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2024/11
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袱紗をさばく信之の指は、しなやかで優雅だ。
茶会に誘えば、立花殿のように茶道にたけていないので、などとやんわり断り続けていた信之だが、かなりできるではないか、と宗茂は思った。
確かに友人であり同席している利休七哲のひとり細川忠興などに比べれば拙いが、それは仕方がないこと。
亭主は宗茂、正客が信之、次客に忠興。
何事もなく進み、後炭の頃。宗茂が炭に再度火を灯すのを見て、

「おふたりを前にして申し上げるのも何ですが、私は茶席が苦手でして」

そう言ったのは信之。
燃える炭が静かに音をたてる。その音に溶け込むような低い声。

「密室で政治的な話を持ち出されると逃げ道がなく困る」
「そういう側面は確かにありますね」

宗茂も笑いながら同意する。

「逆に考えれば、情報が仕入れやすい。真田家は・・・」

微妙な立場をしているのだから、と忠興が言葉尻に滲ませて言えば、信之はふわりと苦笑を滲ませながら、ゆったりと頷くと、

「ですから、こうして出てきたのです」

宗茂と忠興は顔を見合わせる。

「政治の込み入った話に巻き込まれるのを避けていた私から話を持ちかけるようになろうとは」

独り言のような言葉を紡ぎ、ふっと信之の唇の端が笑った。

「大坂の豊臣と徳川に再度争いが起きようとしている今、再度、弟の赦免を申し出るつもりでいます。お二方にもお言葉を添えていただけたらと・・・」

静けさを感じさせる瞳で、そんなことを言う。
宗茂は、信之の瞳の静けさを見つめた。少しの揺らぎもなく、まるで凍結しているかのようだ。

大坂の豊臣秀頼は、家康と対面をした。
家康は、すでに秀忠に将軍職を譲り、天下は徳川が世襲で治めるものであることを宣言している。が、秀吉恩顧の者も多く、ひそかに豊臣の行く末を案している現状。
対面後、豊臣を残すべきではない。家康はそう判断したのか。
本気で豊臣つぶしに取り掛かった。
巧妙な家康の手口に、豊臣家は翻弄されている。

――あれは太閤の子供ではない。残しておく必要などない家だ。

隠居先の駿府城に呼び出された際、家康が吐き捨てるように言った。
それを信之は思い出しながら、

「再び戦が起き、幸村が大坂方につくのは徳川にも打撃になる。その前に、幸村をこちら側に引き入れておきたいのです。大御所さまは内々には承諾して下さっているのですが、上様は・・・」
「それは存じております」

宗茂が言う。
信之自身には何も遺恨はなくとも、関ヶ原の遅参の原因となった昌幸と幸村は、許しがたいらしい。
秀忠に聞いた話だと、信之本人は父である昌幸は信用できないと説いていたという。その時の信之は、いつもと全く違う人物のようで怖かったとも。
そう言われても宗茂には想像が出来ない。
幸村が守る戸石城攻めも自ら志願したらしい。
自分がいけば、幸村は城を開け渡すが、他の者では全滅の可能性すらある。援軍を送っても同じこと。兵力の温存の為に自分に行かせてくれと申し出たというのだ。
その後も、上田には抑えの兵だけ置き、西へ向かえといわれたのに、意地になった結果と天候の崩れによって遅参。
信之の言うことを聞いておけば、と後悔している。

「幸村殿と本当に仲がよろしいですね」

忠興が多々皮肉気に言えば、

「異常なぐらいですか?」

とにこりと信之は受け止めて、忠興の皮肉など流してしまう。

「私に弟は幸村だけではありませんが、幸村だけは特別でして」
「同母腹でともに育ってきたのなら仕方のないこと」

宗茂の言葉に、信之が首を振る。

「幸村とも同母腹ではありません」
「えっ?」
「よくある話ですよ」

ふたりの驚きをまるで楽しむかのように、信之は笑う。

「それに本当は幸村が兄で、私が弟なのです」

私が正室の子で、幸村が側室の子。
幸村の生母は、産後すぐに死んだらしく、私の母が幸村を引き取った後、私が生まれ、年子であった為に、産まれ順を入れ替えた。
幼少期の私は体も小さく弱く寝込んでばかりいましたが、幸村は健康で本当に何でも良く出来た。おかげで私は劣等感の塊でした。
私が事情を知ったのは、父が真田家の家督を継ぐことになってすぐのこと。
家臣たちの噂話が偶然耳に入りまして、真実を知りました。
頼りない私よりも幸村を嫡男にすべきだと父に言いましたが、聞き入れられなかった。
幸村は私を慕っているというよりは、頼りないのに兄、そして嫡男という役割と押し付けられた私を、支え守ろうとしてくれていただけのこと。
我々は兄、弟という役割を演じていたのです。
私は、今自分が手にしているものすべてが本当は――。

