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内緒だからな。
左手の人差し指を口許にかざして、そう言った幼子の頃の誾千代の姿が見えた気がした。
幼子らしい柔らかそうな頬が縁取るのは、年ににつかわしくない至極真面目な顔。それがとても可愛らしくて、思わず笑みを零せば、誾千代は唇のかたちを生意気に尖らせる。
けれど、それがまた可愛らしくて――。
ますます尖がる唇に謝れば、ぷいっと顔を反らされた。
その仕草すべてが可愛らしかったことを、小野鎮幸は思い出して、じわりと涙がこみ上げてきた。
「内緒だからな」
そう言う人は、もういないのか。
――もっともっと強くなりたいから稽古をつけて欲しいの。父上には内緒だからな。
――この漢字は何で読むの?父上には私が聞いたことは内緒だからな。びっくりさせるんだから。
――別に宗茂が嫌なわけじゃない。そうじゃない!違うんだ。ただ、どうしていいのか分からないだけで・・・。異性として見ろといきなり言われても戸惑うだけだ。あっ、内緒だからな!私がそんなことを言っていたのは。
――本当は徳川につくのがいいと思う。でも、宗茂が決めたことに今更ケチをつけても仕方ない。私の本音はは言うなよ。内緒だからな。
――この病は治らないらしい。宗茂には話すつもりもない。で・・・。
「誾千代さま・・・」
覚悟していたとはいえ、現実は想像以上に堪える。小野は突っ伏して涕泣する。
生まれた時から知っている誾千代が、なぜ自分より先に逝くのだ。
生まれたばかりの頃に抱かせてもらった、あの温かさが今でも掌に思い出せそうだというのに、こんな理不尽なことがなぜ起きるのだ。
誾千代の父である立花道雪に傾倒し、立花家の為に命を尽くすつもりで生きていた。
道雪のひとり娘の誾千代がなぜ自分よりも先に――・・・。
悔しさ、やるせなさなどが胸の中で入り混じる。
けれど、やがて。
触れれば解けるひとひらの雪のように淡く笑った誾千代との約束に小野は、ゆっくり顔を上げる。溢れてきた涙を零さぬようすれば、
――内緒だからな。
誾千代の声が聞こえた気がした。
※
――意外にこれで良かったのかもしれない。
小野は、最初そう思って、誾千代を見ていた。
華奢な体は重い枷から解放され、今はただのひとりの女。
今まで戦場を駆け抜け、家名の誇りのために命も惜しまず戦い抜けた誾千代だったが、関ヶ原の後、夫である宗茂が改易され、加藤清正の客将となった今、思いのほか穏やかそうに日々を送っている。
関ヶ原のあの後、何が夫婦の間にあったのか分からないが仲睦まじい。
敵地から命からがら逃れてきた夫婦の間に、何かがあったであろうことは推測できた。
絆が深まったふたりに、これなら跡継ぎも、と家臣同士で噂しあったりもした。
けれど、最初の異変に気付いたのは夫である宗茂。
「夜、寝られないらしい」
そう言われて、立花家改易のこと、今後のことを憂いてのことでは、と答えた。宗茂が珍しくとても複雑そうに動揺した顔をしたのを見て、多々申し訳ない気持ちになりもしたが、この男がこのまま終わるとも思えず、近い将来必ずや身を立てるだろうという確信が小野の中にあった為、気付かない振りをした。
誾千代本人に尋ねれば、ひどく疲れやすくなったということだった。
疲れやすいのに眠れない、と言われ7歳で家督を継ぎ、それから、ずっと気を抜くことが出来ない生活を送っていたのだから、蓄積されていた疲労が今になって出たのと、精神的なことが重なったのだろうと思った。
寝込むほどではないが、だるそうにしていることが増えた。
微熱が続き、食欲がやたら増し、食べれるのならば大丈夫だろうと思っていれば、食べるのに痩せていく。そして、今度は食べることすら億劫らしく、ますます痩せた。医者に診せた後、
「肺を病んでいるらしい。お前にうつしたくない。別居しよう」
