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「また、ですか?」

幸村は、父に苦々しい言葉を洩らす。
そんな息子など気にせずに昌幸は、何やら描いている。
体調を崩しているというのに、起きているとそれに夢中になっている。

九度山で流謫生活となりもう数年。
最初は戯れ程度だった。けれど昌幸が執着するかのように夢中になったそれは、徳川との戦いの仮想。
それはますはくのいちがもたらした、信之と本多忠勝、稲の命乞いの時の、

「ならば、我が娘、我が婿も殺せと仰せか。聞き入れてもらえなければ殿と一戦、交えることとなりまする」

という本多忠勝の言葉からだった。
最初は戯れだった。
そうなったらどう戦う?
それを想像する遊びのようなものだった。
幸村も最初は楽しかった。
兄、信之と共に戦う。
兄上さえ本気で挑むのであれば、我々はどう策を練ればいいか。
上田城で。
沼田城で。
それぞれの戦い方を想像して。
しかし、昌幸は予想より長い流謫が苛立ちを募らせたのか、いつか起こるかもしれない徳川と豊臣の争いを仮定して。
江戸城で。
大坂城で。
夢想にとり憑かれる父に幸村は、さすがに心配になったが、そうしてでもいないと堪らない気持ちも分かり、またそうしていない時の気鬱そうな昌幸に、どうしたら良いのかも分からなくなっていた。

信之は信之で、赦免について仲介してくれていた井伊直政も義父の本多忠勝も亡くなり、難しくなっているらしいことは想像が幸村にも出来た。
それでも頑張ってくれている話はくのいちや、仕送りなどを携えてくる家臣から聞いている。

ある時、幸村は父に兄に言われた言葉を話した。

――武田や織田の行く末を思い出せ。家がなくなればもののふですらない。

家を残す。
大切さは分かる。
けれど、幸村には実感があまりない。

それについて昌幸は、

「育て方が違う。儂自身、真田の家を継ぐことになるなど思ってもいなかった。死んだ兄たちのことを思えば家は潰せん。だから信之はそう育てた。」

そう言った。
いつも一緒にいて学んできたと思っていたが、嫡男とそうでない自分とでは違うのか。

けれど――。

 


 ※

関ヶ原ももう昔のこと。
関ヶ原、いや、戦を知らない世代も出てきている今。
戦の実体験を若い世代に聞かせてくれとせがまれることもあり、時代は変わった。
そう思わされるが、信之は同時代を生きた、その人を見て、今だに赦免されない父、弟のことを思う。

関ヶ原で西軍についた為、改易されて浪人となっていた立花宗茂だが、今は義父、本田忠勝の世話で徳川家に御書院番頭として召し抱えられている。
義父などを介して前よりお互い知っていた。
江戸城内で偶然に会い、軽く会話を交わす。
宗茂と共歩きをしながら話していたが、宗茂はじっと信之の顔を見つめる。

「何か?」
「お痩せになったと思いまして」
「あぁ、お恥ずかしいことですが、もう年なのか体調を崩してしまうことが増え」
「何を、我々はひとつしか年齢が変わらないのですが」


文句を言うように宗茂は言うが、九州と今の宗茂の領地の陸奥棚倉では冬の厳しさが違うから宗茂も環境の違いから体調を崩したという話から、

「・・・九度山は上田とは冬の厳しさはあまり変わらないそうですが」

と信之は言葉を落とす。
瞬時に宗茂は、信之の家族の話だと察して、その眉に同情の色を滲ませる。
それに信之は、ふっと微笑むと、

「貴公と弟、なぜ今の境遇がこんなにも違うのか、ふと思ってしまいまして」
「・・・」

宗茂は、信之により近づいて

「場所を」

と小さく言えば、信之は笑う。
分かって言ってるのだとは宗茂も分かってはいるが、信之の笑いに困惑する。

「貴公が弟と同じ年故、つい照らし合せてしまう」
「寂しいのですか?」
「ははっ」
「では私が幸村殿に代わり兄上とお呼びいたしましょう」
「やめてください」

ふたりで笑い、それが収まってから信之は問う。

「徳川になぜ仕える気になりました?」
「・・・。豊臣への恩はもう関ヶ原の折に返したつもりです。誾千代・・・、妻は・・・、もう亡いですが、妻の為、家臣たちの為、自分の為、色々ありますが、やはり一番は誾千代が誇った立花の為」
「家の為、ですか」

信之は、吐息混じりに言う。
そして、ふと考え込んだように瞼を伏せていたが、すぐに宗茂にいつもの柔和な微笑みを見せて、

「つまらぬ話にお時間をとらせてしまい申し訳ありませんでした」


そう言う。
宗茂は何か言おうと唇を開いたが、言葉は見つからなかった。
そして、気付く。

―――幸村殿に徳川につきたいと思える何かがないのか、と。

 

 ※


まぁ、と稲は声をあげてから、くすくすと笑う。

「何がそんなに面白いのです?」
「お髪の色が黒くなれば、多少は幸村に似るのかと思ったのですが全然ですね」
「そうですか?」


黒髪の髢をつけた信之は、鏡を見る。
まぁ、確かに顔立ちは違うのだから、似てはいないかもしれない。
けれど、

「でも、他人には見えるでしょう?」
「そうですね」

稲は少しの戸惑いを滲ませながら、


「本当に九度山に行かれるのですか?」
「しばらく私は病気ということで、お願いします」

稲の問いかけに信之は、にっこりと微笑む。
稲の戸惑いなど気付いていない振りをして笑みを浮かべる信之に、稲は唇をへの字に曲げて、しばらく前から体調不良で誰にも会えないという口実をつくる為に、食事を制限し、やつれた姿を作ろうとしていた周到さに溜息を落とすことしかできない。
信之は関ヶ原の後、体調を崩しやすくなっていた。
心労もあるのだろうと稲は思っていたが、もしかして、いつか九度山に行くために?などと邪推してしまう。


しかし、九度山の昌幸の体調が良くないという知らせもあり、稲は何も云わずに黙って夫を送り出すしかできない。

 

 

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