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「腹を切らせます」
細川忠興の言葉に、信之はゆったりと瞬きをして、かすかに頷いたように見えた。
講和が結ばれてからしばらくして、江戸に置かれていた忠興が見舞いに来た。
だいぶ回復していた信之は、忠興の訪問を受け入れ、稲も遠ざけてふたり。
ずっと行方知れずになっていた次男が、大坂方にいた忠興は、似た境遇の誰かに愚痴りたいのだろうと信之は思う。
忠興は、長男を廃嫡にしている。
流れからいけば次男の興秋が跡取りだが、そうはしなかった。
興秋が忠興の弟の養子として一度家を出た身。健康上にも問題があったこと、また、江戸で人質として暮らし徳川に近かった三男の忠政がいたので、跡取りを忠政とした。その忠政の代わりに江戸へ人質となって向かう途中、跡取りとして選ばれなかったことへの憤りから出奔して行方知れず。
「講和は長くは続かない。再び戦が起き、まだおめおめと生きているようなら、腹を切らせます」
激情しやすい性格だというが、忠興は決断力と行動力に溢れている。
決して人当たりが良いとはいえないかもしれないが、それ故に世辞や煽てなども、その本質を見抜く力がある人だと信之が思ったその時。
てっきりあやつの母と共にあるものだと思っていた――と忠興が言う。
信之の眉がぴくりと動いたが、けれど次の瞬間にはもうそれを鎮め、瞼を伏せてふっと笑ったが、何も言わない。
忠興もそれに関しては何も言うつもりはないらしく、かすかに笑った後。
真田家は?――視線で問いかけてくる。
それに信之は、唇に薄い笑みを浮かべて、静かに忠興を見据える。
「我が弟は、おそらく死を望んでいる。生を求めていない。死を誇る時代はもう一昔前のこと。けれど、その中でしか生きれない人間もいる」
奇妙なまでに静かな瞳で言う。
それなのに、どうしてだろう。その瞳の奥底に、強い灯火のようなものが見え隠れすると忠興が、それを探るように覗き込めば、
「私は可能なら、私の手で弟を殺したい」
「貴方に殺せるのですか?」
「弟に勝てるつもりか――と問われれば実力では叶わない。けれど、死ねといえば幸村は、死を受け入れる」
忠興は瞳をちらりと動かしたが、何も言わない。
忠興は、実力云々ではなく、ただ単純に大切な弟を自分で信之が殺せるとは思えずに尋ねたまで。
信之もそれを分かっている。分かっていて、そう答えた。それから、クククッと信之の唇で笑いが跳ねた。けれど、それもすぐに乾いて崩れていく。
信之は、乾いて崩れ消えた笑いに、未練などない顔で、
「私の手で弟を殺したい」
ニッと笑ってみせる。
空洞だ――信政は思う。心のうちに空洞を抱えている。
自分と決して目を合わせようとしなくなった叔父と兄が談笑するのを見ながら思う。
真っ直ぐな瞳で人を見るのに、その眼差しは強いのに、中身がない。空洞。
もっと奔放に生きればいい。そうすれば楽だろう。
この期に及んで、何を躊躇っているのだろう。
父――信之へ迷惑をかけたことへの躊躇いなら捨てればいい。
綺麗さっぱり捨て去って、開き直ればいい。
そうしてくれれば、互いに楽になれるのに、と心のうちで溜息を落とす。
自分がここにいても仕方がない。
無言のまま、すっ・・・とその場を離れていく。
そんな信政の背に視線を幸村は流す。去っていく甥の背を愛しそうに眺める。
それにふっ・・・と信吉は微笑む。
「信政は父の若い頃に似ていますか?先日も・・・、直江兼続さまに似ているといわれました」
「兼続殿が?」
ふわりと懐かし気に瞳を揺らめかせるので、
「関ヶ原の頃のことがしこりとなって残っている様子でした。なので、直江様の義は上杉家にあるのですから、叔父上は気にしていないだろうと伝えました。よろしいですね?」
幸村が頷けば、信吉は頬をにやっと揺らして、
「けれど、私たちの言葉を受け止めかねる直江さまに弟は、謝りたいのか謝って何になるのかと詰め寄るので制したのですが、それが直江様には嬉しかったようです。誰かに責められなかったと・・・」
「――・・・顔は、兄上に似ているが、性格は」
「母上似ですかね?私が言いにくいことをはっきりと言ってくれるので有難くもあります」
ふっと幸村が頬を揺らす。それがこの兄弟の役割分担か、と思ったのだ。
先ほど見せた兄を守るような視線。あぁ、兄夫婦は良い兄弟を育てた。それが羨ましくもある。
「末の妹のまさが一番顔も性格も父に似ているかもしれませんね」
「姪達には会えないな」
「私は、従兄弟殿に会いたいです。似ているとよく言われますので」
「性格は似ていない。そうだな、あとはまだあいつは声が高い」
幼児の姿しか記憶になかった甥たちが、立派になっている姿に、幸村は改めて息が詰まる思いがした。
大助は――。
大助は声変わりをし、大人になるまでは生きられない。
若さゆえに生き急ぎすぎた息子を思えば、幸村はどうしようもない焦燥感に襲われる。
「兄上に――」
兄上に会いたい、懇願するように幸村は声を震わせる。
それを信吉は、静かに頷いて受け止める。
