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誾千代の訃報を宗茂は、京都で聞いた。
慶長7年10月のこと。
訃報が届いたその日の風は荒れていた。
息を呑むような突風に、あばら屋がミシリと鳴る。
突風にそのまま、雨が混ざる。
空が鳴り、雨が飛び、風がしなう。
けれど、不思議と宗茂には、ひどく静かな世界に感じられた。
しばらく晴れた日が続いていた。
けれど、天気とていつも一定ではいられるはずがない。
空も雨も風も荒れるのは当然のこと。
それはきっと――天下も同じこと。
徳川政権には、まだ多くの問題が残っている。
再び戦が起こる日が来るだろう。
関ヶ原があったのが、慶長5年。
あれから2年か・・・、宗茂は心の中で呟く。
そして、うまくいけば、
「あと1年・・・、いや、2年か・・・」
口に出して呟いたが、しなる風に消されていく。
誾千代は、柳川城を降伏開城した後、加藤清正に世話してもらった高瀬で共に宗茂と暮らしていたが、やはり相容れないところがあり、腹赤村に居を世話してもらい、別居となり、そのまま、病を得て死んだ――ということになった。
けれど、真実は違う。
赤腹村で過ごしていた女は、誾千代ではなく、侍女であった春だ。
赤腹村に住民は、誾千代のことを知らない。
だから、春が誾千代だと言われれば、それを受け入れる。
そこが旧領地ではなくて良かった点。
誾千代を訃報を聞き、傅役であった既に隠居していた城戸知正とその妻、英が飛んでくると、嘆き悲しみ、それが赤腹村の住民の同情を買い、死んだのは真実誾千代だと思わせた。
もちろん、春も真実死んだわけではない。
清正の家臣と懇意になり、清正の仲立ちで縁付く予定だという。
後に真実を知らされた城戸夫妻は、泣いて怒り、泣いて笑ってと大変だったそうだ。
赤腹村では、死した人がいない奇妙な葬儀が執り行われたという。
このことは誾千代の耳にも入っただろう。
自分の訃報をどう彼女は受け取ったのだろうか?
宗茂ひとりなら再起も有り得る。
けれど、誾千代も共となると難しい。
それだけ、誾千代も家康とって武将として脅威的な存在だったということ。
そのことを、知らせてくれたのは家康に近い人物。
だから。
死んでくれ、と言った。
それを誾千代は受け入れた。
「宗茂殿」
由布の声がした。
届いた書状を見せると、にやりと頬に笑みを浮かべると、
「そろそろ江戸に向かわれますか?」
そうだな、と宗茂が答える。
「問題にならない程度に派手に動かないといけませんな」
「それが難しいところだ」
それだけの会話を交わすと、由布はするりと去って行く。
早速江戸行きの準備でも始めるのだろう。
※
八千子さま。
突風が、夜を叩いた。
風はそのまま、夜を揉みしだくように荒れはじめる。
やがて雨音が混じり、彼女は目が覚めてしまった。
床を抜け出し、寝所を抜け出し、足音を忍ばせ縁までまわり、ぽつりと座り込んだ。
しばらく、じっ・・・と雨を眺めていたが、ふわりと頭の上に声が降ってきた。
八千子さま。
そう言われて、ハッとして振り返ると、くすくすと頬に笑みを浮かべ微笑む女の姿。
「まだ慣れませんか?」
言われて苦笑して頷く。
「仕方ありませんね」
「起こしてしまいましたか?」
「この嵐ですもの。私も寝付けなかっただけですわ」
「そうですか」
「すっかり目が覚めてしまいましたわ。せっかくですから、お裁縫の続きでもやりましょうか?」
「・・・えっ・・・。」
明らかに嫌そうな顔をする八千子を、ほほほっ、と女――あやめが笑う。
八千子は、室町幕府最後の将軍、足利義昭の近臣だった矢島秀行の娘。
父の縁者である細川幽斎を頼り、その江戸屋敷で生活している。
というのは、すべて嘘。
彼女の実の名は、立花誾千代。
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