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暗闇の中、ぼんやりと天井を見ていた稲の耳に、夫の声がした。
稲、と呼ばれて、床を並べて隣で眠る信之に手を伸ばすと、ぎゅっと握られた。握られた手に甘えるように、稲はすすっと信之の床に身を滑り込ませる。信之のぬくもりに甘えていると、
「眠れないのか?」
「信之さまを失うことを考えると眠れません」
「何故そんなことを言う」
信之が稲を抱きしめてくる。
病でだいぶ痩せた腕に、稲は胸が苦しくなってくる。
真田屋敷にやってきた忠興が帰り際、そっと教えてくれた。
「私の手で弟を殺したい」と言った信之の目が、いつもと違った。あれが信之殿も死を求めている、だから、気をつけろ、と忠興が稲に言った。
「人は必ず死ぬ。遅かれ早かれ死ぬ」
「それは分かっております。戦場で怪我をすることがなかった父でさえ、最後は思いのほかあっけなかった」
「なら――」
「私より先に死なないと約束してください」
「稲?」
ねぇ、お願いです、と稲が床の上に跳ね起きて、信之を見下ろす。
「嘘でも何でも、私より先に死なないと――約束して。ねぇ、信之さま、ねぇ、約束を私に下さい!」
泣きながらよろよろと力尽きたように信之の上に落ちてきた稲の背を、信之は優しく撫でる。幾度も幾度も撫でてやりながら、
「嘘でいいのですか?」
ふるふると稲は首を振る。
すると、信之が強く抱きしめてきた。おそらく今みなぎる限りの力を込めて。
今、ここでカタチばかりの嘘で固めた優しさをくれても、ただ空に浮いた、白々しいものになるだけだと信之は分かっている。だから、しない。
分かっている。稲は分かっている。
信之がそういう人だと分かっている。
だから、好きだ。
信之の、そんな優しさが好きだ。
おざなりな見せかけだけの優しい嘘をくれて誤魔化す人ではない。
だから、好きなのだ。愛しているのだ。
ずっとずっと愛している。
稲は、信之の胸の上でたまらない涙を振り絞ったその時。
「出来るならば私も、稲よりは先に逝きたくない」
「えっ?」
「こんな泣き虫を置いていくことが心配だと気付かされた。私はわがままですね。稲が私から離れていくことが耐えられないのに、私から離れることは出来るなどと考えている」
「信之さま・・・?」
「稲は、私を子供たちより心配だと言いますが、それは私も同じこと」
それは真実そう思ってくれていると稲には分かった。
もうそれで十分だと思った。
稲は、唇の奥で言葉をつまらせ、何も言わずにただふるふると首を振った。
もう十分――。
十分に信之の愛を貰っているのだから。
そうも思うのだけど――・・・。
稲はふるふるとただ首を振り続ける。振りながら、
「私たちは、あの乱世を生きた女です。ですから、出来ることがあるはず」
誾千代の言葉を思い出す。
幸村は死にたがっている。そして、信之はそんな幸村を殺し、そして、自らも――。
ならば、私に出来ることは・・・。
このぬくもりを失いたくないと思うことは我侭なのだろうか?
そうか、と幸村は唸った。溜息を落として瞼を閉じる。
信之から面会を拒絶された。
表向きはまだ大坂まで向かえる体調ではないということだが、本当のところはどうだろう。本当に病なのか、ふとそんなことを思って苦笑する。
まだ本調子でない信之に代わり稲が代筆した文を畳む。
幸村の閉じた瞼に、二度と帰りこむ日々が胸に蘇る。
それに惜別をこめて別れを告げなければならないのに、未練がましい心残りがひだとなって揺れる。
結局のところ、甘えていただけのこと。
信之は何をしても許してくれる。そう思う気持ちがあったと今更幸村は気付く。
会いたいと言えば、会ってくれるものだと期待していた。
ゆっくりと瞼を開き、未練がましく再び文を開き、息子を一瞥して、
「伯父上が、お前もそろそろ元服の頃だろうと言ってきている。本家の従兄弟たちがお前に会いたがっていたぞ」
どうする、と息子に聞けば、大助は無言のまま。息子の無言を幸村は見つめ、
「嫌なのか?」
短く聞いた。
「別に・・・」
大助も短く答える。
「お前は、他の身内を知らない。一度ぐらい顔を見ておいてもいいだろう」
幸村は、ちらりと講和後、九度山から呼び寄せた妻を見れば、里々は幸村の意図を受け取って、
「そうですよ。これまでの私たちの生活を支えてくださったのは、伯父上ご夫婦なのですから」
にこりと微笑む。母の言葉に大助は憮然とした顔をする。
自尊心の問題なのだろうと幸村は思う。罪人の子供として産まれ育ち、伯父たちからの仕送りで養われ、それがどうしようもなく歯痒くて仕方がない。
そして、一方で従兄弟たちは何の不自由もない生活をしている。
それが妬ましい。うらやましくてたまらない。
けれど、それが大助にとって――・・・。
幸村は、心の中で首を振る。気付かなければいい。気付いてしまえば、それが大助を苦しめるだけのこと。
しばらくして。
大坂城の外堀りの埋め立てが終わり、工事は内堀りへと及んだ。
二の丸、三の丸の破却は大坂方が行うという約定で、それを手伝うという名目であったが、どんどんと埋め立てられていく様に大野治長が抗議をしたが、のらりくらりと交わされる。
固塁を誇った大坂城は、裸城とされていく。
大坂方の憤慨が激しいのは、当然のこと。
武器弾薬、食料を蓄え、再戦の準備を始めた。
かりそめの和平にヒビが入り始めた頃。
信之が京都、伏見の真田屋敷に入った。
