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父と話したのは上弦の月の日だった。
そして、今宵の月は三日月。船のようだな、と幸村は思う。
今宵の月のカタチは船のようで、まるで父を迎えに来たようだと。
勝頼様が父を迎えに来た。
---父の魂は今・・・
亡骸となった父の体。
魂はきっと勝頼様の元へ。
「会えましたか?」
返事が返ることはない問いかけを父にする。
今日、父が死んだ。
悲しみこそあるけれど、どこかで長年背負ってきた後悔を解き放てたのだろうと思えば、喜ばしい気持ちすらある。
それにずっと会いたかった人と会えただろう。
「勝頼様もお元気でしょうか?」
言ってからふと苦笑する。あの世で元気とか病気とかあるのだろうか?
「父上・・・」
誰に聞いたでもなく、ただなんとなく知っていた。
別段珍しいことでもないから、知っていた。
父、昌幸と勝頼の関係を知っていた。
衆道など珍しくもないし、体の関係というよりふたりの結びつきは精神的なものが勝って見えた。
主君でありながら勝頼は、昌幸を思い、生かそうとした。
それは愛ゆえに。
けれど、昌幸は「共に」ありたかった。
死ぬなら、共に。
生きるなら、共に。
それも愛ゆえに。
昌幸は、勝頼によって生かれた。
精一杯乱世を生きた。
それが生かれた者の「義務」だとばかりに。
幸村はそっと父の手を開いて、その手に父の為に用意した六文銭を握らせる。
もう冷たくなっている父の手を、その胸に置き、そして、自らの三文銭を懐から取り出す。
「兄上・・・、父上が勝頼様の元へ行かれましたよ」
三文銭に語りかける。
父は生きた。
勝頼が残した「真田」を残すために生きた。
蘇るあの日の父の言葉。
---真田を守る、それだけを考えておった。
---真田を、お前たちを・・・。
---泰平だのもののふの意地だの、さようなものと引き替えにできるほど
---我が手にあるものは安くはない
「父上」
---・・・されど、同時に思うのだ。
---なぜあのときに、勝頼様と共に死ぬことができなかったのかと。
---・・・いいや、違うな。
---ただ生きろと言ってやれば良かった。
---そのためにわしが力を尽くそうと。
「・・・それゆえに関ヶ原では西軍に?」
---真田を守る。その思いは見事に信之が引き継いでくれた。
---真田は盤石なものとなろう。
「はい」
---・・・だが、お前には何も残してやれなんだ。許せ。
「父上、何を仰せになる。徳川を倒すという大望を、父上は残してくれたではありませんか」
---・・・そうか
「はい」
---・・・そうか
「ええ、そうです」
思い出に返事をする。
あれは夜風が冷たい日だった。
「大草臥」となど記す日が多くなっていた父、昌幸の体に触っては、と思い声をかけたのだった。
家康が訪れてきた日の夜だった。
「夜風はお体に触りまする」
と言えば素直に「うむ」と頷いた。
あの日なぜ父が戦ってきたのか分かった気がしたと言った。けれど、それを父は「売り言葉に買い言葉よ」だと。
それがあの日の兄の言葉と重なって聞こえた気がした。
「売り言葉に買い言葉だ」
兄の声が、脳裏に鮮明に蘇った。
まだあれは豊臣の世だった。
宴が開かれていて、我ら兄弟も呼ばれていた。
あの日も家康がいた。
兄、信之を呼びつけて何か笑いながら話していた。兄は妻は家康の養女であるし、気に入られている。とても親しげに言葉を交わしていた。
遠目でそれを眺めていたが、ふと兄が席を立った。
廊に出て行く。
目線で追えば、廊で人に呼び止められていた。誰かの使いようだった。
兄、信之は柔和な面持ちで、人あたりも良いが、弟の目から見ているとどこか人と一線を引いているようにも思えた。入り込ませない一歩がある人なのだ。
それに気付く人はなかなかいないようだが、気付いてしまった人はするり交わされるその一歩に入り込みたくなるのか、冬の水面を思わせるような静かな瞳に自分だけを映させたくなるのか。
男女ともに信之はもてた。
信之は受け取った文を懐にしまい、どこかへ行ってしまう。
しばらくして戻ってくると、幸村と目が合えば微笑みはくれたが、近くには来ず、徳川で親しくしているらしい人の元へ行ってしまい、宴が終わっても戻ってこなかった。
翌日。大坂の信之の屋敷を訪ねれば、信之はいなかった。
家康の供で登城したという。
なら待たせてもらおうと勝手に兄の書物などを引っ張り出して読んで時を過ごしていたが、しばらくして玄関先がにぎやかになった為、信之が戻ったのが分かった。
足音が聞こえだして、違和感。ひとりではないのだ。
稲でもない。男のものだ。
襖が開かれて、いつもの物静かそうな微笑みを携え幸村に、
「来ていると使いをくれればもっと早く戻ったものを」
「兄上・・・そちらは」
「一緒だったのでお誘いした」
兄と共に現れたその美丈夫の男--井伊直政が幸村に一礼をするので、幸村も同じものを返す。
もう夕刻。
三人で軽く呑むこととなり、信之が言った。