誾千代が夫である宗茂に告げた。間髪入れず、嫌だと拒否する夫に、
「たいしたことないらしいから、すぐに治る。逆にお前が傍にいられたら、うつすのではないかと落ち着かない」
緩く笑った。その後もいろいろ食い下がる夫に誾千代は、面倒そうに対応する。
お前と話していると疲れる、と言われた宗茂が気を悪くしたのか無言のまま部屋を出て行く。宗茂が開いた障子戸から雨が見えた。
いつもと逆だな、などとぼんやりと思っていると、誾千代に名を呼ばれた。
この部屋にいるのは誾千代と、小野と由布惟信。
静かになった部屋に、今まで気付きもしなかった雨音が響き始めた。
誾千代は、ふたりを真っ直ぐに見据えると、
「本当は肺病ではない」
と言った。
「体内活動が活発になり過ぎる病気で、何もせずとも体は、常に戦場を駆けているような状態らしい」
最初ふたりは言われた意味が分からなかった。
症状や、なぜ夫に嘘をついたのかと尋ねるより早く誾千代は続ける。
「何もしていないのに、脈も心の臓も全力疾走している状態だから、疲れやすい。食べても食べても体力が追いつかない。気力が失われて、食べることも辛くなる。ただ衰えて、やがて死ぬ」
死、という言葉に驚けば、ふわりと誾千代が手をふたりの前に差し出す。
何事かと思えば、その手が小刻みにずっと震えている。
「もうきっと刀も握れない。もうずっと震えが止まらない」
「――治療方法は?」
「ない」
違う医者を探してきます、と小野が立ち上がろうとしたのを誾千代が静かに制する。
震える手で、襟元を緩めて首を見せてくる。
「太くなっているだろう?腫れているそうだ。これが典型的な症状らしい。」
「けれど、他の医者なら治療法を知っているかも」
食い下がろうとする小野を、目で由布が静かに制する。
「まずは誾千代さまの話を聞こう」
由布の言葉に、誾千代はゆったりと瞬きをしながら軽く笑った。
それから、ふたりを交互に値踏みするように見据える。それは、幼子の頃にふたりのうちどちらにお願いごとをしようと考えていた時と同じで、小野は目の前の女と記憶の中の幼子が重なる。
しばらく何か考えていたらしいが、結論が出たらしく、ゆるりと唇を動かす。
「この病は治らない。宗茂には話すつもりもない」
「なぜですか?」
問いかけたのは由布。声が尖っている。怒っているとまではいかないまでも、明らかに不満が込められた声。
「宗茂には死にゆく姿を見せたくない」
「――仮に・・・、仮に誾千代さまが亡くなられた時、その傍にいられなかったことが生涯の後悔となると私は思います」
「そうだろうな」
由布の言葉を誾千代は、受け止めつつ、
「私がこの地で死ねば、宗茂はここを離れないだろう。このままで終わるべき男ではない。客将で終わってはいけない」
「――・・・」
誾千代の言葉通りかもしれない、とふたりは互いに視線を合わせる。
「だから、私が死ぬ前に宗茂を京か、江戸へ行かせろ。奴ならきっと再起を果たすことが出来る」
静かに、けれど、有無を決して言わせない口調で告げる。
声音の強さとは裏腹に、頬には触れれば解けるひとひらの雪のように淡い笑み。
「由布は宗茂を説得させ同行し、小野は宗茂が旅立った後、ここに残る兵たちのまとめ役になって欲しい」
おそらく先ほど考えていたのは、この人選だろう。
そして、誾千代は静かにゆっくりとふたりに、今後の指示を告げる。
それを聞きながら、何を言っても誾千代の覚悟は変わらないだろうことは、生まれたときから彼女を見ていたふたりには分かっているが、素直に受け入れず無言を押し通す。
そんなことは気にしてもしてない様子で話し続けていた誾千代だったが、ふたりの無言を崩そうとしたらしくぽつり、
「疲れた。休みたい」
と言うと脇息にもたれかかる。
確かに誾千代の顔には疲労が滲んでいる。
立ち上がり障子戸を開けば、外はまだ雨。そそぎつづけているようだ。あたりはじめじめと薄暗く、心細さが泣くようにたつ。わずかな明るさを求めるように誾千代を振り返れば、それに気付いた誾千代が、