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細川忠興の言葉に、信之はゆったりと瞬きをして、かすかに頷いたように見えた。
講和が結ばれてからしばらくして、江戸に置かれていた忠興が見舞いに来た。
だいぶ回復していた信之は、忠興の訪問を受け入れ、稲も遠ざけてふたり。
ずっと行方知れずになっていた次男が、大坂方にいた忠興は、似た境遇の誰かに愚痴りたいのだろうと信之は思う。
忠興は、長男を廃嫡にしている。
流れからいけば次男の興秋が跡取りだが、そうはしなかった。
興秋が忠興の弟の養子として一度家を出た身。健康上にも問題があったこと、また、江戸で人質として暮らし徳川に近かった三男の忠政がいたので、跡取りを忠政とした。その忠政の代わりに江戸へ人質となって向かう途中、跡取りとして選ばれなかったことへの憤りから出奔して行方知れず。
「講和は長くは続かない。再び戦が起き、まだおめおめと生きているようなら、腹を切らせます」
激情しやすい性格だというが、忠興は決断力と行動力に溢れている。
決して人当たりが良いとはいえないかもしれないが、それ故に世辞や煽てなども、その本質を見抜く力がある人だと信之が思ったその時。
てっきりあやつの母と共にあるものだと思っていた――と忠興が言う。
信之の眉がぴくりと動いたが、けれど次の瞬間にはもうそれを鎮め、瞼を伏せてふっと笑ったが、何も言わない。
忠興もそれに関しては何も言うつもりはないらしく、かすかに笑った後。
真田家は?――視線で問いかけてくる。
それに信之は、唇に薄い笑みを浮かべて、静かに忠興を見据える。
「我が弟は、おそらく死を望んでいる。生を求めていない。死を誇る時代はもう一昔前のこと。けれど、その中でしか生きれない人間もいる」
奇妙なまでに静かな瞳で言う。
それなのに、どうしてだろう。その瞳の奥底に、強い灯火のようなものが見え隠れすると忠興が、それを探るように覗き込めば、
「私は可能なら、私の手で弟を殺したい」
「貴方に殺せるのですか?」
「弟に勝てるつもりか――と問われれば実力では叶わない。けれど、死ねといえば幸村は、死を受け入れる」
忠興は瞳をちらりと動かしたが、何も言わない。
忠興は、実力云々ではなく、ただ単純に大切な弟を自分で信之が殺せるとは思えずに尋ねたまで。
信之もそれを分かっている。分かっていて、そう答えた。それから、クククッと信之の唇で笑いが跳ねた。けれど、それもすぐに乾いて崩れていく。
信之は、乾いて崩れ消えた笑いに、未練などない顔で、
「私の手で弟を殺したい」
ニッと笑ってみせる。
空洞だ――信政は思う。心のうちに空洞を抱えている。
自分と決して目を合わせようとしなくなった叔父と兄が談笑するのを見ながら思う。
真っ直ぐな瞳で人を見るのに、その眼差しは強いのに、中身がない。空洞。
もっと奔放に生きればいい。そうすれば楽だろう。
この期に及んで、何を躊躇っているのだろう。
父――信之へ迷惑をかけたことへの躊躇いなら捨てればいい。
綺麗さっぱり捨て去って、開き直ればいい。
そうしてくれれば、互いに楽になれるのに、と心のうちで溜息を落とす。
自分がここにいても仕方がない。
無言のまま、すっ・・・とその場を離れていく。
そんな信政の背に視線を幸村は流す。去っていく甥の背を愛しそうに眺める。
それにふっ・・・と信吉は微笑む。
「信政は父の若い頃に似ていますか?先日も・・・、直江兼続さまに似ているといわれました」
「兼続殿が?」
ふわりと懐かし気に瞳を揺らめかせるので、
「関ヶ原の頃のことがしこりとなって残っている様子でした。なので、直江様の義は上杉家にあるのですから、叔父上は気にしていないだろうと伝えました。よろしいですね?」
幸村が頷けば、信吉は頬をにやっと揺らして、
「けれど、私たちの言葉を受け止めかねる直江さまに弟は、謝りたいのか謝って何になるのかと詰め寄るので制したのですが、それが直江様には嬉しかったようです。誰かに責められなかったと・・・」
「――・・・顔は、兄上に似ているが、性格は」
「母上似ですかね?私が言いにくいことをはっきりと言ってくれるので有難くもあります」
ふっと幸村が頬を揺らす。それがこの兄弟の役割分担か、と思ったのだ。
先ほど見せた兄を守るような視線。あぁ、兄夫婦は良い兄弟を育てた。それが羨ましくもある。
「末の妹のまさが一番顔も性格も父に似ているかもしれませんね」
「姪達には会えないな」
「私は、従兄弟殿に会いたいです。似ているとよく言われますので」
「性格は似ていない。そうだな、あとはまだあいつは声が高い」
幼児の姿しか記憶になかった甥たちが、立派になっている姿に、幸村は改めて息が詰まる思いがした。
大助は――。
大助は声変わりをし、大人になるまでは生きられない。
若さゆえに生き急ぎすぎた息子を思えば、幸村はどうしようもない焦燥感に襲われる。
「兄上に――」
兄上に会いたい、懇願するように幸村は声を震わせる。
それを信吉は、静かに頷いて受け止める。
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