「どこか似ているのですよ、ふたりは。無鉄砲さがあって見ていて心配になる」
くつくつと楽しそうに笑う信之に、幸村と直政は顔を見合わせたが、互いに心外だと目に浮かんでいる。
「勇猛なのはいいことですが、ね」
続けて言う信之に、直政が呆れたような顔をして、
「心配になる、という点では同じですよ。昨晩も、あの者に。私が声を声をかけなければどうしていたのか」
「あはははは」
直政が続けようとした言葉を、信之が笑いで打ち消す。
「弟に聞かせたい話ではない」
そう言われれば直政に意地の悪い気持ちが生まれたのか、
「幸村殿、貴方の兄上は」
「やめてください」
じゃれあうふたりに、幸村は唇に笑みは浮かべてはいるが内心は鬱々しい気持ちになっていた。
視線を合わせて、互いにしか分からないような空気を醸し出すので、それが幸村は面白くない。二人の仲が深いことを感じさせられて不快にもなる。
それに気付いたのは直政で、笑いを鎮めたかと思えば幸村に、どこか憐みすら感じさせる目を一瞬浮かべて見せて、
「貴方の兄上は・・・、何か忘れたいものがあるようだ」
「え?」
意味深に言葉を落とす。
直政殿、と信之がすごい尖がった声を上げるので、
「我々が似ているというなら」
---そういうことですよ。
意味ありげに直政は早口で言うと、おもむろに立ち上がり、
「兄弟水入らずでどうぞ。用があり、幸村殿はいらしたのでしょう?」
颯爽と行ってしまう。
信之が、その背に「見送りはしませんよ」などと言って、酒を仰いでいる。
残された兄弟。
幸村が、兄を真っ直ぐに見つめて、
「あの、直政殿は家康公の、その・・・寵童だったと聞きますが。もしや兄上」
「もう寵童という年齢ではないでしょう。まぁ幼き頃はさぞ少女のようだったでしょうね、直政殿は」
「それは兄上も」
「・・・そうか?」
「そうです」
銀髪のまだ体つきが華奢だった頃の兄は、とても美しかった。
その銀髪はやはり目立ち、人目を引いた。それは今も。
「兄上と、直政公は、その・・・衆道の」
「・・・え?」
「家康公のあ相手に、その・・・手を」
「・・・だとしたら何なのだ?」
「え?」
虚を突かれて、幸村はたじろぐ。
「なら何だというのだ?お前に何の問題が?」
「私は兄上が、家康公のお相手を寝取っていたと」
「寝取る?」
堪えきれないとばかりに信之が、声を出して笑った。
「寝取るか・・・、はは、そうか。」
「・・・」
「だとしてもお前には関係がない」
そう言うと同時に、信之が懐から扇を取り出すと、大きな音をたてて開く。
拒絶された。幸村はそう感じた。
初めての兄からの拒絶。
思わずびくりと体を揺らした幸村を楽しむかのような意地悪さで見てくる信之に、息を一度吸ってから形勢を立て直そうとした幸村だったが、
「兄上と私は」
「兄弟でしかない」
ぴしゃり言われる。
当たり前のことではあるが、幸村はぐっと兄を見据えて、
「私たちはそれだけではないと私は思っております」
「それ以外何があるというのだ?」
「では直政殿との関係をお認めになるのですか?」
「ああ、そうだ!」
かすかに唇に笑みを浮かべ、誰にも聞こえないような囁くような声で信之が言ってから、瞬きをひとつ。
まるで人を翻弄するような笑みに、幸村は唇を閉ざす。
訪れた静寂。
永遠にも似た重さをもった、それは辛い静寂だった。
やがて。
「直政殿とは、よき仲間だ。先ほどのそれは、売り言葉に買い言葉だ」
「・・・」
「まぁ、仲間だけではないのは事実だ。だけど、違くもあるのだ」
幸村はグッと下唇を噛み締める。
それは血が滲みそうな程で、事実うっすらと鉄のような味が感じられた。
それを見た信之は、裾から懐紙を取り出し、幸村に渡してくる。
が、幸村は受け取らない。
なので、懐紙を幸村の前に置きながら、
「本当は分かっている。自分で、我々は気付いてしまっている」
信之がぽつり言葉を落とす。
「兄弟でいるべきなのだ。お前は私の大切な弟だ。兄だけでいさせくれ」
それだけ言うと、信之は静かに立ち上がると幸村に背を向けて、さっさと部屋を出て行った。
残された静寂が、やがて、よそよそしくしらけていった。
今。
あの日を思い出して、父とふたりの部屋に流れる静寂に身を置き、幸村は空を見上げる。
闇夜に輝く三日月。
「父上、勝頼様・・・」
おふたりが羨ましい。
勝頼は、昌幸を思い、生かそうとした。
昌幸は生も死も「共に」ありたかった。
それも愛ゆえに。
「私は・・・」
そして、兄上は・・・。
私たちの結びつきは手の中にある三文銭のみ。
命を捨てることが真田の心意地ではない。そのことを忘れぬ為にふたりで半分ずつ持っていようと言った兄。
三文銭では三途の川は渡れない。
父が上田で言った---「生きて、また会えると良いな」
「いえ、もう生きて会わない方が良いかもしれません。いつか、あの世で・・・、または来世、兄弟ではなく出会うべきなのでしょう」
持って行ってください。
その三日月の船で、父と私の思いと、そして、兄の思いを。
今。
私に残されたものは父が残した大望。
じわじわと兄を自分からむしり取って行った徳川を・・・。