「子供の頃からふたりには、内緒のお願いごとをしてきたな」
そう笑うと、ほんの少し脇息から身を起こすと、子供の頃のように口許に左手の人差し指をかざして、
「でも、これでもう最後だ。このことは宗茂には内緒だからな」
「最後など・・・おっしゃいますな。まだまだ我々を困らせてください」
小野の言葉に誾千代は、一瞬、頬に驚きを滲ませた。
けれど、すぐにふっと笑うが、それはふたりを憐れむように揺れて、落ちていった。
「誾千代さまが療養中に、身を立てる準備を致しましょう。立花家の今後の憂いを取り除けば、誾千代さまも快方に向かうでしょう。病は気からと申します故」
由布がそう宗茂に言えば、思いのほか素直にそれを受け入れた。
立花の誇り、を大切にしている妻に今してやれることはそれだと思ったのだろう。
ことり、と音をたてて小野は筆を置く。
誾千代の死を告げる文を書き終え、墨が乾くのを待つ間、懐紙に今仕送れるだけの金を包みながら溜息。
自分は立花家の旧家臣のまとめ役を任された。
この地で、誾千代の最後の内緒のお願い事を守っていくつもりだ。
「由布殿に比べれば楽だな」
誾千代が由布に告げたのはその身を立てさせることだけではなく、継室を娶らせ立花家を存続させていくこと。
「宗茂様が聞き入れるかな」
誾千代さまだけを見てきた男だ、苦労するだろうな、と小野は心のうちで苦笑する。
今だって生活能力のない坊ちゃん育ちの宗茂に、同行した家臣たちは苦労しているという。それが想像できるようで、笑いながら、瞼を閉じた。哀しく苦しい切なさが瞼を覆い、涙となってしたたり落ちた。
けれど――。
すべては誾千代さまが望んだこと。
最後のお願いを由布は、きっと叶えてくれるだろう。
※※※
誾千代嬢の症状として使いました病気は今では投薬治療で良くなりますし、死ぬことはありません。
(一応記載しておきます)
左手の人差し指を口許にかざして、そう言った幼子の頃の誾千代の姿が見えた気がした。
幼子らしい柔らかそうな頬が縁取るのは、年ににつかわしくない至極真面目な顔。それがとても可愛らしくて、思わず笑みを零せば、誾千代は唇のかたちを生意気に尖らせる。
けれど、それがまた可愛らしくて――。
ますます尖がる唇に謝れば、ぷいっと顔を反らされた。
その仕草すべてが可愛らしかったことを、小野鎮幸は思い出して、じわりと涙がこみ上げてきた。
「内緒だからな」
そう言う人は、もういないのか。
――もっともっと強くなりたいから稽古をつけて欲しいの。父上には内緒だからな。
――この漢字は何で読むの?父上には私が聞いたことは内緒だからな。びっくりさせるんだから。
――別に宗茂が嫌なわけじゃない。そうじゃない!違うんだ。ただ、どうしていいのか分からないだけで・・・。異性として見ろといきなり言われても戸惑うだけだ。あっ、内緒だからな!私がそんなことを言っていたのは。
――本当は徳川につくのがいいと思う。でも、宗茂が決めたことに今更ケチをつけても仕方ない。私の本音はは言うなよ。内緒だからな。
――この病は治らないらしい。宗茂には話すつもりもない。で・・・。
「誾千代さま・・・」
覚悟していたとはいえ、現実は想像以上に堪える。小野は突っ伏して涕泣する。
生まれた時から知っている誾千代が、なぜ自分より先に逝くのだ。
生まれたばかりの頃に抱かせてもらった、あの温かさが今でも掌に思い出せそうだというのに、こんな理不尽なことがなぜ起きるのだ。
誾千代の父である立花道雪に傾倒し、立花家の為に命を尽くすつもりで生きていた。
道雪のひとり娘の誾千代がなぜ自分よりも先に――・・・。
悔しさ、やるせなさなどが胸の中で入り混じる。
けれど、やがて。
触れれば解けるひとひらの雪のように淡く笑った誾千代との約束に小野は、ゆっくり顔を上げる。溢れてきた涙を零さぬようすれば、
