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足元を舐めるように打ち寄せる波を、誾千代は見つめた。
波の泡のひとつひとつにぼんやりと目を向ける。
海は、もうすっかり沈みかけている陽の光を吸って輝いている。
ふいに顔を上げて、波がきらめくのを見た。
海には味方の水軍の船がある。人影は見えない。ぽつりと灯った火が見えるだけ。
その時、背後に人の気配を感じた。
振り返らずにも分かる。宗茂だと。
隣に立った宗茂と視線を合わせない。
ふたりとも視線を合わせず、ただ、波がきらめくのを見た。
どれほどの時が経ったことか。
「石田殿から海にいるだろうと言われて来た」
宗茂が言うので、そうか、と誾千代は答えると、するりと視線を宗茂へと滑らせる。
「分からないのだ」
誾千代が言った。誾千代の言葉に、宗茂は彼女の横顔を見つめる。
「分からないとは?」
「夫婦というものが」
ただ子供を作り、育て、立花家を支え存続させていく。それは分かる。
「けれど、お前が私に望んでいるのはそれだけではないだろう?」
ゆっくりと誾千代が宗茂を見る。視線が交差し、見詰め合う。
「――そうだな」
宗茂が欲しいのは誾千代の心。
誾千代はそれを分かってくれているということを宗茂は初めて知った。
「それは私も一緒だ。だからこそ、分からない」
心という目に見えず、もどかしいものをどう扱い、伝えるべきなのか分からない。
そう言う誾千代に、宗茂はそっと近づく。
「俺と結婚したのは諦めか?」
誾千代は首を振る。
「俺のことが嫌か?」
また誾千代は首を振る。それを見て宗茂は満足気に目を細める。
「俺は、それだけ分かればいいさ」
のんびりとした口調でそう言う宗茂を、誾千代は見上げる。
そんな誾千代をからかうように、
「お前の目は口ほどに物を言うからな。分かりやすくていい」
「何をっ!」
「ほら、そういうところが」
ハハッと笑われ、誾千代はぐっと唇を閉ざして、ただ宗茂を睨みつける。
「明日から築城の着工が始まるそうだ」
「そうか」
「それから、石田殿は忍城攻めを命じられているから、着工には立ち合わず、そっちに向かうらしい」
「忙しい奴だな」
「それだけ信頼が厚いということだろう。豊臣政権を担う人物になるだろう」
「敵もより多くなりそうだな」
「なら、俺らが味方になればいいだけのこと」
「――そうだな」
誾千代は、潮風に揺れる髪をおさえながら、足元を寄せる波に視線を落とした。
「もう暗くなる」
すっ・・・と宗茂が手を差し伸べてくる。
それを一瞬のためらいの後に掴むと、伝わってくるぬくもりが手から胸中へとじんわりと温かさが広がる。
戻ろう、という宗茂に、待ってくれ、と言うと片手で握っていた虞美人草を、ふわりと海に投げる。
「いいのか?」
「いいんだ。海を見たがっていたそうだから」
誰が、とか宗茂は問わない。
ぎゅっと握り返してきた誾千代の手を同じぐらいの強さで握り返す。
ふたりで波に揺れる花を見つめた。
引いては寄せる波に、ゆらゆらと漂っていた虞美人草だが、いつしかその姿が消えた。
「項羽は虞美人を死なせてしまったが――」
俺はそんなことさせない、と唐突に宗茂がそんなことを言う。
「項羽の傍には戦場であれいつも虞美人の姿があったそうだが、私は彼女のように守られるだけの女ではない」
「そうだったな。お前が強い女だ」
だけど、すべてをひとりで背負い込むことはない。
「その為に俺がいるんだから」
「宗茂・・・」
今こうして息づいている恋を誾千代は感じた。
今こうして傍にいる。
それが本当はとても大切でかけがいのないことなのだろう。
波に揺らめいて消えた虞美人草を脳裏で思い返す。
人の思いもああしてきっとゆらゆら揺らめき続けるのだろう。
けれど、変わらず海は存在する。
ゆらゆらと揺らめいて消えるものもあれば、そうでないものもある。
