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---まるであの日の月のようだ。
雨上がりの良い月だ。だからこそ、昌幸は思い出す。
風もない、雲ひとつない星夜。明け方は冷え込むだろう。
上田城の一室。縁に坐して、月を眺める。
「・・・」
言葉を落としそうになったその時。
息子-幸村の声がした。
「良い月ですね」
あの人の声が重なった気がした---「良い月だな」
あれは初陣の頃。
「凶兆だ」
「凶兆だな」
あの日の自分の声と、今の自分の声が重なって聞こえた気がした。
「雨上がりの良い月ではないですか?」
息子--幸村の言葉に、口の端に薄い笑みが浮かんだ。
「風もない。こんな時は霧が出やすい。雨の後ならなおのこと。戦場では凶となる」
「そうですね」
「この月を徳川にとって凶とできるか」
なぜこんなにもあの日のことを思いだすのか。
鼻腔すら雨上がりのあの日と同じ匂いを運んでくる。
今までも月を見れば、あの人を思い出した。あの人と共にみたあの月を思い出し、あの人の声を思い出し。
けれど、今日は妙に鮮明だ。
「幸村」
息子を見れば、息子が目を反らした。
「どうした?」
「申し訳ありません。今は、その・・・、そちら側のその銀髪は私にはつらい」
「兄を思い出すのか?」
幸村は黙って、頷く。
秀吉の死後。
再度この国が二分に別れている。三成--豊臣か徳川か。
真田家も今、二分に別れている。
我々と、信之と---。
幸村は袂を分かった兄を、思い出している。
昌幸にも兄がふたりいた。兄の事を慕っていた。けれど、幸村のそれは違うのだ。
そして、信之もまた弟を。
互いに恋情を持っている兄弟。
昌幸は気付いてた。けれど何も言わなかった。ふたりがどうなろうと好きにすればいいと思っていた。
兄弟とか、そういう倫理とかは別にいい。
それは、己が知っているから。
---人を愛するということを。その気持ちを止めることが出来ないことを。
---そして共に死ねなかった後悔。
けれど、思う。
「おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端」
「え?それは・・・亡き勝頼様の・・・辞世の句では」
「ああ」
幸村はぐっと下唇を噛み締めて、俯く。
何を思っているのか。
あの頃まだ幼かった息子ふたりが今はもう立派なもののふとなっている。
「幸村」
「・・・」
「死んだ人に会えぬと嘆く日々と、生きているのに会えぬと嘆く日々、どちらがましだと思う?」
「え?」
「勝頼様は武田の滅びは避けられぬと考えていた。だから共に真田を滅ぼすまいとして・・・ああなった。諦めてなど欲しくなかった」
「・・・父上」
「信之は、三成の行いは世を乱すだけと言ったが、おそらく武田の・・・いや、ただ分かってくれた」
「兄上がなにを・・・」
「幸村、お前は信之とあると思っていた。いいのか?もう・・・もう二度と会えないのかもしれないのだぞ?」
噛み締めていた下唇を、一層きつく噛み締めた幸村だったが、その手から何か固いものがぶつかる音がした。
幸村は掌に何かを握っていた。父の視線に気付いて、掌をそっと開いて見せる。
「真田の六文銭。兄上と半分で持っているのです」
「・・・」
「半分では渡り賃になりません。だから死ねないのです。それは兄上もです。命を捨てることが真田の心意地ではない。そのことを忘れぬ為にふたりで半分ずつ持っていようと」
「そうか」
「父上はお気づきのようですが・・・、私は兄にもってはならぬ感情を持っております。言葉にすることすら恥ずべき感情を」
「同じものを信之も抱いていると思うが」
「だからこそ、我々は・・・、別でならねばならぬのです」
「兄弟だから?」
「それもあります。けれど、それだけではありません」
「・・・」
息子ふたりは、自分の知らぬところが多くの苦悩があったのだろう。
おそらく倫理とかそうだけではない何かが---。
けれど、昌幸はかまわずに言う。
「兄弟であれ、何であれ、思い合った人が共にあれればいいのだが」
「・・・」
「生きて、また会えると良いな」
再び月を見上げる。
この凶兆の月は---おそらく続いていくであろう息子ふたりへの人生への凶兆なのだろうか。
そして、再び己に思い出させる為なのだろうか?
幾度幾度も胸を締め付けるように襲い掛かってきた後悔を。
---なぜ勝頼様と共に死ぬことができなかったのかと?
カタチは違えど、息子ふたり。
もののふとしての生き方に後悔はなくとも、己の気持ちへの後悔を抱く。
そんな生き方をすることとなるのだろうか?
己の手の上に置かれた三文銭を見つめる息子を見て、またもうひとりの息子を思う。
そして。
---勝頼様
おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端
最期の時、貴方が見た月を、共に見たかった。