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今だ秀吉に掴まれた感触が肩に残っている―ような気がする。
誾千代は、その肩を抑えながら、川を眺める。
川の流れは規則正しく、この混沌とした世の動きなど知らずに静かだ。
気付けば季節は秋を迎えようとしている。寂しく、けれどもきっぱりと乾いた空気を揺らしてかけてゆく。
誾千代は、ぼんやりと一面を橙色に染め上げる、あざやかな秋の夕焼けを見つめていた。その夕焼けの中を鳥が舞う。
宗茂が、朝鮮から持ってきたというカササギ。
秀吉の亡き後。
秀吉が築きあげてきた政権は、背骨が砕けたかのように、脆く落ちようとしている。
再び、世が乱れ始めている。
秀吉が、心配したのはこのことなのか――。
幼い息子を擁立したところで、豊臣政権は保てない。
そう分かっていたのだろう。
多くの武将たちが挑戦征伐で打撃を受けたが、徳川家康は違った。
豊臣家の大老として後事を託されていた家康の威望は強力なものとなってきた。
その家康が、今まさに立ち上がった。
昨日のことだ。
石田三成から書状が届いた。
家康側の京極高次が守る大津城を攻めるというのだ。
そして、宗茂が攻撃軍に選ばれた。
誾千代は――徳川に勝算があると思った。
朝鮮にわたることのなかった徳川は、兵力を温存している。
だから、徳川につくが吉と思った――はずなのに。
そう思えば、肩が痛む。
あの掴まれた感触が生々しく蘇ってくる。
裏切るな、と秀吉の声が聞こえてくるかのようでゾッとする。
宗茂が、豊臣を裏切るとは思えない。
評定でも意見が別れた。
がやがやと勝手に広まる家臣たちの声を、宗茂は意見が自由に上がるのをまかせ、それらのいちいちに視線を放ち、慎重に耳に入れているようだ。
家臣たちの意見は、勝算は少なくとも豊臣にかけるというものが多い。
立花が一陪臣から、大名になったのは大友宗麟の声掛けがあったものの秀吉のおかげ。家臣たちも忠義に固い者ばかりだ。
誾千代が唇を開く前に宗茂が言った。
「誾千代、お前は好きにしろ―」
宗茂の声が蘇ってきて、虚無感にぼんやりと川を眺めていると。
「世が変わるな」
その声に、誾千代ははっと顔を上げ、ちらりと脇を見れば宗茂の姿があった。
誾千代が言えば、
「怖いのか?死が」
宗茂が問いかける。その声音はとても穏やかでまるで何でもないことのようだ。
だから、つい誾千代の中に反発心が生じる。
「本望だ!立花の誇りを示せるのならば」
それを受けて、宗茂はあくまで冷静に、
「餓鬼だな。死を誇るな。生きろ。俺は死なない。」
「いや、死ぬな。お前がいつも私の先を行く」
どうかな、と宗茂は軽く笑う。
けれど、その瞳は水のように澄んだ、おだやかな視線なのだ。
「俺はいつもお前の上を行く」
誾千代は一瞬、睫を伏せて、けれども強い瞳で宗茂を見た。
「さらばだ」
「あぁ」
行きかけて、宗茂は振り返らなかったが、立ち止まる。
「カササギのつがいの関係は生涯続くそうだ。片方が死ねば、もう片方も死ぬことすらあるらしい」
「鳥とは脆い生き物なのだな」
「そう言うと思った」
宗茂がふっと笑ったのが分かった。
「けれど、脆いのは人間の方かもしれないぞ。鳥以上に複雑で面倒な感情を抱えているからな」
「――・・・」
「肉体だけは生きていても、心は死ぬことだってある。それが生といえるか?」
誾千代は、黙り込んだだけで特に何も答えはしなかった。
宗茂もそれ以上は、何も言わない。再び歩を進めた。
徐々に遠ざかる宗茂の足音を聞きながら、誾千代はカササギを見つめた。
「夫が死ねば、妻も死ぬ――鳥はいいな」
誾千代はぽつりと呟きを落とす。
人間は――残された者は―、残された想い。残された人々、残された悲しみ。
それらはどうなるのだろうか。
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