<終わり>
【戻る】【前】
波の泡のひとつひとつにぼんやりと目を向ける。
海は、もうすっかり沈みかけている陽の光を吸って輝いている。
ふいに顔を上げて、波がきらめくのを見た。
海には味方の水軍の船がある。人影は見えない。ぽつりと灯った火が見えるだけ。
その時、背後に人の気配を感じた。
振り返らずにも分かる。宗茂だと。
隣に立った宗茂と視線を合わせない。
ふたりとも視線を合わせず、ただ、波がきらめくのを見た。
どれほどの時が経ったことか。
「石田殿から海にいるだろうと言われて来た」
宗茂が言うので、そうか、と誾千代は答えると、するりと視線を宗茂へと滑らせる。
「分からないのだ」
誾千代が言った。誾千代の言葉に、宗茂は彼女の横顔を見つめる。
「分からないとは?」
「夫婦というものが」
ただ子供を作り、育て、立花家を支え存続させていく。それは分かる。
「けれど、お前が私に望んでいるのはそれだけではないだろう?」
ゆっくりと誾千代が宗茂を見る。視線が交差し、見詰め合う。
「――そうだな」
宗茂が欲しいのは誾千代の心。
誾千代はそれを分かってくれているということを宗茂は初めて知った。
「それは私も一緒だ。だからこそ、分からない」
心という目に見えず、もどかしいものをどう扱い、伝えるべきなのか分からない。
そう言う誾千代に、宗茂はそっと近づく。
「俺と結婚したのは諦めか?」
誾千代は首を振る。
「俺のことが嫌か?」
また誾千代は首を振る。それを見て宗茂は満足気に目を細める。
「俺は、それだけ分かればいいさ」
のんびりとした口調でそう言う宗茂を、誾千代は見上げる。
そんな誾千代をからかうように、
「お前の目は口ほどに物を言うからな。分かりやすくていい」
「何をっ!」
「ほら、そういうところが」
ハハッと笑われ、誾千代はぐっと唇を閉ざして、ただ宗茂を睨みつける。
「明日から築城の着工が始まるそうだ」
「そうか」
「それから、石田殿は忍城攻めを命じられているから、着工には立ち合わず、そっちに向かうらしい」
「忙しい奴だな」
「それだけ信頼が厚いということだろう。豊臣政権を担う人物になるだろう」
「敵もより多くなりそうだな」
「なら、俺らが味方になればいいだけのこと」
「――そうだな」
誾千代は、潮風に揺れる髪をおさえながら、足元を寄せる波に視線を落とした。
「もう暗くなる」
すっ・・・と宗茂が手を差し伸べてくる。
それを一瞬のためらいの後に掴むと、伝わってくるぬくもりが手から胸中へとじんわりと温かさが広がる。
戻ろう、という宗茂に、待ってくれ、と言うと片手で握っていた虞美人草を、ふわりと海に投げる。
「いいのか?」
「いいんだ。海を見たがっていたそうだから」
誰が、とか宗茂は問わない。
ぎゅっと握り返してきた誾千代の手を同じぐらいの強さで握り返す。
ふたりで波に揺れる花を見つめた。
引いては寄せる波に、ゆらゆらと漂っていた虞美人草だが、いつしかその姿が消えた。
「項羽は虞美人を死なせてしまったが――」
俺はそんなことさせない、と唐突に宗茂がそんなことを言う。
「項羽の傍には戦場であれいつも虞美人の姿があったそうだが、私は彼女のように守られるだけの女ではない」
「そうだったな。お前が強い女だ」
だけど、すべてをひとりで背負い込むことはない。
「その為に俺がいるんだから」
「宗茂・・・」
今こうして息づいている恋を誾千代は感じた。
今こうして傍にいる。
それが本当はとても大切でかけがいのないことなのだろう。
波に揺らめいて消えた虞美人草を脳裏で思い返す。
人の思いもああしてきっとゆらゆら揺らめき続けるのだろう。
けれど、変わらず海は存在する。
ゆらゆらと揺らめいて消えるものもあれば、そうでないものもある。
<終わり>
【戻る】【前】
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