――内緒だからな。
誾千代の声が聞こえた気がした。
※
――意外にこれで良かったのかもしれない。
小野は、最初そう思って、誾千代を見ていた。
華奢な体は重い枷から解放され、今はただのひとりの女。
今まで戦場を駆け抜け、家名の誇りのために命も惜しまず戦い抜けた誾千代だったが、関ヶ原の後、夫である宗茂が改易され、加藤清正の客将となった今、思いのほか穏やかそうに日々を送っている。
関ヶ原のあの後、何が夫婦の間にあったのか分からないが仲睦まじい。
敵地から命からがら逃れてきた夫婦の間に、何かがあったであろうことは推測できた。
絆が深まったふたりに、これなら跡継ぎも、と家臣同士で噂しあったりもした。
けれど、最初の異変に気付いたのは夫である宗茂。
「夜、寝られないらしい」
そう言われて、立花家改易のこと、今後のことを憂いてのことでは、と答えた。宗茂が珍しくとても複雑そうに動揺した顔をしたのを見て、多々申し訳ない気持ちになりもしたが、この男がこのまま終わるとも思えず、近い将来必ずや身を立てるだろうという確信が小野の中にあった為、気付かない振りをした。
誾千代本人に尋ねれば、ひどく疲れやすくなったということだった。
疲れやすいのに眠れない、と言われ7歳で家督を継ぎ、それから、ずっと気を抜くことが出来ない生活を送っていたのだから、蓄積されていた疲労が今になって出たのと、精神的なことが重なったのだろうと思った。
寝込むほどではないが、だるそうにしていることが増えた。
微熱が続き、食欲がやたら増し、食べれるのならば大丈夫だろうと思っていれば、食べるのに痩せていく。そして、今度は食べることすら億劫らしく、ますます痩せた。医者に診せた後、
「肺を病んでいるらしい。お前にうつしたくない。別居しよう」
誾千代が夫である宗茂に告げた。間髪入れず、嫌だと拒否する夫に、
「たいしたことないらしいから、すぐに治る。逆にお前が傍にいられたら、うつすのではないかと落ち着かない」
緩く笑った。その後もいろいろ食い下がる夫に誾千代は、面倒そうに対応する。
お前と話していると疲れる、と言われた宗茂が気を悪くしたのか無言のまま部屋を出て行く。宗茂が開いた障子戸から雨が見えた。
いつもと逆だな、などとぼんやりと思っていると、誾千代に名を呼ばれた。
この部屋にいるのは誾千代と、小野と由布惟信。
静かになった部屋に、今まで気付きもしなかった雨音が響き始めた。
誾千代は、ふたりを真っ直ぐに見据えると、
「本当は肺病ではない」
と言った。
「体内活動が活発になり過ぎる病気で、何もせずとも体は、常に戦場を駆けているような状態らしい」
最初ふたりは言われた意味が分からなかった。
症状や、なぜ夫に嘘をついたのかと尋ねるより早く誾千代は続ける。
「何もしていないのに、脈も心の臓も全力疾走している状態だから、疲れやすい。食べても食べても体力が追いつかない。気力が失われて、食べることも辛くなる。ただ衰えて、やがて死ぬ」
死、という言葉に驚けば、ふわりと誾千代が手をふたりの前に差し出す。
何事かと思えば、その手が小刻みにずっと震えている。
「もうきっと刀も握れない。もうずっと震えが止まらない」
「――治療方法は?」
「ない」
違う医者を探してきます、と小野が立ち上がろうとしたのを誾千代が静かに制する。
震える手で、襟元を緩めて首を見せてくる。
「太くなっているだろう?腫れているそうだ。これが典型的な症状らしい。」
「けれど、他の医者なら治療法を知っているかも」
食い下がろうとする小野を、目で由布が静かに制する。
「まずは誾千代さまの話を聞こう」
由布の言葉に、誾千代はゆったりと瞬きをしながら軽く笑った。
それから、ふたりを交互に値踏みするように見据える。それは、幼子の頃にふたりのうちどちらにお願いごとをしようと考えていた時と同じで、小野は目の前の女と記憶の中の幼子が重なる。
