しみ合い、そして、子供に恵まれ。
自分には叶わなかったこと。
努力だけでは乗り越えることが出来なかったこと。それを・・・。
そう思った瞬間、吐き気がするほどに誾千代は自分を憎悪した。
なんという女だろう。なんという人間だろう。
女であることを呪い、男である宗茂を羨み、夫の子供を孕んだ八千子に嫉妬する。
息を止め、拳を強く握り締めた。強く、強く。
けれど、唇から笑いが洩れた。ふふふっと妙な笑いがこみ上げてくる。胸の底が、焦げるような熱さに燻っているのに、どこからかそれに冷水をかけるような気持ちがこみあげてくる。
きっとこれも慣れていく。無念と嫉妬を心に焼き付けることに慣れたではないか。
今度は私が行く――と誾千代は強い意思を持って言った。
けれども、それを宗茂は笑った。お前らしいな、と笑った。笑いながら誾千代を真っ直ぐに見据えて、
「俺が行く」
と短く告げる。
秀吉による二度目の朝鮮出兵。一度目は宗茂が渡航している。
今度は自分が行くと誾千代が言えば、宗茂は笑いながら拒否する。それどころか、ごろりと横たわると、腹に力がこもっていない声で、
「珍しく寝所に呼ばれたかと思えば、そんなことか」
「そんなこと?!」
「お前が俺に構うのは珍しいと思っていたが・・・」
呑気そうな物言いの中に、チラリと皮肉な色を滲ませて宗茂が言う。
お前には八千子殿がいるだろう――喉元まで出かかった言葉を誾千代は飲み込む。
誾千代、と呼ばれる。横になっていた宗茂が、顔を上げて見つめてくる。上半身を起こす。見つめ合う。宗茂の顔が近づいてくる。唇を寄せてくる。受け入れる。宗茂の気に済むまで付き合う。唇が離れてまた見つめ合う。
宗茂の唇が、唇から首筋、そのまま胸へと辿ろうとする中、
「今度は私が渡航する」
再度言えば、宗茂の唇が動きを止める。
首筋に熱い息がかかる。宗茂の溜息だ。面倒だ、と宗茂が言う。
「あぁ、面倒だ。本当に面倒だ」
興が覚めたのか、吐き捨てるような声音。
部屋を出て行くかと思えば、再び溜息とともに横たわると、じっと天井を見据えている。
誾千代も同じものを見てみる。
同じものを見ているはずなのに、本当にそこに宗茂の視線はあるのだろうか。
誾千代は瞬きする。
「宗茂」
呼べば、視線を向けてくる。それを受け止めて唇を開いた途端、
「お前は近寄らせない。触れさせないな」
と言う。誾千代の眉が歪む。
「どういう意味だ?」
「言葉のままだ」
近寄らせない、触れさせない。宗茂の言葉を心の内で咀嚼する。
「それは違う」
「何が?」
「お前が私の先を行っているだけだ」
「誾千代?」
だから、近寄らせない、触らせない、のではない。
お前が先を行っているからだ。近寄れない、触れられないのはこっちだ。
誾千代は、横たわる宗茂に覆い被ると、唇を重ねる。
「近寄りたいのなら近寄ればいい。触りたいのなら触ればいい」
宗茂の右手を取って、そっと自分の胸に押し当てる。
そういう意味ではないが、と宗茂は苦笑しつつ、誾千代の頭に左手で触れ、ぐっと押し寄せると、体制を入れ替えて、誾千代を組み敷く。
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