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信之、と呼ばれて顔を上げれば、家康と目が合う。
呼び出されて家康とふたりきり。
城内が喧騒に揺れる中、この部屋だけ時間から切り取られたように、静かだ。
戦後処理がまだ多く残されている家康はとても忙しそうだったが、信之が来たことを聞き、書状を書いていた手を止める。
部屋に入って平伏していた信之に声をかけ、
「信之はなぜ、儂についた?こちらが勝つと思っただけか?」
「…以前、武田信玄公と殿の話をしたことがあります」
「なんと?」
「忠臣を捨て駒にするのは非情であるが、なし遂げようとすることがあるから、そして、家臣もそれを心得ている。そのような話を致しました。なので、そんな殿が作り出す世を見たいと思った気持ちと…」
「と?」
「勝算があるは殿と。それと家を残すという使命…、ですかね?」
云われて、家康は苦笑する。使命か、とひとり言のように言葉を落としてから、
「…なぜあの時、儂を殺さなかった?」
「え?」
「上田であの時、逃しはしないとばかり立ちはだかり、儂を追いつめておきながら」
「そんなこともありましたね」
「あの時に儂はお主が欲しいと思った。お主のような若者が欲しいと思った。その気持ちは今も変わらない。」
「…」
「あの時、お主の弟だったら儂は殺されていたかもしれぬ」
「そうですね」
「手を出してこなかったお主が、何か大切なものを抱えている。重き荷を抱えていると感じた。抱えるものは違くとも、通じるものがある。だから、手を出してこないのだと感じた」
「殿?」
「見ておけ。儂が、儂の息子たちが作る天下を。徳川に勝ち続けた真田の男として」
「…」
突然の言葉に信之は、目を見開いて家康を見る。
突然の言葉に何を言うべきが逡巡しているらしい信之を、家康は愉快そうに笑う。
その笑いを信之は、どう捉えて良いのか分からずに戸惑っていたが、家康はふと真顔となり、
「九度山に蟄居だ。さすがにお主の近くには置いておけない」
父と幸村の処分だ。
命があるだけでもありがたいので、信之は頭を垂れる。
※
断片的に信之の状況は、くのいちなどからもたらされる。
今後についてなど連絡はあるのだが、信之は自身についてはあまり書いてこない。家康に呼び出されているらしいことなどは、すべてくのいちや家臣たちから聞かされる。
幸村は、自身に一通の文もよこさない兄に、安堵感と焦燥感とどちらともいえない複雑な気持ちを抱えていた。
元々家康に気に入られて、稲を嫁にしている信之が、家康と行動を共にしていてもおかしくはないが、家康への遠慮なのか、まさか―――心の中で首を振る。
くのいちが新たに仕入れてきた話では「生かしておいては、戦場で死んだ者に示しがつきません」「真田の血、ここで絶やさねば禍根となりましょう」と藤堂高虎が言ったのに対して本多忠勝が
「ならば、我が娘、我が婿も殺せと仰せか。聞き入れてもらえなければ殿と一戦、交えることとなりまする」
そう答えたいうものだった。
それを聞いた昌幸は、ふっと笑った後、唇を閉ざし、瞼さえ閉じた。まるで心を閉ざし、瞑想の世界へ入ったかのようにしていたが、ゆっくりと瞼を開いて、幸村を見て、
「そうなったらどう戦う?」
と問いかけてきた。それを受けて、幸村は眉を潜めたが、しばし考える。
「兄上も一緒ということですよね?」
「そうなるな」
「ならば―――」
想像して、しばし唇を閉ざしていたが、
「兄上さえ」
幸村は瞳をきつく締め上げる。
「兄上さえ本気で挑むのであれば、我々は…。兄上が本気を出しさえすれば」
息子の言葉を昌幸は、鼻先で笑って散らしたが、すぐに、溜息へと変えると、
「信之の知と幸村の武か」
と言葉を落とす。