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稲、と呼ばれて、床を並べて隣で眠る信之に手を伸ばすと、ぎゅっと握られた。握られた手に甘えるように、稲はすすっと信之の床に身を滑り込ませる。信之のぬくもりに甘えていると、
「眠れないのか?」
「信之さまを失うことを考えると眠れません」
「何故そんなことを言う」
信之が稲を抱きしめてくる。
病でだいぶ痩せた腕に、稲は胸が苦しくなってくる。
真田屋敷にやってきた忠興が帰り際、そっと教えてくれた。
「私の手で弟を殺したい」と言った信之の目が、いつもと違った。あれが信之殿も死を求めている、だから、気をつけろ、と忠興が稲に言った。
「人は必ず死ぬ。遅かれ早かれ死ぬ」
「それは分かっております。戦場で怪我をすることがなかった父でさえ、最後は思いのほかあっけなかった」
「なら――」
「私より先に死なないと約束してください」
「稲?」
ねぇ、お願いです、と稲が床の上に跳ね起きて、信之を見下ろす。
「嘘でも何でも、私より先に死なないと――約束して。ねぇ、信之さま、ねぇ、約束を私に下さい!」
泣きながらよろよろと力尽きたように信之の上に落ちてきた稲の背を、信之は優しく撫でる。幾度も幾度も撫でてやりながら、
「嘘でいいのですか?」
ふるふると稲は首を振る。
すると、信之が強く抱きしめてきた。おそらく今みなぎる限りの力を込めて。
今、ここでカタチばかりの嘘で固めた優しさをくれても、ただ空に浮いた、白々しいものになるだけだと信之は分かっている。だから、しない。
分かっている。稲は分かっている。
信之がそういう人だと分かっている。
だから、好きだ。
信之の、そんな優しさが好きだ。
おざなりな見せかけだけの優しい嘘をくれて誤魔化す人ではない。
だから、好きなのだ。愛しているのだ。
ずっとずっと愛している。
稲は、信之の胸の上でたまらない涙を振り絞ったその時。
「出来るならば私も、稲よりは先に逝きたくない」
「えっ?」
「こんな泣き虫を置いていくことが心配だと気付かされた。私はわがままですね。稲が私から離れていくことが耐えられないのに、私から離れることは出来るなどと考えている」
「信之さま・・・?」
「稲は、私を子供たちより心配だと言いますが、それは私も同じこと」
それは真実そう思ってくれていると稲には分かった。
もうそれで十分だと思った。
稲は、唇の奥で言葉をつまらせ、何も言わずにただふるふると首を振った。
もう十分――。
十分に信之の愛を貰っているのだから。
そうも思うのだけど――・・・。
稲はふるふるとただ首を振り続ける。振りながら、
「私たちは、あの乱世を生きた女です。ですから、出来ることがあるはず」
誾千代の言葉を思い出す。
幸村は死にたがっている。そして、信之はそんな幸村を殺し、そして、自らも――。
ならば、私に出来ることは・・・。
このぬくもりを失いたくないと思うことは我侭なのだろうか?
そうか、と幸村は唸った。溜息を落として瞼を閉じる。
信之から面会を拒絶された。
表向きはまだ大坂まで向かえる体調ではないということだが、本当のところはどうだろう。本当に病なのか、ふとそんなことを思って苦笑する。
まだ本調子でない信之に代わり稲が代筆した文を畳む。
幸村の閉じた瞼に、二度と帰りこむ日々が胸に蘇る。
それに惜別をこめて別れを告げなければならないのに、未練がましい心残りがひだとなって揺れる。
結局のところ、甘えていただけのこと。
信之は何をしても許してくれる。そう思う気持ちがあったと今更幸村は気付く。
会いたいと言えば、会ってくれるものだと期待していた。
ゆっくりと瞼を開き、未練がましく再び文を開き、息子を一瞥して、
「伯父上が、お前もそろそろ元服の頃だろうと言ってきている。本家の従兄弟たちがお前に会いたがっていたぞ」
どうする、と息子に聞けば、大助は無言のまま。息子の無言を幸村は見つめ、
「嫌なのか?」
短く聞いた。
「別に・・・」
大助も短く答える。
「お前は、他の身内を知らない。一度ぐらい顔を見ておいてもいいだろう」
幸村は、ちらりと講和後、九度山から呼び寄せた妻を見れば、里々は幸村の意図を受け取って、
「そうですよ。これまでの私たちの生活を支えてくださったのは、伯父上ご夫婦なのですから」
にこりと微笑む。母の言葉に大助は憮然とした顔をする。
自尊心の問題なのだろうと幸村は思う。罪人の子供として産まれ育ち、伯父たちからの仕送りで養われ、それがどうしようもなく歯痒くて仕方がない。
そして、一方で従兄弟たちは何の不自由もない生活をしている。
それが妬ましい。うらやましくてたまらない。
けれど、それが大助にとって――・・・。
幸村は、心の中で首を振る。気付かなければいい。気付いてしまえば、それが大助を苦しめるだけのこと。
しばらくして。
大坂城の外堀りの埋め立てが終わり、工事は内堀りへと及んだ。
二の丸、三の丸の破却は大坂方が行うという約定で、それを手伝うという名目であったが、どんどんと埋め立てられていく様に大野治長が抗議をしたが、のらりくらりと交わされる。
固塁を誇った大坂城は、裸城とされていく。
大坂方の憤慨が激しいのは、当然のこと。
武器弾薬、食料を蓄え、再戦の準備を始めた。
かりそめの和平にヒビが入り始めた頃。
信之が京都、伏見の真田屋敷に入った。
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