「幸村のものではないだろうかと思えて仕方がない」

信之は、自らの両手をふわりと開くと哀しげに瞳を揺らめかして、それを見る。
宗茂もその手を見れば、生々しい傷跡に気付いた。
武人というにはひ弱な印象の信之だが、やはり乱世を生きた者なのだ。

ふと信之が、炭に視線を下げる。
風炉の釜の湯は十分に沸き立っている。

「三成殿のこともありますので――」

ちらりと三成と仲が悪かった忠興を、信之は一瞥する。
それに愉快そうに眉をひそめる忠興を、くくっと笑った後。

「正直、幸村が徳川に従いたいと思っているとは思えないのですが、どうも話を聞く限り甥は自尊心が強く、外に出たがっている。裏表比興の者と云われた我が父に似た気性のようでして、心配なのです。若さ故に――」
「豊臣に?」

宗茂の言葉に、信之が頷く。

「罪人として紀伊の浅野家に監視はされておりますが、五十石ばかり与えて貰ってもおり、ある程度の自由さえ与えられている。実際にどのような状況、環境におかれているのか見たことがないので分かりかねますが、抜け出すのは・・・可能かと」
「お宅には草の者も多いから手を貸す者も出てくる?」

忠興の言葉に、信之は静かに頷く。
宗茂は、なぜ忠興がそんなことを知っているのだろうと思った。

「今は一応私の配下としておりますが、大坂屋敷においているくのいちという者が、おそらく手を貸すかと。彼女の主はあくまで幸村ひとりですが、その子となれば」

遠いものの輪郭を捉えるような遠い目をした信之だったが、

「何より、我が父に似た気性というのが嫌な気がして仕方がないのです。以前からせめて子供たちだけでも私の手元に引き取りたいとも思っていたのですが、流謫生活の慰めである子供たちと引き離すのも不憫に思えまして出来なかった」

瞬きをひとつした後の眼差しは、ただただ真っ直ぐに前だけを見ている。
その時、半東を任せている宗茂の家臣がちらりと見えた。
後炭でもう湯が沸いた頃なので、干菓子の準備をと思ったのだろう。
宗茂は、干菓子器を受け取り、器を正客である信之の前におき、懐紙を取り出した信之がそれを取ると、忠興へと送る。
宗茂は柄杓を手にして、茶筅通しをし、合を釜の口の向こうにのせる。
茶室に再び静寂が広がる。
宗茂は棗を袱紗で拭った後、茶杓を膝の上で拭い、ちらりと信之を見ながら置き、茶筅と茶巾を茶碗から取り出す。
茶碗に湯を注ぎ、茶筅通しのさらさらという音がやけに響く。
ふっと宗茂が唇で笑いながら茶筅を置く。

「なんでしょう、今更緊張してきました」

そう言いながら建水に湯を捨て、茶布で茶碗を拭う。

「私も関ヶ原では西軍。戦が起きれば、寝返らないか疑われると思うのですが」
「それは承知しております」

けれど、寝返りはしないでしょう――と信之が微笑む。
その微笑みの裏に、あれだけのことをしてあげたのですから裏切るなんてことはないでしょう、と脅しが感じられるようで宗茂は、苦笑するしかない。

「大御所さまも心配してましたが、ないでしょうとは申しました。まぁ、確認程度はされるでしょうね」
「大御所さまとはよくお会いになるのですか?」
「たまに。あの頃を知っている者も減りましたので、昔話につき合わされてます」
「あの頃か・・・、関ヶ原の本戦に参加したかったなぁ・・・」

懐かし気にぽつり宗茂が言えば、

「俺、本戦にいたんだけど――」
「?知ってるよ」

不機嫌そうに忠興が言う意味が分からないらしい宗茂を、くくっと信之が低く笑う。
なぜ笑われるのか不思議そうに信之を見てくる宗茂に、

「誾千代殿は苦労なさっているでしょうね」
「?確かに苦労はかけましたが――」
「そういう意味じゃないと思うが」
「?」

信之と忠興は、顔を合わせて苦笑する。

「しかし、立花殿は好戦的な方だ。私などは間に合わなくてほっとしたぐらいですよ」
「私は、あの関ヶ原に真田家がいたらどうなっただろうとも思います」
「貴公と幸村がいれば――」

信之は、ちらりと忠興を見てから、

「変わったかもしれませんね」
「いなくて本当に良かったですよ。1日で片はつかなかったでしょう」
「あぁ、1日で終わったと聞いて確かに驚きました。長々と続くものかと」
「皆がそうでしたよ」

そこまで話して3人ともふっと笑う。
やはりあの時代を共有してきた者同士なのだな、と不思議な連帯感が生まれる。

薄茶をそっと信之の前に差し出す。
次客の忠興に言葉を添えてから、信之は茶碗を手にする。
その後は、作法に乗っ取った薄茶に、亭主である宗茂の送り礼。
にじり口から出るのに立ち上がった信之がたてる足音は、とても静かで、けれど、潮騒にも似ており、引いては寄せてくる波のような人生を送っている。
宗茂は、そう思った。


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