しばらく何か考えていたらしいが、結論が出たらしく、ゆるりと唇を動かす。
「この病は治らない。宗茂には話すつもりもない」
「なぜですか?」
問いかけたのは由布。声が尖っている。怒っているとまではいかないまでも、明らかに不満が込められた声。
「宗茂には死にゆく姿を見せたくない」
「――仮に・・・、仮に誾千代さまが亡くなられた時、その傍にいられなかったことが生涯の後悔となると私は思います」
「そうだろうな」
由布の言葉を誾千代は、受け止めつつ、
「私がこの地で死ねば、宗茂はここを離れないだろう。このままで終わるべき男ではない。客将で終わってはいけない」
「――・・・」
誾千代の言葉通りかもしれない、とふたりは互いに視線を合わせる。
「だから、私が死ぬ前に宗茂を京か、江戸へ行かせろ。奴ならきっと再起を果たすことが出来る」
静かに、けれど、有無を決して言わせない口調で告げる。
声音の強さとは裏腹に、頬には触れれば解けるひとひらの雪のように淡い笑み。
「由布は宗茂を説得させ同行し、小野は宗茂が旅立った後、ここに残る兵たちのまとめ役になって欲しい」
おそらく先ほど考えていたのは、この人選だろう。
そして、誾千代は静かにゆっくりとふたりに、今後の指示を告げる。
それを聞きながら、何を言っても誾千代の覚悟は変わらないだろうことは、生まれたときから彼女を見ていたふたりには分かっているが、素直に受け入れず無言を押し通す。
そんなことは気にしてもしてない様子で話し続けていた誾千代だったが、ふたりの無言を崩そうとしたらしくぽつり、
「疲れた。休みたい」
と言うと脇息にもたれかかる。
確かに誾千代の顔には疲労が滲んでいる。
立ち上がり障子戸を開けば、外はまだ雨。そそぎつづけているようだ。あたりはじめじめと薄暗く、心細さが泣くようにたつ。わずかな明るさを求めるように誾千代を振り返れば、それに気付いた誾千代が、
「子供の頃からふたりには、内緒のお願いごとをしてきたな」
そう笑うと、ほんの少し脇息から身を起こすと、子供の頃のように口許に左手の人差し指をかざして、
「でも、これでもう最後だ。このことは宗茂には内緒だからな」
「最後など・・・おっしゃいますな。まだまだ我々を困らせてください」
小野の言葉に誾千代は、一瞬、頬に驚きを滲ませた。
けれど、すぐにふっと笑うが、それはふたりを憐れむように揺れて、落ちていった。
「誾千代さまが療養中に、身を立てる準備を致しましょう。立花家の今後の憂いを取り除けば、誾千代さまも快方に向かうでしょう。病は気からと申します故」
由布がそう宗茂に言えば、思いのほか素直にそれを受け入れた。
立花の誇り、を大切にしている妻に今してやれることはそれだと思ったのだろう。
ことり、と音をたてて小野は筆を置く。
誾千代の死を告げる文を書き終え、墨が乾くのを待つ間、懐紙に今仕送れるだけの金を包みながら溜息。
自分は立花家の旧家臣のまとめ役を任された。
この地で、誾千代の最後の内緒のお願い事を守っていくつもりだ。
「由布殿に比べれば楽だな」
誾千代が由布に告げたのはその身を立てさせることだけではなく、継室を娶らせ立花家を存続させていくこと。
「宗茂様が聞き入れるかな」
誾千代さまだけを見てきた男だ、苦労するだろうな、と小野は心のうちで苦笑する。
今だって生活能力のない坊ちゃん育ちの宗茂に、同行した家臣たちは苦労しているという。それが想像できるようで、笑いながら、瞼を閉じた。哀しく苦しい切なさが瞼を覆い、涙となってしたたり落ちた。
けれど――。
すべては誾千代さまが望んだこと。
最後のお願いを由布は、きっと叶えてくれるだろう。
※※※
誾千代嬢の症状として使いました病気は今では投薬治療で良くなりますし、死ぬことはありません。
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