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信幸の姿が見当たらないという。
行方を知らないかとやってきた家臣だったが、知らないという稲の返答に、落胆することも慌てることもなく去って行った。
他の者に聞けば、時折あることだという。
ふらりと誰にも何も言わずに消え、またふらりと何事もなかったかのように戻ってくるらしい。家臣も慣れてしまっているらしいが、一応何かあってはいけないと探すらしい。
信幸さまはどこに行っているのかしら?
むくむくとわいた稲の好奇心は止められない。
侍女の目を盗んで部屋を抜け、庭に出て、そこから、昔とった杵柄とばかりに城を抜けると城下に出た。
町は賑やかにざわめていた。
稲は賑やかな町が好きだ。賑やかな人々の喧騒の中を、買い物して歩くのが好きだ。結婚前は時折城下に出て、遊んでいた。
けれど、さすがに信幸と結婚してから城下に降りることはなかった。
だから、忘れかけていた賑やかな町の喧騒に、ついつい気分が高まり、当初の目的を忘れた。
「稲が?」
ふらりと戻ってきた信幸に、稲付の侍女が駆け寄ってきた。
信幸を探しに家臣が来た後に、稲の姿もなくなったというのだ。
だから、てっきりふたり一緒だろうと思っていたのに、稲がまだ戻らないとうろたえる侍女をなだめながら、信幸は外を見る。
西空の残照が赤く染まり、夕風が冷え冷えとしてきている。
もうそろそろ闇が広がろうという時刻だ。
「稲さまに何かあったら・・・」
そう動揺する侍女に、
「彼女は強いから平気でしょう」
と言った信幸の返答が気に入らなかったらしく、キッとまなじりをあげて睨んでくる。
とりあえず、探しましょう、とその視線を受け流す。
侍女と分かれて、信幸はおそらく城内にはいないだろうと予想をたてる。
すでに家臣たちが自分と稲を探すのに捜索済みだろうから・・・。
「外に出たか」
稲ならやるだろうな、とひとりごとを落とすと、さてと腕を組む。
どうやって抜け出そうかひとり考える。
稲を見つけた時、彼女は真剣な眼差しである物を見ていた。
出入りの商人が荷物を運び出す影に隠れて、そっと城門から抜け出し、稲の好きそうな場所を考えて、探し歩いて見つけたのがある出店前だった。
何を真剣に見ているのかと気配を消して近づいてみる。
「欲しいのですか?」
背後に寄って信幸が言うと、ヒッと稲が悲鳴を上げる。
「の――」
信幸さま、と声をあげようとする稲を、手でやんわりそっと制する。
あわてて稲も口を抑える。
稲のことを知らなくとも、城下には信幸の名や顔を知っている者も多い。
「欲しいのですか?」
再度聞かれ、稲はどうしようか悩んだが、小さく頷いた。
稲がじっと見ていたのは、綺麗な千代紙で作られた風車。
信幸にとっては、なぜそのようなものが欲しいのか分からないが、稲は真剣に見ていた。決して高いものではない。
どれが欲しいのか、と問われ、稲の顔が嬉しそうにほころぶ。
子供のように風車にふぅ・・・と息を吹きかける稲に、信幸の苦笑が、知らず、微笑みへと変わっていった。
帰りますよ、と言うと素直についてくるものの、途中いろいろなところに足を止める稲に、内心いらだつを覚えつつあったが、嬉しそうに頬をほころばせ、子供のように楽しげな様子に笑うしかなくなる。
「嬉しいな」
稲が呟いた一言に信幸は、
「何がですか?」
「信幸さまとこんな風にふたりきりでいられることがです」
にっこりと稲の笑顔が開いていく。
「そんなことがですか?」
「私にはそんなことではありません!」
稲は真剣だ。
真剣に今が楽しくて、嬉しくて仕方がない。
信幸には、稲の気持ちが嬉しくも歯がゆくもある。
もうすっかり空は暗闇が広がっている。
きっと城内では騒ぎになっているだろうと思うと信幸の気分は重くなる。
城主といってもまだ年若い信幸には、目付け役のような重臣がついている。
時折、信幸がひとりで消えることがあっても、普段真面目にやっている分、大目に見てくれていたが、稲を巻き込むとなると話は別だろう。
稲は最初、いなくなった自分を探しに出た――はずだ。
だから、巻き込んだのは自分なのだが、どうも今は巻き込まれたような気分に信幸はなっている。
「帰りたくない・・・」
ため息混じりにぽつりと呟く。
それに稲は、私もです、とふふふっと頬を揺らす。
「稲、言葉は同じでも意味がまったく違う」
「?」
「別にもういい」
帰りますよ、と信幸が手を差し出すと、素直に手を握ってくる。
思いのほか小さな手を信幸をぎゅっと握る。
「ところで、信幸さまはどちらに行かれていたのですか?私、探しましたのよ」
「探しているようには見えませんでしたが」
「――・・・。探して、ましたよ。本当にどちらに?」
「秘密です」
いたっ、と信幸が声をあげる。
握っていた手に稲が力を込めたのだ。
「どちらにいらしたのですか?」
「絶対に教えません」
塩部屋と言われる器物や道具類を収納している一種の納戸で居眠りをしていたとは言えないと信幸は思った。
意外に人に見つからない場所なので、持病の胃痛などの時もここに隠れている。
「ケチ!」
「ケチで結構です」
「ケチケチケチ!」
「――女のところにいました」
えぇぇっ、と声を上げた稲だったが、そんな稲を信幸がにやりと口の端に笑みを浮かべて見ているので、すぐに嘘だと分かり、ほっとしたような悔しいような。
「意地悪ですね」
信幸は何も言わないで、くくっと笑うと、子供のように頬を膨らませる稲の鼻をつまむ。
怒る稲を笑うと、強引な足取りで歩き出す。